それでも君が、

泣きたい日



6月の上旬、ホグワーツではОWL試験が行われていた。それは五年生にとって非常に重要で厳しい試験。今は『闇の魔術に対する防衛術』の試験の真っ最中だ。勉強の成果もありすらすらと問題を解く者、頭を抱え一生懸命に記憶を辿る者などなどの姿が大広間にあった。


「ミス・カザト!試験中ですよ、泣くのは止めなさい!」
「うぁい……」


試験問題の難しさに涙する者もあり。


「時間はまだありますよ!頑張りなさいミス・ミズキ!」
「もういいんです先生。もう……」


自分の知識の不十分さを悟り、解答することを放棄する者もあり……。

やがてチャイムの音が城内に響いた。先生が用紙を集め始めると、あちこちでため息が漏れる。一教科を終え安堵した生徒達がお喋りをしだす中、アキとレンは机に突っ伏していた。


「やあやあレン、アキ。試験はどうだったか聞かない方が良いかい?」
「「うるっさいメガネ」」
「ひどい!」


解散の合図が出た後、悪戯仕掛け人の四人はレンとアキのところへ集まった。にやにやと笑いながらからかうジェームズにレン達は地の底から湧き出るような声で返す。リーマスは苦笑しながら二人の頭をぽんぽんと優しく撫でてやった。


「ふんだ。ジェームズのばぁーか。落書きなんてして余裕ぶっちゃってさぁ。そんなに勉強してなかったくせにぃ!」
「まあ、元々僕は天才だからね!」
「……」
「いたっ!抓らなくても!」
「んなことより今日の試験終わったし、外で息抜きしねー?」
「あ。あたし達ダンブルドアに呼ばれてんだ」
「そうなの?じゃあ、終わったらおいでよ」


「中庭のいつもの所にいるから」と言うリーマスにレンは了解と返事をし、今やジェームズと抓り合いをしているアキを引っ張り大広間の奥の小部屋へ向かった。ちょうど今朝、試験終了後にそこで待つとの旨を書いた手紙をダンブルドアから受け取っていたのだ。コンコンと扉をノックすると「お入り」と声が返ってきた。


「失礼します」
「こんにちはぁダンブルドア先生」
「こんにちはアキ、レン。試験はどうだったかね?」
「……ははは」
「二十年後頑張りまぁす」


遠い目をする2人を、ダンブルドアはやれやれといった顔つきで、だけどどこか可笑しそうな表情で見据える。そして杖を振って座り心地の良さそうなソファーを自分の前に出し、アキ達に座るよう勧めた。


「まずは、手紙の返事が遅くなってしまい申し訳ない」
「先生はお忙しいんですから仕方ないですよぉ」
「そう言って貰えると助かるの。……それで、件の鏡じゃが、儂も君達の考えに賛成じゃ」


例の鏡についての考えをまとめた手紙をレン達は送っていた。実際鏡に触れてみて思った事、帰るその日になると再び鏡の中へ入れるのではないかという推測についてだ。


「あの鏡の前持ち主である店主にも尋ねてみたが、残念ながら詳しくは知らないらしくてのう」
「そうなんですか……」
「しかし、以前に君達と似た事例があっての。その者も無事に帰れたから大丈夫じゃろう」
「うーん。だと良いんですけどぉ」
「万一帰れぬことになった場合は、君達は儂が保護しよう」


「心配はいらぬぞ」とウインクを交えながらお茶目に言うダンブルドアに、アキとレンは一瞬驚き目を瞬かせた後、「もしもの時はお願いします」と苦笑した。

ダンブルドアとの短い話が終わると、レンとアキはジェームズ達の待つ中庭へ向かった。そしてブナの木の下に広がる光景に、ようやくこの時期に起こる重要で切ない出来事を思い出した。二人が見たのは、吊るされていたスネイプに杖を向けて降ろすジェームズ。そして、遠目ではあるが明らかに怒った表情でジェームズに向き合うリリー。この後の展開を知るアキ達は、急いで彼らのもとへ走った。


「ほーら、スニベルス、リリーが居合わせてラッキーだったな」


シリウスがかけた呪文を解いてやったジェームズは、嫌味たらしくこう言う。スネイプは憎しみに満ちた顔でジェームズ達を睨む。次の台詞は絶対に言うな、とレンは歯を食いしばりながら心の中で念じたが、それは叶わなかった。


「あんな汚らわしい『穢れた血』の助けなんか、必要ない!」


怒りのまま吐き捨てたスネイプの言葉に、リリーは目を見開かせるが直ぐに「結構よ」と冷たく言い放った。レンとアキは走る足を速めた。


「リリーに謝れ!」
「あなたからスネイプに謝れなんて言って欲しくないわ。あなたもスネイプと同罪よ」
「えっ?僕は一度も君のことを――何とかかんとかなんて!」
「そういう問題じゃないだろ、馬鹿ッ!!」
「レン、アキ!?」


ようやく彼らの元についた二人。レンはジェームズの頭をぺしっと叩いた。リリーは悲しげな表情をアキとレンに向けた後、男達に冷たい一瞥を投げる。そして、ジェームズが呼びかけるのも全くの無視で去って行った。


「アキ、そっちは頼む」
「わかったぁ」


リリーの後を追うレンを見守りながら、アキは「またデジャブだ」と一人思った。それ程遠い記憶ではない。傷付き揺れる緑の瞳を追うレン、そしてそれを見送る自分。そういった状況は以前にも経験していた。なんてことをアキが考えていると、ジェームズは今起きた出来事はなんてことないと振る舞いながらシリウスに尋ねた。


「あいつ、どういうつもりだ?」
「つらつら行間を読むに、友よ、彼女は君がちょっと自惚れていると思っておるな」
「よし、よし――、誰か、僕がスニベリーのパンツを脱がせるのを見たい奴はいるか?」


少し怒った様子のジェームズが、杖をくるくる回しながらギャラリーに問いかける。囃し立てる周りに顔を顰めつつ、アキはジェームズに向けて『武装解除』をした。


「あっ!何するんだよアキ!」
「馬鹿なことしないのぉ。ほら皆も散った散った。明日の勉強でもしてればぁ?」


飛んでくるジェームズの杖を取りながら、アキは周囲に集まった生徒達にしっしと手で払う。ギャラリーは不満そうにしつつも大人しく引き下がった。ちえっと不機嫌なジェームズやシリウスを放っておき、アキはスネイプの前に屈み手を差し伸べる。


「セブ、大丈夫ぅ?」
「……余計なことをするな」


しかし、スネイプはその手を取らず一人立ち上った。地面に転がった自分の杖を拾い、今の内にと立ち去ろうとする。それをアキが引き止めた。


「待ってセブルス」
「……放せ」
「つい口をついてしまったとは言え、とんでもなく酷い侮辱をしてしまったのはわかってるよねぇ」
「……」
「あとで謝りなよぉ。地べたに頭を擦りつける勢いでねぇ。じゃないと取り返しのつかないことになって、一生、悔やむことになるから」


アキの真剣な眼差しにスネイプは僅かに動揺した。だが、すぐ顔を背け今度こそ去って行った。その後ろ姿を目で追いながら、アキは無意識に両手を握った。そこへ、ジェームズがアキの肩に腕を回す。


「全く、いいとこを邪魔してくれちゃってさ!あと僕の杖そろそろ返してくれよ」
「……うるさい馬鹿ジェームズ」
「馬鹿バカって今日は酷くないかい……!?」
「ねぇジェームズ。どうしてあんなにセブルスを虐めるの?」


オーバーリアクションで傷つくジェームズにアキはそう問いかける。「君もそんな事を聞くの?」と首を傾げるジェームズ。そして、顎に手を当て考え込むふりをし、にたりと嫌な笑顔を浮かべて言った。


「あいつが存在するって事実そのものが気に食わないから……かな?」
「うそつき」


リリーにも言った言葉を繰り返すと、アキは静かに答える。ジェームズも、後ろで二人の様子を見ていたシリウスやリーマスやピーターも目を丸くさせた。


「存在がどうこうじゃない。ただ、大好きなリリーが自分よりもセブルスと仲が良いから、それが気に食わないってだけなんでしょぉ」
「それはっ……」
「大体さぁ、自分の友達を虐めるような奴を素敵だとか思う?ジェームズ、逆の立場だったらどぉ?」
「……リリーはそんな事しないさ」
「そうだねぇ。ジェームズと違って人間出来てるから」
「……」


落ち込んで俯きがちになったジェームズにアキは杖を返す。


「リリーにとってセブは、ホグワーツに来る前からの大切な友達なんでしょ。同じポジションにジェームズは絶対になれない。それこそ過去に戻らない限りねぇ」
「うん……」
「ウチが言いたいのは、勝手な嫉妬で誰かを虐めるのは止めなさいってことぉ。そういうのは正当な理由になんないから」
「……」
「それからリリーが好きでもっと仲良くなりたいんならさ、リリーが不快に感じる事じゃなくって嬉しいと思ってくれる事をしなよぉ」


ぽんっとジェームズの肩に手を乗せたアキは、「あとでね」と後ろの3三人にも声をかけレンとリリーが行った方向へ足を進めた。


***


「リリー」
「っ、レン……!」
「わっ」


レンは早足でどこへともなく歩くリリーを追っていた。距離が縮まった時、リリーは突然レンの胸に飛び込んできた。レンは驚きながらもリリーを抱きとめる。そして、リリーの目にうっすらと涙が浮かんでいるのに気づくと、慰めるように背中をぽんぽんと撫でてやった。


