ジギタリスの憂鬱

後編



「……え、」
「じょ、冗談だろ!?」
「ふふっ、本当だよ」


ハリーとロンのとてつもなく驚いた表情に、私達は思わず顔を見合わせて笑う。ロンの手から滑り落ちたカップが、がしゃりと音を立てて割れた。

――復学してN.W.E.T試験も無事修了して、ホグワーツを卒業した私は魔法史の研究者の道へ進んだ。学生の頃から好きだった事を仕事にできて嬉しい。魔法界の歴史はいまだに興味が尽きない。友人や恩師たちのご厚意もあり、卒業した学校へも魔法省へもわりと自由に通わせてもらっていた。お陰で研究も捗るしいろんな人の話も聞けるし、ありがたいかぎりだ。

ドラコとの仲もずっと順調だ。順調どころか昔と違ってホグワーツでも外でも堂々と二人で歩けるから、それがたまらなく幸せ。初めの内はまるで夢のように思っていたけれど、数年が経った今ではもう、隣にドラコがいるのはごく自然で当たり前のことになっていた。

ドラコは学校を卒業して件の罪をきちんと償った後、改めてプロポーズしてくれた。私の気持ちはとっくの昔に定まってたし、うちの両親とソフィおばあさんも揃って喜んでくれた。ドラコのご両親とか両家の顔合わせの際なんかで、まあいろいろとあったけれど……とにかく先日、やっとすべてが丸く収まった。それで友人達に報告すべく、忙しい合間を縫って時間を作ってもらったのだ。

今日会っているのはハリーとロン、そしてハーマイオニーだ。場所はダイアゴン横丁のとあるオープンカフェ。びっくり顔で固まっていたハリーは静かに目を瞑り、そして眉間を揉む。ちなみにロンの割れたカップは、ハーマイオニーが怒りながら元に戻していた。


「どうして今日マルフォイまで一緒に来てるのかと思ったら……」
「あははは……なんかごめんね?ずっと黙ってた上にハリーとロンへの報告が最後になっちゃって」
「というか言えよ君も!僕ら昨日魔法省で会っただろ!?」
「文句は君のパートナーに言ってくれ。緘口令を敷いていたのは彼女だ」
「ハーマイオニー!?」
「驚かせてやろうってジニーと決めたのよ」


ハーマイオニーがしたり顔でそう言うと、ハリーは「お望み通り」だよと力なく笑った。ロンは淹れ直してもらった紅茶を一口飲み、長い息を吐きながら私とドラコを交互にまじまじと見る。


「はあ〜〜カエデがマルフォイと……。こう言っちゃなんだけどさ、よく君の両親が許してくれたよな」
「ああ……まあ、な」
「それはドラコがすごく頑張ってくれたんだ」
「君もだろう?」
「はいはい、イチャついてないで初めてカエデを親に会わせた時の話聞かせてくれよ」


面倒くさそうに手を振るロン。ハリーとハーマイオニーはそれを宥めたり窘めたりしながらも、興味津々のようだ。初めてドラコの家を訪ねた時のこと――今でも鮮明に覚えている。ただでさえ緊張していたというのに、マルフォイ邸を目の当たりにした途端はっきり言って怖気づいた。


『ここが僕の家だ。カエデを招く日が来るなんて……夢のようだよ』
『……お城じゃないの?』
『え?』


とても裕福な資産家であることは知っていたけれど、まさかあんなに大きなお屋敷に住んでいるとは思わなかったの。対する私はごく普通のマグル生まれ。その時改めてドラコとの違いを思い知った。「行こうか?」「もうちょっと心の準備させて!」なんてやり取りを数度繰り返した後、ドラコはちょっとおかしそうにやれやれと頭を振って、私の両肩に手を置いた。


『そんなに緊張しなくたって大丈夫だ。両親にはあらかじめ君がマグル生まれであることを伝えたと話しただろう?その上で会いたいと言ってもらえたんだ』
『うん……でも、』
『大丈夫、君は存外肝が据わっているからな。いざ両親を前にすれば落ち着いて話せるさ。僕もついていることだし』
『そうなんだけど……!』
『さあ、いい加減中へ入ろう』


