予定されていた日吉と萌乃の勉強会は、部活動停止期間になったその日からテスト前日まで毎日続けられた。最初は鳳と樺地も着いて行く事が多かったが、2人がいると萌乃の気が抜けるのを見兼ね日吉は2人には別の場所で勉強するよう指示を出した。
日吉の教育はスパルタそのもので、静かな自習室だと怒鳴り声が響いて他の利用者の迷惑になる為、2人の勉強場所は飲食や雑談などが可能な休憩所が常となっていた。最初のうちは駄々をこねていた萌乃も段々と集中力を身につけ、最後の方は日吉もちゃんと自分の勉強に集中出来るようにまでなっていた。
その甲斐あってか。
「やったーー!!」
「…まぁまぁだな」
下手したら全教科赤点ギリギリ、もしくはアウトと予想されていた萌乃の答案用紙は、これまで見た事がない点数で潤っていた。中には80点代のものもあり、初めて見る高得点にとにかく彼女は浮かれた。
「これも全部若のおかげですありがとう!」
「当たり前だ」
ぶっきらぼうに言い放っているがその表情は満更でもなく、感動して手を取ってくる萌乃の事も今は突き飛ばしていない。その事も更に彼女を喜ばせたのか、今にも隣のクラスの鳳と樺地の元へ報告しに走り出して行きそうな勢いだったので、それは流石に襟首を掴んで引き止めた。
「まだ授業中だぞ」
「そ、そっか。でもご飯は4人で食べようね!」
「今更だろ」
「うん!」
お疲れ様お兄ちゃん、という周りの野次にも今はさほど腹が立たない。実際問題、部活に入っている者が赤点を取ると何かと面倒な事が多いので(特に運動部)、彼女がこれで弓道に集中出来ると思うと割と心底安心した。そんな気も知らずにニコニコと阿保面を浮かべている萌乃の頭をコツンと叩き、日吉はそのまま自分の席に座った。
***
テストから数週間が経ち、季節は完全に夏になった。つい先日から制服も夏服仕様になり、校内全体がパッと明るくなった印象を受ける。
そして、弓道部とテニス部は共に7月から関東大会が開催される。テニス部は既に地区予選と都大会を終えており、それらは余裕綽々といった感じで勝利を手にした。弓道部は部自体が都内にあまり普及されていないので関東大会が最初の大会となり、各々全国大会への切符を掴み取る為に必死になっている。
「今日も疲れたー…」
「本当だよね…先輩達は更に今から自主練してるんだから、本当に尊敬するよ」
お馴染みの4人で帰り道を歩いている時、そんな弱音を吐いたのは萌乃と鳳だ。弓道部は道場自体が閉まってしまう為部活時間外の居残りは出来ないが、テニス部は近くのテニスコートを借りてまで自主練をするという。勿論コート数は限られているのでレギュラーの中でも更に有志の者のみとなるが、それでもその熱意は計り知れない。
「いつかは俺達もやる事になるんだ」
「うん、そのつもりだけど…今はまだ慣れるのに精一杯だよ」
「ウス」
相変わらず指摘をする日吉だがその口調はいつもに比べて覇気がなく、彼もまだこの後に更に練習出来るほどの体力は無い事が伺える。テニス自体が初めてな3人にとってまだまだ課題は沢山ある。その辺りは昔から弓道を嗜んでいる萌乃とは差があるので、彼女は何も口を挟まずに3人の会話を見送った。
「夏休みは遊べなさそうだねぇ…」
「当たり前だろ。そんな暇があるなら練習する」
「でも息抜きだって必要だよ。だからたまには日吉の家で遊ぼうね!」
「ウス!」
「待て、なんで俺の家決定なんだよ。樺地もそこだけ元気良く返事するな」
むくれる日吉を囲んで3人は笑い、間もなく分岐点に辿り着いたので解散した。
家に入ると萌乃は大声でただいまー!と叫び、両親の返事を聞きながらまず2階の自室へ駆け上がって行った。この2ヶ月ですっかり着慣れた制服をさっさと脱ぎ捨て、適当にハンガーにかけてから部屋着に着替える。
「あらやだ、まーたそんなボロボロの服着てー。少しは女の子らしくしなさーい」
「寝巻きだからいいの〜。わー唐揚げだ!やった!」
飾り気より食い気な我が子を見て母は苦笑するが、その笑顔につられて結局どんぶりにご飯をよそう。女子とはいえ食べ盛りの、しかも運動部に入っている中学生の食欲は半端じゃなく、本当にお腹が空いている時は更にもう一杯お代わりする事もある。今日はそのお腹が空いている時に当てはまりそうだったので(なんせおかずが萌乃の好物の唐揚げだ)、母は最初から大盛で用意した。
「おかえり萌乃ー。部活はどうだ?」
「ただいまお父さんー。うん、1年生の練習も本格的になってきてちょっと疲れたー」
「まぁまぁ良い事じゃないか。若君達も順調か?」
「テニス部もハードだってー、今日帰り道4人で死んでたよー」
食卓に座ってご飯が来るのを待っている間、2人は他愛も無い話で時間を潰した。萌乃の食べ物好きはこの父から受け継がれているので、ご飯が来てからの意識は全てそっちに持って行かれる。
「そういえば父さんと同じ会社の息子さんもテニスをしてるらしくてなぁ、毎日泥だらけになって帰ってくるそうだ」
「へぇー、アクロバティックの選手なのかな?その人!」
つい最近知ったアクロバティックという単語は、言うまでも無く向日がその系統に当たるから覚えたもので、それでも萌乃はさも自分の知識かのように自慢げに言った。些細な事でも博識に見せたい年頃である。両親もそれに気付いてか目を合わせてから微笑ましそうに笑い、あえてアクロバティック選手って?と問いかけた。待ってましたと言わんばかりの質問に彼女の声のトーンが1つ上がる。
「凄いんだよ、コートで宙を舞ったりしながら打ち返しちゃうんだから!」
「アクティブなプレイスタイルねー」
「じゃあ、真田さん所の息子さんはそのアクロバティック選手なのかもしれないな」
「多分ねー!」
それからはご飯が机に並べられたので食べる事に集中し、母の予想通りもう一杯お代わりしてから萌乃は食事を終えた。関東大会まで後1ヶ月、自分がそれに出る訳では無いが彼女のやる気は高まる一方だった。