赤い証(丸井ブン太)☆
部活終わり。
特等席のベンチに座りながら、制服のYシャツに右腕を通したところで、突然目の前に人影が現れた。
「丸井先輩って今まで何人と付き合ってたんッスか?」
「は?突然なんだよ。」
俺の怪訝な顔に、おかまいなく楽しそうな顔がぐっと近づいて力強く答える。
「やっぱり気になるじゃないッスか、モテてる人の彼女事情!」
「うーん。」
正直覚えてねぇ。
そもそも付き合うって何?
どこからが付き合うっていう形になんの?
手を繋ぐと?抱き合うと?
キスをすると?それ以上?
なんて考えてる時間はない。
目の前の後輩は目をキラキラさせながら、俺の返事を待っている。
「…5人くらい?」
「す、すっげー!!やっぱり丸井先輩はすごいッスね!」
「そーか?」
前ボタンを急ぎ目に閉めながら、適当な返事で誤魔化す。
正直これ以上は突っ込まれたくなかった。
「今日は先に帰るな。」
「えっ!ジャッカル先輩の奢りでご飯行こうと思ってたのに残念ッスね…」
「俺の奢りかよっ!」
怒ったジャッカルに襲われてる赤也を他所に俺は部室のドアノブを捻る。
「悪い。この後、会う奴がいんの。」
軽く手を上げて、口をぽかんと開けてる2人を背に部室を後にする。
秋晴れの凛とした外の空気が気持ちいい。
深く息を吸い込んで、校舎に向かう。
2階の多目的教室の隣の更に隣の教室。
約束の時間より少し遅くなっちまったから急いで駆け込むべきなんだろうけど、
これから起こる事を考えると緊張しちまってドアを開けられない。
「らしくねーな。」
自分に言い聞かせる様に呟いて、僅かに震える右手で教室のドアを開ける。
「悪い。待たせた。」
「大丈夫だよ。それより部活お疲れ様。」
教壇の椅子に座ったままクルリと俺に体の向きを変えて、ニコリと微笑む。
瞬間、ドクリと俺の心臓が跳ねたのが分かった。
恥ずかしいくらいに汗ばんだ手を隠す為にポケットに手を入れて、微笑む彼女に近づく。
「あのさ…」
「丸井くん。昨日のお返事の前に、言いたい事と聞きたい事が1つずつあります。
どちらから聞きたいですか?」
「…は?」
沈黙を恐れて口を開きかけた俺の声に、力強い声が被さる。
想定外の流れに、開いた口が塞がらないまま情けない声が漏れた。
ふざけてるのかと目を見るけど、直ぐに本気なのだと分かる。
「じゃあ、聞きたい事。」
「…丸井くんは、今まで何人と付き合ったの?」
「…5人ほど」
赤也の予習のお陰でスラリと答えた。
少し気まずい答えだが、考えても仕方がない。
俺の答えに笑うでもなく、悲しむでもなく、彼女は分かりましたと冷静に一言。
そのまま、今度はクルリと黒板へ体の向きを変えてチョークを手に取ると、綺麗に拭かれたばかりの黒板にコツコツと当てた。
「さて、次は私から丸井くんに言いたい事です。」
「はい」
何を書くかと思えば、深緑色の黒板にはラケットを持った棒人間と、リボンを着けた棒人間が横並びに描かれていた。
「私は、付き合うっていうのは、大好きで愛しくて一緒に居たいって思える存在同士が一緒にいる事だって思ってるよ。」
そう言って赤いチョークでハートマークをひとつ、棒人間の間に付け足す。
粉まみれになった彼女の指先を見つめながら、
彼女の言わんとしてる事が分かった気がして自然と素直な言葉が口から出る。
「デートをして手を繋いだだけじゃ付き合ってねーの?」
「うん。それだけじゃ違うよ。」
「抱きしめてキスをしただけじゃ付き合ってねーの?」
「うん。それも違うよ。」
ここにきて、彼女の瞳が潤む。
少し意地悪し過ぎたと後悔しても遅かった。
「悪い。」
色々な意味を含めた言葉。
それなりに顔が整ってて社交的で勉強もそこそこ、極めつけにスポーツは全国区。
誰からも声がかからない訳がなかった。
入学してから直ぐにクラスの女子から甘い言葉を貰った。
部活で活躍する様になってくると女子テニスの先輩と後輩からも甘い言葉を貰った。
俺も思春期の男だから、断る理由が見つからないまま受け入れていた。
付き合っては別れ。付き合っては別れ。
何度かそれを繰り返すうちに、付き合うという事自体に疑問を覚える。
そもそも付き合うって何だ?
