第二回 | ナノ

「神峰くんは、鳴苑?」
「おう。みょうじは…天籟、だったか。」
うん、と小さく頷いて唇を指先で撫ぜるみょうじ。オレンジのマフラーを風に飛ばされないように抑えながら、トロンボーンの入ったケースを抱いて、体育座りの足を寒そうにすり合わせる。なんだか、見てはいけないものを見たようで、恥ずかしくなって顔を背ける。
「高校でも吹奏楽部やんのか?」
「うん…強豪だから、多分大会は出れない、かも、だけど…」
自信がなさそうに俯いて、眉をハの字に歪ませる。彼女の心がすこし沈むのを見て、咄嗟に「あ…」という声が漏れる。
「…どうしたの?」
今度は不思議そうに問う。くるくると変わる表情に、何故だか安心を覚えるのは、きっと自分だけではないだろう。
「いや…そんな思いつめることはないんじゃねえかって…思って。みょうじが毎日練習してきたのは、知ってる、し。」
「…!」
言い馴れない言葉のせいで少し耳が熱くなる。つられたように彼女も頬を赤らめて嬉しそうにはにかんだ。
ざわざわと吹く風が熱い顔を冷ましていく。目を閉じると、隣の彼女が小さく息を吐いた。絶対音感。この風も、彼女にはひとつの音楽に聞こえるのだろうか。


「吹奏楽部を…やめた?」
ディスプレイに写る文字を、そのまま反復する。風呂上りでまだ濡れた髪から、ぽたぽたと水滴が垂れた。無感情に簡潔な文面。でも理由は聞けない。きっと自分には何も出来ないし、この関係を崩したくない臆病な自分が、居るから。
「…くそっ。」
入学してもう二ヶ月がたった。オレは未だに、一歩を踏み出せない。

天籟ウィンドフェスの招待が来て、オレは刻坂や音羽先輩達と天籟の見学に来た。
「(広…)」
ここに、みょうじが居たのかと思うと不思議な気分になる。そっとドアのガラスから中をのぞき見る、と
「みょうじ…!?」
何故だか、彼女が居た。止めたと聞いていたのに、指揮に合わせて、楽しさに溢れた心でトロンボーンを吹いている。
心に鉛を詰め込められた気がした。
その後、紆余曲折ありながら天籟を後にしようとすると、聞きなれた声に呼び止められた。
「悪ィ刻坂。先…いっててくれ。」
オレの声のトーンに何かを察したように刻坂が先輩達と夕方の闇に消えてゆく。
「…えっと…」
「…」
呼び止めた側である彼女はずっと黙ったままで、心の中はめまぐるしい速さで移り変わっている。
「ひ、ひさしぶ、り。」
「お、おう。」
お互い、あまり話すのが得意ではないこともあるのだろうか。そんな無難な言葉が彼女の第一声。
「その…吹奏楽部は止めたけど、トロンボーンを止めたわけじゃ、なかったの。」
「…。」
「音楽の時間にね、先生が冗談で音当てゲームを始めたの。それで、その、私が全問正解したら、隣の席の男の子が吹奏楽部に入らないかって…誘ってくれたの。」
どうやらその男子は随分強引だったようで、みょうじが暇な時を見計らっては吹奏楽部の見学に連れていかれ。
そこで、サックスを吹く、その心底気持ち良さげな姿に、初心者だった頃を思い出したというのだ。
止めた理由がスランプと人間関係だっただけに、その男子の姿が凄く救いになった、らしい。
「神峰くんには、心配かけちゃってごめんなさい。」
ぺこりと頭を下げた彼女にふつふつと仄暗い感情が湧いてくる。知らずに、喉がきゅ、としめられる。
「よかった、な。」
「…うん!」
嬉しそうに、はにかむ姿は確かに自分が知っているものなのに。
どうしてなのか。
みょうじなまえではない、違う人間に見えた。

天籟ウィンドフェスで、みょうじの言っていた男子が誰なのか、ようやくわかった。
「オレぁ弾徹也っつーんさ。天籟の一年サックス。」
そいつは飄々としたやつで、ハリウッド万歳の時も、心の底から心地よさげなのが伝わった。八ヶ月とは思えない上手さで、これから俺達の前に立ちはだかるライバルなのだと思うとわくわくした。
でも。そうか、こいつにみょうじは救われたのか、と思うと、また、オレの喉は少しだけ絞められる。
「神峰くん、その、一緒に帰らない?」
トロンボーンのケースを抱えて、オレンジのマフラーに口まで埋もれさせたみょうじが声をかける。了承すると周りがまた騒ぎ出したけど、よく聞き取れなかった。
「寒いね。」
「な。」
帰り際に、弾とみょうじが楽しげに談笑しているのを見かけてから、ずっと上の空だ。もやもやとした何かが自分の中に巣食っているのがわかる。
「…なあ、みょうじ。」
「?」
「…すき、だ。」
「…わたしも、です。」
恥ずかしさをおしてそう言うと、耳まで真っ赤になってそう返すみょうじ。心まで真っ赤になっていて、すこしだけ安心した。
「…いきなりだね。」
「…だって、」
その先を言いかけて、飲み込んだ。そうだ、これはやきもちだ。オレの勝手な気持ちを、彼女に押し付けちゃいけない。
「どうしたの?」
今度は心配そうに聞いてきて、罪悪感に襲われる。言っていいのだろうか。でも。
「下らねェことだから、大丈夫。」
そう言って笑うと、不意にみょうじが立ち止まった。つられてオレも立ち止まると、鞄を持っていないほうの手をきゅ、と握られる。
「え、」
「、神峰くんが話してくれるまで、待ってるよ。」
おんがえしだから、と言って、恥ずかしそうに俯いた。
「恩返し、って…」
「…神峰くんが、私に勇気をくれたから。」
脳裏に、一年前の冬が思い出される。

「一年遅れだけど、ありがとう。」
にっこり笑う彼女に、もうオレは、喉を絞められることなんて無かった。





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