そうしてドラコに手を引かれ、ついにマルフォイ邸へ足を踏み入れた。最初に迎えてくれたのは屋敷しもべ妖精で、ご両親は客間で待っているからと私達を案内してくれた。

この日の前にドラコには、ご両親に私がマグル生まれだと伝えておいてほしいと頼んであった。当日打ち明けるより前もっての方が、お互い覚悟というか心の準備ができ良いかなと思って。それでドラコの言う通り、すべて理解の上でこうしてお家に招かれたんだ。そこまで不安がらなくたって大丈夫!……の、はず。

それでも最初に客間に入った時、どこか空気は重かった。椅子に腰かけていたドラコのご両親は、なんだか難しい顔をしていたし……。顔が引きつる私に気づいていたのかいなかったのか、ドラコはそのままお二人の前に私を連れて行った。


『父上、母上、彼女がカエデです』
『はっ、初めまして!カエデ・サクラと申します。本日はお忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございます』


ドラコに続いて自己紹介と挨拶と一礼をする。反応の無さに緊張がぶり返しそうになりながら顔をあげると、ご両親が揃って目を丸くさせていたのに気づいた。「貴女だったの……」と、ぽつりと呟いたのはお母さんのナルシッサさんだった。


『どうかしましたか?』
『ああ……。お前には話していなかったが、あのホグワーツでの戦いで私とナルシッサを助けてくれた娘がいた。それが……どうやら彼女だったらしい』
『そんなことが!?』


ドラコは驚いたようにご両親と私を交互に見遣った。そ、そう言えばドラコには伝えていなかったかもしれない。あの時、ご両親がドラコを探していたとは言ったけど、私が助けたとかは全く。その後もなにかと忙しくって忘れちゃってたし……。あの時はこんな日が来るなんて思いもしなかったもの。

些細な出来事だったけど、あのおかげでご両親からの印象は良くなったと思っている。初回こそぎこちなかったが、段々と“マグル生まれの私”でなく“カエデ・サクラという一人の人間”を見てくださるようになったから。そうして紆余曲折を経て、無事に結婚を認めてもらえた。


「――君、女性を見る目だけはあったんだね」
「だけとはなんだ」


話し終えたあとなんだかちょっと恥ずかしくなって、それを誤魔化すように冷めてしまった紅茶を飲み干した。そしたら、ハリーがしみじみといった調子でドラコにそう言った。片眉を吊り上げるドラコに「そのままの意味さ」と返したハリーは、今度は優しい目で私を見る。


「本当におめでとう、カエデ。なんだか僕まで嬉しいよ」
「ありがとう、ハリー」
「それから、マルフォイ」
「……なんだ、ポッター」
「カエデは学生の頃もずっと僕のことを信じてくれていた。僕の大切な友達だ。カエデを悲しませたりしたら許さないからな」
「そんときゃダンブルドア軍団総出でマルフォイを絞ってやるさ、ああ」
「ハリーが声を掛ければきっともっと集まるわ」
「……いったい何人になるの?」


三人とも冗談っぽく言うけれど、もし万一そんなことが起きたら本当に実行しそうだ。……実行しそうだし、できるからなぁこの人達なら。ドラコもそう思ったのか、そして想像したのか、嫌そうに顔を顰めていた。しかしすぐに、フッと鼻で笑い飛ばしてみせる。


「君に言われるまでもなく、絶対にそんなことはしないさ。そうだろう?カエデ」
「うんっ!」


そう言って私の肩を抱くドラコに微笑み返す。ハリーもロンもハーマイオニーもやっぱり笑顔で、学生時代では考えられないほど穏やかな時間が過ぎて行った。


***


そして迎えた結婚式、私は人生で最高に緊張する日を更新していた。ハーマイオニーが式の始まる前に控室まで会いに来てくれて良かった。お陰で多少緊張も緩和されている。それでもそわそわと落ち着かない私に、ハーマイオニーは呆れたようにため息をついた。


「あなたってそんなに緊張するたちだったのね。あのマルフォイ夫妻に結婚を認めてもらうくらいだから、もう怖いものなんてないでしょうに」
「それはそれ!これはこれだよ!」


