かんこな@

大きく開いた窓から入る明るい光に照らされた机に向かい、早乙女瞬(さおとめ しゅん)は黙々と筆を走らせる。幼い頃より本を愛する早乙女は、趣味が高じていつしか小説を書くようになった。
何度も小説を書いては寄稿を続け、とうとう小説家としての道が拓けてから早五年。

早乙女は二十七歳という年齢から文壇の中ではまだまだ若輩者だったが、その若さ故に溢れる荒々しい文章と、その中に垣間見える繊細な心理描写が一定層に受け、今までに出版した著書は一部に根強い人気を博している。
しかし、一心不乱に筆を走らせていた早乙女の手はいつしか止まり、書いていた原稿をグシャッと握り潰してしまった。
「これじゃ駄目だ。こんな小説じゃ、誰も楽しんでくれやしない…」
潰れて丸まった原稿をゴミ箱に放り込むと、早乙女はそのまま後ろに倒れ込むように寝そべり瞳を閉じた。

「瞬くんの書く小説、面白いね。将来はプロの小説家だね、きっと!」
「また読ませてね、楽しみにしてるから」
そう言い微笑んだのは、小学生の時のクラスメートだ。小学校高学年の頃には小説紛いのものを書き、書いては仲の良い友人達に読んでもらっていた。
あの頃は楽しかった。好きな事だけをして、書きたいものだけを書いて。自分のその時の想いをひたすら文章に起こす作業に、心から喜びを感じたものだ。

だが、今は違う。書きたいものを書いている筈なのに、楽しいと感じる事が出来ない。喜びを味わう事が出来ない。そんな状態で書いた小説など、誰が楽しんで読めるだろうか…。
奥歯を噛み悔しそうに口許を歪めた早乙女は、執筆を再開する気も起きずそのまま眠りに落ちていった。



目を覚ました早乙女は、時計の示す時刻に目を疑った。今夜は文壇の集まりがあるというのに、いつの間にか本格的に眠っていたようで、身なりも適当に慌てて部屋を飛び出す羽目となってしまったのだ。

「早乙女先生、こちらです!あぁ、良かった。なかなか来られないので心配していたんです」
ホテルの広間に到着した早乙女に、編集者が手を振り安堵の息を漏らす。
「執筆に夢中になっておられたのですか?」
早乙女の髪に跳ねている部分を見付け、編集者の顔に笑みが浮かぶ。じきに出版予定の本の進行具合は順調なのだと思ったのだろう。
「すみません、寝てしまってて…」
申し訳なさそうに答えた早乙女の言葉に、あからさまに編集者は落胆の色を落とした。

と、後ろから含み笑いが聞こえた。
「締切間近なんじゃないんですか?早乙女先生は余裕なんですね」
二人の会話に入ってきた男が、見下したように早乙女を見やる。この男の名は小川太一(おがわ たいち)。早乙女より二つ若い彼は、若干二十五歳にして文壇の中でも抜きんでた才能を博している。
小川の名を知らぬ者など居ない。それ程に著名な彼は、早乙女と顔を合わせるたびに冷たい言葉を投げ付けるのだ。
「書く気が無いのなら、小説家など辞めてしまったら如何ですか?」
小川の辛辣な言葉に、早乙女は言い返す言葉も無く下を向いた。
彼の言う通りなのかもしれない。楽しかった筈の執筆が苦痛になってしまった今となっては、物を綴る事など放棄した方が良いのかもしれない。
人を満足させられるような小説など、自分は書く事が出来ないのだ…。

小川の言葉が胸に刺さり、誰とどんな会話をしたのかすら頭に残らないまま、今夜の会合はいつの間にかお開きとなっていた。


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