強引に誘われたデートで手を繋いだだけの奴もいる。
甘い言葉を囁かれてキスをしただけの奴もいる。
「…本当に悪い。」
そんなフラフラした奴の噂が、彼女の耳に届いてないはずがない。
軽く唇を噛んで堪えている彼女を見つめながら、ゆっくりと近づいて右手を伸ばす。
ビクリと肩を震わす彼女の姿に、チクリと針が刺さった様に胸が痛んだ。
「こんなに軽い奴から告白されたって遊ばれてるんじゃないかと思うよな。」
「……」
伸ばした手を彼女の左頬に添える。
割れ物を扱う様に、優しくゆっくりと。
「俺さ、今まで流れのままに色んな奴と付き合ってた」
「…うん。」
「好きとか付き合うって気持ちを理解しないまま、その言葉を使ってた。」
「……」
相変わらず体を強ばらせたまま。
でも真剣に耳を傾けて話を聞いてくれていた。
「信じてもらえねぇかもだけど、俺から告白したのってお前が初めてなんだぜ。」
「えっ。」
大きな目が更に大きく開かれる。
そして、ポロリと俺の右手に雫が転がった。
「初めて、心から人を好きだって思えたんだ。」
甘い言葉を貰った訳じゃねぇのに。
彼女の笑顔に触れて、優しさに触れて、心からそう思えた。
「朝お前から挨拶してもらった日は、ただそれだけで1日幸せだった。」
「……」
「それくらい、お前が好きなんだぜ。空。」
左手も彼女に触れようと伸ばそうとした時、そっと彼女の右手が控えめにYシャツを掴んだ。
「…丸井くんにもう一度聞きます。今まで何人と付き合ったの?」
少し震えた声でそう尋ねられた。
本日3回目の問題だったが、俺は一度深呼吸をしてから、しっかりと彼女を見つめて答えた。
「大好きで愛しくて一緒に居たいと思える彼女とのお付き合いは、空が初めてだぜ。」
「分かりました」
今度ははっきりと嬉しそうな声が返ってきた。
彼女の体の力が抜けたのを感じ、袖を掴む彼女の腕を引寄せて抱きしめた。
軽く身じろいだが、直ぐに俺の腕の中で大人しくなった。
「もう一度言うぜ。好きです、付き合ってください。」
「…はい。ありがとうございます。」
腕の中から聞こえる可愛い声に、胸が苦しいくらい幸せな気持ちでいっぱいになった。
彼女を確かめる様に、抱きしめる力をほんの少し強めて、顔を彼女の柔らかい首筋に埋める。
「…好きだ。」
やっと、ぎこちなく俺の背中に彼女の両手がまわってきた。
とてもあったかくて気持ちが良かった。
ひとしきり抱き合って、おずおずと背中から手を離す彼女にお菓子をねだる様な手で左手を差し出す。
「ほら、手。」
言われた通りに、顔を赤らめながらもゆっくりと右手を俺に預ける。
「帰ろ。」
「うん。」
短いけど、心地の良い会話だった。
軽く手を引くと素直にくっついて歩いてくれている事が嬉しくて舞い上がりそうな心を落ち着かせながら、教室を後にする。
左腕のYシャツには赤いチョークの粉がくっついていた。
きっと背中にもくっついているんだろう。
でも今はその汚れでさえ道行く人に自慢したかった。
それは、俺にとって付き合うという事の幸せの証なんだからな。
*END*
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