翌朝名前が起きるともう隣に鬼灯はいなかった。
リビングへと繋がる扉を開けると、鬼灯は椅子に座ってコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
自分で郵便受けまで取りに行きお湯を沸かしてコーヒーを作り、2日目にしてこの慣れようである。
お父さんか、と名前は思った。

「おはようございます、お寝坊さん」
「おはようお父さん」
「誰がお父さんですか」

時計に目をやるともうすぐ12時を回ろうとしている。

「貴女は昔からお寝坊さんですよねぇ」
「...仕事の日はちゃんと起きるもん」
「当たり前です」
「朝ご飯は食べた?」
「軽く食べました」

半分寝ぼけたまま椅子に座ろうとすると、顔を洗ってきなさい!と怒られた。
お母さんか、と名前は思った。
顔を洗って寝癖を適当に梳かしてからリビングに戻り、コーヒーサーバーに残っていたまだ温かいコーヒーをマグカップに注いで椅子に座った。

「若いのに新聞を取ってるんですね。しかも4つも」

鬼灯が読んでいるのは普通の新聞だが、テーブルには他に経済新聞と業界紙が2つ置いてあった。

「あぁ...まあ、仕事上ね」
「なんの仕事をしているんですか?」
「秘書だよ」

鬼灯はまさか名前がそんな職業についているとは思わず、驚いて顔を上げた。

「なによ。意外?」
「いえ...成長したなぁと」
「いい意味で受け取っておくね」
「これ全部読むんですか?」
「朝はあんまり時間がないから普通の新聞と経済新聞はざっとしか読まないよ。業界紙はじっくり読んでる。...でも最近普通の新聞はいらないかなぁって思ってる。ニュース見ればいいし...」
「頑張り屋さんですね」
「へっへーん!でしょ!」

名前は鼻高々にそう答えた。

「名前さん、もし私の世界に来る機会があれば私の秘書として働きませんか?」
「...まぁ、行く機会があればね」
「ええ、ぜひ」

その後昼食を済ませると、鬼灯はちょっと出掛けてきますと言ってキャスケットを被ってどこかへ行ってしまった。
名前は以前鬼灯が来た際に買った服一式を引っ越すときに持ってきてよかった、と思った。


その日鬼灯が帰ってきたのはもうすぐ18時を回るといった頃だった。
鬼灯がリビングに行くと名前はソファに寝転びながらぼーっとテレビを見ていたが、鬼灯に気付いて起き上がった。

「おかえりーどこ行ってたの?」
「面接に行ってました」
「はっっっ??」
「明日から仕事に行きます」
「はい??」
「おそらく私の方が行きも帰りも早いので、合鍵をいただけると嬉しいのですが」
「いやいやいやいや」

キャスケットを取って寝室へ向かう鬼灯を名前が追いかけた。

「私になんの相談もなしに...!?」
「...着替えるんですけど」
「あっ...ごめん...」

くるりと名前は後ろを向いた。
後ろで衣擦れの音がする。
鬼灯は部屋着に着替え終わると脇に脱いだ服を抱えポンと名前の肩を叩いた。
名前が不安そうな顔で振り向く。
名前を椅子に座らせてから洗濯機に着ていた服を放り込み、名前の向かい側の椅子に座った。

「勝手に行動してすみません。でも何もしないのもどうかと思いまして」
「...なんの仕事?」
「同じような現場仕事です」
「ねぇ...またそんな......仕事なんてしなくていいんだよ?養えるくらいのお金はあるし、現場仕事なんて大変だし...」
「鬼神ですし力はあるので。事務も考えましたが擬態薬もったいないですし...いきなり消えたら困りますし。それに何かあった時のためです」
「この前みたいな所だったらどうするの...?」
「大丈夫だと思いますよ。面接官もちゃんとしてましたし職場見学もしてきました。...まぁ、働いてみないとわかりませんが」

名前はしゅんと俯いてしまった。
どうしても鬼灯が心配なようだ。

「向こうでも現世視察で何度か働いたことはありますし、大丈夫ですよ」
「...うん......。何かあったら、すぐ言ってね?」
「わかりました」

それを聞いて名前は立ち上がり、寝室へ行くとスペアキーを持ってきて鬼灯に渡した。

「なくさないでね」
「なくしませんよ」

次の日から名前と鬼灯の共働き生活が始まった。
鬼灯は7時、名前は8時に家を出るが、鬼灯は家を出る時に名前を起こしにきてくれた。
7時にアラームをセットしてあるのだが、わざわざベッドまで来て名前を起こし、ポンポンと頭を撫でて「行ってきます」と告げてから家を出て行ったのだ。
おまけにリビングに行くと朝食までできている。