この結婚式で、私の絶対に外せない希望は二つだった。一つは式のスタイル。これまでにいくつかの結婚式に参列したけれど、私の心に一番残っていたのはビルさんとフラーさんの結婚式だった。あんなお天気の気持ちの良い日に、あたたかく賑やかな雰囲気で笑顔が溢れる中で祝われたいと思っていた。……あんまり厳かな雰囲気だと私が緊張しちゃうってのも理由の一つだったけど。

もう一つは、友人やお世話になった人達をたっくさん呼ぶこと。私の方だけでも、家族にホグワーツ時代の友人に先生方、不死鳥の騎士団のメンバーに卒業後お世話になった人達……と、招きたい人は大勢いた。それに加えてドラコ側の招待客もいるから、参列者が大勢になることは覚悟していた。だけど……だけど!


「どうしてマスコミ関連の人まで大勢来てるわけ!?」
「そりゃあのマルフォイ家とマグル生まれが結婚だなんてトンデモニュースだからなぁ」
「今度『魔法史』の改訂版の編集するんだろ?君の結婚式のネタも入れたら?」
「それいいね。どう?カエデ」
「ちょっと!あなた達は外で待ってなさいって言ったでしょう!」


突然顔を覗かせたのはジョージとロンとハリーだった。言いたい放題言ってすぐにハーマイオニーに追い出されてたけど。なんだったのあの嵐みたいな人達……。やれやれと扉を締め直したハーマイオニーは、私を振り返り肩を竦める。


「……あのね、カエデ。さっきロンが言ってた、改訂版『魔法史』にあなた達の結婚の項目を入れる案、私も良いと思うわ」
「えっ!?なに言ってるのハーマイオニーまで!」


改訂版『魔法史』の編集は私が最近受けた仕事だ。バチルダ・バグショットさんが執筆したそれを更に精査し、修正と近年の出来事を加筆する予定になっている。それになんで私の個人的なことを!?ハーマイオニーはくすくす笑いながら私の手を取った。


「これまで例え愛し合っていても、その血と時代のせいで泣く泣く離れたカップルは大勢いたはずよ。今ですら一緒になることに二の足を踏む人達が多いと聞くわ」
「うん……」


昔と比べて純血至上主義やマグル生まれを下に見る傾向はだいぶ緩和されてきた。ホグワーツでも、スリザリン寮の子が他寮のマグル生まれの子と付き合っているケースをよく聞くようになった。喜ばしい進歩……だけど、結婚となると難しいらしい。当人たちというよりは、彼らの親世代以上の人達が。ハーマイオニーは私の手をぎゅっと握って続けた。


「二人の結婚は、いわば魔法界の改革よ!血筋や家系を乗り越えたあなた達の深い愛に憧れ、そして勇気づけられる人はきっとたくさんいるわ」
「!」
「私、カエデがずっとマルフォイを愛し続けていたこと誇らしく思うわ」
「ハーマイオニー……」


「結婚おめでとう、カエデ」ハーマイオニーは涙で潤んだ目でそう言って、私を抱き締めた。

――時間が来た。今にも泣きそうな、それでいて嬉しそうな表情をしたパパと一緒にバージンロードをゆっくりと歩く。その先で待っていたドラコは、とろけそうな笑みを浮かべながら私に手をさし伸ばした。ドラコの隣に並ぶと、後ろからうっとりとした溜め息が聞こえてくる。思わず、フラーさんの結婚式の時の自分を思い出した。


「汝、ドラコ・ルシウス・マルフォイは、カエデ・サクラを……」


ちらりとドラコを見上げると、視線に気づいたドラコが柔らかく微笑んだ。――“あの頃”は、夢見た結婚式で隣に立つ人の顔は朧気だった。それが今は違う。ずっとずっと大好きだった人が、隣にいる。


「――愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います。永遠に」


誓いの言葉とキスを交わす。にこりと笑んだ魔法使いが杖を高く掲げると、私とドラコの頭上に銀色の星が降り注ぎ、螺旋を描きながら取りまいた。そして、鈴の音がかき消されそうなほど大きな拍手と歓声がわっと上がった。

- ナノ -