「……ねえレン。あなたもマグル生まれだったわよね?……あの言葉、言われたことある…?」
「ああ……いや、直接あたしが言われたことはないな。ただ、親友が言われた」
「そうなの……酷い言葉よね」
「そうだな……」


はらはらと涙を流しながらぽつりと話すリリー。レンは制服のポケットから出したハンカチを渡してやりながら、何か考え込むように黙った。リリーはお礼を言ってそのハンカチを受け取り、何も言わなくなったレンを見上げる。


「なあリリー。リリーはマグル生まれであることを恥じているか?」
「まさか……!そんなこと、ないわ」
「あたしもだ」
「……?」
「ええと、つまりな、あんな言葉も言う奴らも気にしないのが一番だと思うんだ」


リリーをまっすぐに見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぐレン。リリーは涙に濡れた目でじっと見つめる。「気にしない……?」との呟きに、レンは頷く。


「だいたい馬鹿げた話だよな。今の時代純血だけじゃ魔法族は滅びる可能性があるんだろう?」
「そう……聞いたことはあるわ」
「それに、あたし達はちゃんと認められているんだ。れっきとした魔女なんだってな」
「……」
「あと、これは前にも言ったんだけど、奴らの誇りは純血って事だけだと思うと、むしろ同情してやりたくならないか?」


からからと明るい声を出して笑い飛ばすレンにリリーは目を丸くさせる。「それに……」とレンは言葉を続けた。


「リリーはそこらの純血共より頭も良くて、強くて、素敵な女性だ。もうあんな侮辱に負けないって、あたしが保証する」


ふわりと笑みを浮かべ、目の淵に残った涙を拭ってやりながらレンが言うと、リリーはようやく笑顔になった。「ありがとう」と笑いハンカチは洗って返すと言うリリーにレンはホッとした様に息をつく。しかし、リリーはまたふと悲しそうな表情で目を伏せた。


「でも、セブルスがあんなことを言うなんて……」
「……あれは、きっとつい口をついてしまっただけだ。この年頃の男って女よりまだまだガキだって言うだろう?覚えたての言葉を使ってみたかっただけだ」


そこらの純血ではなく、長く友達だと思っていたスネイプに言われたからこそ余計にショックだったのだろう。レンは必死にフォローしようとするが、リリーはまだ浮かない表情だった。


「セブルスが本気でリリーに酷いこと言うわけがない。だから、許してやって」
「今までは、許してたの。セブが、どんなに嫌な人達と付き合っていても……。でも、もう……」


顔を歪め静かに目を閉じたリリーは、そっとレンから離れ背を向けた。レンは言葉を続けようと口を開いたが、リリーがこちらを振り返り、やめた。


「さあ、図書室へ行って勉強しましょう?アキもそのうち来るかしら」


まだどこか切なそうではあるものの笑顔を見せるリリー。まるで、この話はもうやめようと言われているようで、レンはただ「そうだな」と薄く笑い返すだけだった。だが、レンにはもう一つだけ話しておきたいことがあった。隣を歩き、今日の試験について話すリリーの横顔を眺める。


「なあ、リリーはジェームズが嫌いか?」
「まあ何なの急に?……大嫌いよ。あんな高慢で、傲慢で、嫌な人」
「けど、パーティーで一緒に踊ってたし、リリーも心の底から嫌ってるわけじゃなさそうだが?」
「あれは……!ただ、ポッターがしつこかったから、オーケーしただけよ……」


カッと頬を染めながらも、レンの言葉を全否定しようとするリリー。しかし、そのアーモンド形の緑の瞳はまた揺れていた。


「あいつもさ、まだガキで馬鹿なんだよ。好きな人……リリーの前だと異常に舞い上がって、かっこつけようとして馬鹿やっちゃうんだ。でも、あんなでも良いとこは沢山あるんだぞ」
「……何が言いたいの?レン」
「どうでもいいと思うなら聞き流してくれていいさ。……あいつもいずれ気付くと思う。自分の馬鹿さ加減だとか、いろいろ。だからあいつが……ジェームズが精神的にも大人になったらさ、デートでもしてやってよ」
「私が、ポッターと?」
「一度だけでもいいからさ」


嫌そうに歪め向けられた顔にレンは苦笑する。リリーはそのまま黙ってしまった。レンも口を開かないまま二人は静かな城内を歩く。図書館の前まで来た時、リリーはようやく「そうね」と呟いた。


「……考えておくわ。でも、レンのためよ」
「ありがとう」


その夜、談話室で勉強をするリリーとレンとアキの元へメリー・マクドナルドが伝言をしに来た。セブルス・スネイプが寮の前でずっとリリーを待ってると。先に休むよう言うリリーに、レンとアキは従った。

翌日、昨夜の話をリリーはして来なかった。そしてまた、二人も何も聞かないことにした。


泣きたい日
(それは試験だったりただ一言だったり)



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