「(彼氏か...いやよく出来た旦那?)」

名前はそんなことを考えながら鬼灯の作ってくれた朝食を食べ、身を整えて仕事へと向かった。


「おかえりなさい」

夜遅い時間に名前が帰宅すると、鬼灯はソファに座ってテレビを見ていた。
ご飯のいい香りが部屋に充満しており、おまけにお風呂まで沸いている。

「おいしいごはんにポカポカおふろ...」
「歌詞違いますよ」
「まじか」
「ご飯にしますか?お風呂にしますか?」
「それとも...?」
「ふざけてると本当にしますよ」
「いやごめんなさいご飯にします」

名前が寝室へ行きスーツを脱いで部屋着に着替えている間に、鬼灯はテーブルに二人分の食事を用意していた。

「あれ?ご飯食べてなかったの?」
「ええ、まだです」
「先に食べてて良かったのに〜」

名前は席に着いて鬼灯の美味しい料理を心ゆくまで堪能した。

食器を片付けお茶を飲みながら一息ついていると、名前が鬼灯を見つめながら言った。

「鬼灯くんはきっといい主夫になるよ...」
「主婦?」
「主に夫で主夫だよ。専業主婦の男バージョン」
「それってヒモじゃないですか?」
「......まぁ働いてないってところは一緒だね...」
「私はどちらかというと女性に家事をしてほしいです。本業が忙しいので」
「そうなの?だから彼女いないの?」
「私がいつ彼女がいないと言いましたか?」
「えっ!?いるの!?」
「いないですけど」

なぁんだぁ、と名前が頬杖をついて唇を尖らせた。

「いた方が良かったですか?」
「いた方がいいっていうか...いた方が納得する」
「そういう名前さんこそどうなんですか?」

名前は前にもこんな会話したなぁ、とぼんやりと思い出していた。

「私は......。......」

名前は答えようとしたが、色々思い出してしまったのか目を伏せて黙ってしまった。

「...そういえば、この家には所々男の影がありますよねぇ」

ぎくり、と名前の顔が強張った。

「私の部屋着もそうですけど、ベッドもセミダブル、ダイニングテーブルは二人用、ソファも二人用、未使用の男性下着まで」
「......うん...」
「彼氏がいるのに私みたいな見ず知らずの男を住まわせるのはどうなんでしょう」
「ち、違うよ...今はもういないよ...」
「ってことはいたんですね」
「...まあ、そりゃ...何度か...」
「男性嫌いを克服できたんですか?」
「できてたら今頃結婚してるよ私...」

はぁぁ、と深い溜息をついて名前は机に突っ伏し、鬼灯は名前がぶつけて零しそうな湯呑みを手前に引いた。
名前はしばらく遠くを眺めた後、突っ伏したままぽつりぽつりと話し始めた。

「やっぱ、みんな嫌になってどっか行っちゃうんだよ...」
「嫌?」
「......私が触られるのを嫌がるから...」
「...私は大丈夫なんですか?」

名前から手を触ったり、鬼灯が頬の涙を拭ってやったり、頭を撫でたり等結構触っている自信はあるが...と鬼灯は思った。

「なんだろう、鬼灯くんは別に平気...弟だと思ってるからかな?」
「(あぁ......)」
「でも、付き合ってきた人達みたいなことになったら、同じように嫌がるかもしれない」
「.........」
「ゆっくりでいいよって言ってくれる人もいた。けどやっぱダメだった。昔あったことなんて言えるわけがないし...。私はもう男性とお付き合いしない方がいいんだよ......女の子と付き合おうかな」
「女性を好きになれるんですか?」
「.........わかんない......」

はぁ、と名前が再度溜息をついた。
鬼灯は落ち込む名前の頭をゆっくり撫でてやった。

「こうやって頭を撫でられるのも他の男だと嫌なんですか?」
「うん...なんだろ...反射で身を引いちゃう。下心を感じる」
「下心のない男なんていませんよ」
「......じゃあ鬼灯くんも、今下心を持って撫でてるの?」

名前は顔を上げて鬼灯を怪訝そうな目で見つめた。
目と目が合い数秒沈黙が続く。

「............え?あるの?」
「......あると言ったらどうするんですか?」
「え?え?」

名前が突っ伏していた上体を起こし、少し体を引いた。
鬼灯の手が名前の頭から離れる。

「......そこまで引きます?」
「えっ...あ...いや...ごめんつい...」

そう言うと名前は体の力を抜いて普通に座った。

「...で?あるの?」
「...ノーコメントで」
「それずるくない?」
「あると言ってもないと言っても良い結果にはならなそうなので」

鬼灯はあるに決まってるだろと叱りたかったが、名前のためにも名前との今後のためにも黙っておいた。

「ですが貴女は男性に対して警戒心が弱いと感じるので、それくらいの心構えでいた方がいいと思いますよ」
「善処します...」
「分かったらお風呂に入ってらっしゃい」

名前ははぁい、とむくれたような返事をし、脱衣所へと消えていった。

「(なんか説教されて終わったな...)」

オカンか、と思いながら名前はシャワーを浴びた。



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