嵐の前の静けさというのだろうか。呼吸するのも躊躇う程の沈黙が場を支配していた。腰にある相棒を指でなぞる。思いを込めて、何度も、何度も。
 もうすぐ夜が明ける。徐々に空が白み始めて、空気に緊張が滲んだ。

「すまない」

 突然の謝罪に振り返ると、組長が無表情で立っていた。ここは最後尾だ、切り込みに行くといった彼が何故ここに? 恐怖に怯むような人ではない。何か理由があってのことだろう。
 問いを含んで目を合わせた。

「俺が残らなかったら、あんたはここにいなかったはずだ。要らぬ危険に身を晒させてしまった」

 そこで一旦切ると、彼は瞑目してため息を零す。戦地では真白に染まる髪が、薄い風になびいた。伏せた睫毛はそこらの役者より長い。……武人とは、思えない。

「女の身でよく戦ってくれた。皆あんたに感謝している。今からでも間に合うだろう、直ぐに―――、」
「お言葉ですが、組長」

 姿勢を正してしっかり向き合う。淡々と人を殺めることの出来る彼は、時々どうも弱くなる。……まあ、その方がついてきて良かったと思えるから良いが。
 朝日が昇ってきた。まもなく、この地面は血に染まるだろう。仲間のもの、敵のもの、あるいは……自分のそれで。

「戦いの場では生の保障はない。それは何時、何処でも同じでしょう。ついていきますよ、行き先が地獄でも」

 怖くないといえば嘘になる。でも、恐怖より喜びが勝っているのだ。憧れは恋慕に変わり、彼方にあった背は手を伸ばせば届く距離に。傷だらけの手を美しいといってくれた。平和な世で添い遂げる日を夢に見た。
 でも、彼の望みを同じ場所で叶える、それに勝る願いはない。

「……ならば、ひとつ約束してくれ」

 濃紺の瞳に吸い込まれる。もう二度と見れないだろうその色を深く心に刻み付けた。
 ふと下を見ると、黒で覆われた手が震えていた。自分の利き手で包み込み、握る。微温い体温が心に沁みた。

「この戦を生き抜き、太平の世を得たら……その先もずっと、俺についてきてくれるか」

 周りの兵が知らぬふりで前を見据えている。笑いを漏らさぬよう、掌中の手を握り込んだ。
 蝦夷の桜より儚い約束を、苦しいほどに抱く。

「どこまでも、ご一緒いたします」


気休めの契り


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