ジギタリスの憂鬱

9と3/4番線



残りの夏休みは、ロンドンへお買い物へ行ったりイギリスのいろんなところを観光して過ごした。私にとっては初めての海外だから、魔法界でなくっても何もかも新鮮で楽しかった。それ以外の日はダイアゴン横丁で買った教科書や本を読んで過ごした。これがまた興味深いものばかりで、もう何度も読み返した。ホグワーツでの授業を受けるのが楽しみだ。それからソフィおばあさんの家にも遊びに行き、魔法を見せて貰ったりおしゃべりしたり本を借りたり、とても有意義な時間だった。

そして月日はあっという間に流れ、ついに9月1日になった。今日はいよいよホグワーツ魔法魔術学校へ行く日。学校まではキングズ・クロス駅からなんと汽車で行くそうだ。イギリスには魔法界行きの汽車なんてあるのかなあ、なんて思いながら朝ご飯を食べ終えた。今日もソフィおばあさんが駅まで付き添ってくれることになっている。だから、朝ご飯の後は身支度を整えたり、荷物の最終チェックなどをして時間を潰した。

制服などの衣類も教科書も、その他必要なものは全てトランクと手持ちの鞄に入っている。ふくろうの籠はとりあえずトランクの上にでも置いておこう。ダイアゴン横丁で買ったふくろうには、『キルケ』という名前を付けた。最初は正直少し怖かったけど、夏休みの間にもうすっかり可愛いペットという印象に変わった。今は機嫌良く私の部屋を飛び回っている。


「楓、ソフィおばあさんがいらっしゃったわよ」
「はーい!」


***


キングズ・クロス駅は人でごった返していた。だけど駅には魔法使いっぽい人はあまり見当たらない。大きなトランクとふくろうの入った籠の乗せたカートを引く私の方がむしろこの場で浮いているような気がして……ちょっとだけ不安になる。


「ねえソフィおばあさん、ホグワーツ行きの汽車はどこから出るの?」
「先生から貰った切符を見てごらん」
「えっと……9と4分の3番線から、11時発」
「この9と4分の3、ってどういう意味なんですか?プラットホームは9番か……10番、しかありませんし……」


私が読み上げる切符を後ろから覗き込みながら、ママは訝しげに言った。うーん、確かに「9」の次は「10」しかない。いったいどこから乗ればいいの……?私達家族が困惑していると、ソフィおばあさんはくつくつと笑いながら「こっちだよ」と手招きした。


「あの柵へ向かって歩いて行けばいいんだよ」
「柵……?」


ソフィおばあさんが指差したのは、9番と10番の間にある柵だった。……どう見ても、ただの普通の柵。困って見上げるとソフィおばあさんはにっこりと笑った。


「さあさ、怖がらずに行っておいで、カエデ!!」
「わあっ!?」


それからドンッと勢いよく背中を押された。慌てて振り返ろうとしたが、カートの走る勢いと人の波に流されてそのまま――


「――あ、あれ?」


ぶつかる!そう思って目をぎゅっと瞑ったのだけど、いつまで経っても衝撃も何も来ない。恐る恐る目を開くと、目の前に広がるのはプラットホームと紅色の蒸気機関車だった。ぽかんとしていると背後から「楓!」とパパの声。今度こそ後ろを振り返ると、ソフィおばあさんに連れられて柵を抜けたらしいパパとママがいた。


「ほぅら、確かにここだったろ?」


にっこり笑うソフィおばあさんに、気が抜けた私は力無く笑い返した。

腕時計を見ると時刻はちょうど10時半を差していた。汽車の出発は11時で、まだ少し時間がある。汽車にはもうすでに人がたくさん乗っていたので、ソフィおばあさんに勧められたとおり先に席を探すことにした。後ろから二つ目の車両に空いているコンパートメントを見つけた。荷物を置いて、もう一度パパ達のところへ戻る。


「忘れ物はないわね?」
「うん、ないよ」
「頑張れよ、カエデ。落ち着いたらでいいから手紙を書いてくれよ」
「わかった」
「しっかり勉強するんだよ。魔法も、英語もね」
「はい!」


短い会話のあと三人に順番に抱き締められ、それから私はまた汽車に乗った。コンパートメントからは、少し離れているけれどパパ達の姿が見える。笑顔で手を振りながらも心の中は不安でいっぱいだった。日本にいた時と違ってこれからは寮生活が始まるんだ。外国暮らしに魔法に寮、慣れないことばかりが待ち受けている。楽しく過ごせるといいな。


「ここ、空いてるかい?」
「あ、はい。どうぞ」


ぼんやりと窓の外を眺めていると突然がらりと戸が開かれた。振り返ると入り口にいたのは三人の男の子だった。無愛想で大柄な二人が、プラチナブロンドで少し青白い顔の子の両脇に立っている。「どうぞ」と促すと三人はコンパートメントの中に入り席に着いた。

プラットホームや車内の騒がしさが増してきた。時計に目を落とすと、もう11時。出発だ、と思った次の瞬間に汽笛が鳴った。外にいるパパ達を探して手を振る。汽車が動き、三人の姿は徐々に見えなくなっていった。


「あの、あなた達も新入生なの?」
「ああ。僕はドラコ・マルフォイ。こいつらはクラッブとゴイルだ」


窓の外の景色が駅のプラットホームから変わった頃、少し緊張しつつ私の向かいに座ったプラチナブロンドの男の子に話しかけてみた。マルフォイくんはちょっぴり偉そうな態度ではあるが、自分と友達二人の名前を教えてくれた。クラッブとゴイルと紹介された二人は、無愛想なまま軽く頭を下げるだけ。


「君は?」
「カエデ・サクラです。よろしくね」
「サクラ?聞いたことないな。君は東洋人のようだけど、純血なのかい?」
「ううん、私、マグル生まれなの」


魔法界には私のようなマグル生まれ以外に、生粋の魔法族である純血の魔法使いと、片親が魔法使いである半純血の魔法族がいるとソフィおばあさんから教わった。そう言えば、「マルフォイ」という姓はソフィおばあさんの家で読んだ『純血一族一覧』という本に載っていた覚えがある。ということはマルフォイくんの家は長く続く純血の家系なのか。

純血の人なら魔法界のことや魔法のことも詳しそうだからいろいろ教えてもらいたいな、と思ったが、先程の会話から彼らの反応がどこかおかしいことに気付いた。マグル生まれであると答えると、マルフォイくんは「だと思ったよ」と嫌な笑みを浮かべながらクラッブくんやゴイルくんと目配せした。その二人も私をちらりと見てニヤニヤと笑う。


「……?あの、マルフォイくん」
「ああ、マグル生まれごときが気安く僕に話しかけないでくれるかい?やれやれ、どうりでこのコンパートメントだけ空いていたはずだよ」


マルフォイくんが鼻で笑いながらそう吐き捨てると、あとの二人は今度は声を上げて笑った。言われたことが理解できず呆けてしまう。そんな私をマルフォイくんはせせら笑った。


「よろしければコンパートメントを替えてもらえないかい?ホグワーツへ着くまでマグルと同じ空気を吸うなんてごめんだからね」
「……っ!言われなくっても!」


馬鹿丁寧な物言いに、もう理解した。彼は、彼らは私のことを見下している。原因はどうしてなのかわからないけれど、私がマグル生まれだから。頭がカッとなり勢いのまま立ち上って廊下へ出て行く。閉まりかける扉から聞こえた笑い声に私の怒りは増すばかりだった。


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