かんこなB

それからの早乙女は、人が変わったように明るくなった。文壇の集まりでは相も変わらず小川に辛辣な言葉を浴びせられたが、そのたびに手紙を読み返し励まされ、早乙女の書く文章は目覚ましく磨きがかかっていった。

しかし、人間とは欲の深い生き物だ。一度きりの手紙を何度も読み返すうちに、次の手紙を待ち遠しいと思うようになっていく。
「我儘だよな、俺って…」
手紙を胸に抱きながら、早乙女は深く溜息を吐いた。何度も手紙を読み返していくうちに、次を待つようになってしまった。それどころか、手紙の主に会いたいとさえ思ってしまう。会いたい気持ちが大きくなりすぎて、まるで恋を知ったばかりの高校生のように胸がじりじりと痛くなった。
顔も知らない、名前さえも分からない相手に、自分は依存してしまっている。この人の存在だけが、自分の小説家としての生き方を支えてくれているのだ。
会いたい、会いたい…会ってお礼を言いたい。あなたのお陰で頑張れるのだと、直接伝えたくて堪らない。
手紙を読み返すたびに、その気持ちはみるみる肥大していった。



「先生方、今日は宜しくお願いいたします」
出版社の人間に頭を下げられ、早乙女は困り果てて苦笑を漏らす。チラッと横を向けば、不服だと言わんばかりに眉間に皺を作り腕組みをする小川の姿。
編集者に呼ばれ出版社に出向いた早乙女を待ち構えていたのは、思いもよらぬ仕事の依頼だった。
「小川先生と早乙女先生、若手人気作家の御二方で一つの話を練り上げる!絶対に評判になりますよ。斬新で良い案だと確信しています」
二人の微妙な空気を読む事もなく、興奮を押さえ切れない様子で出版社の人間が捲し立てている。彼らの中では、早乙女たちが断るはずが無いと思っているのだろう。
しかし、相手はあの小川だ。早乙女の事を心底見下しているあの男が、了承するとは思えない。意を決して断ろうと口を開きかけた時、早乙女より一拍早く小川が口を開いた。
「私は別に構いませんよ。早乙女先生さえ良ければ、喜んで仕事を引き受けます」
「えっ?」
「早乙女先生は、私と一緒なのは不服ですか?」
「いえ…そんな事は、無いです…けど…」
しどろもどろ答えた早乙女の返事を聞いた出版社の人達から歓声が上がる。
あれよあれよと言う間に、二人協同しての執筆が決まってしまっていた。

出版社を出た二人は、ほとんど会話を交わす事も無く小川の部屋へと歩を進める。協同執筆という事で、暫くの間は早乙女が小川の部屋へ泊まり込む事に話が決まったからだ。
「小川先生は、どうして私と一緒に仕事をしようと思ったんですか?」
重い沈黙に絶え切れず恐る恐る尋ねると、小川は不機嫌そうに口を開いた。
「それでは私からも質問させて頂きますが、早乙女先生は私の本を読んだ事がおありですか?」
小川の書いた本。言われて気付いた。そう言えば、小説家としてデビューしてからは忙しさにかまけて、碌に他人の小説を読んでいなかったと。
昔はあんなに読書が好きだったのに、ここ数年というもの資料として様々な書物に触れる機会はあっても、純粋に一読者として小説を楽しむ事など忘れていたように思う。

「私の本を読んだ事も無いあなたが、今回の仕事を受けたのは何故ですか?」
「読んでないなんて、一言も言ってないじゃないですか!」
「じゃあ、読んだんですか?」
「それは…その……」
動揺して何と答えたらいいのか分からず困っている早乙女を一瞥し、小川は小さく嘆息を漏らした。
「……答えなんて聞かなくても、読んでいない事くらい分かっています…」
その呟きは本当に小さなもので、早乙女の耳に届く事は無かった。
小川の質問が何を意味しているのか早乙女が気付く事無く、気まずい空気を纏った二人は小川の住むマンションへと到着した。



目次へ戻る

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -