「そういえば萌乃、犬元気か?なんだっけ、チコ?」

「そうですチコです!おかげさまで元気ですよー、ちょうど昨日やっとお手を覚えてもう家族皆大興奮です!」



予想通り教科書類が散らばっている状態で勉強会は中断され、萌乃は話しかけてきた向日に嬉々とした様子で返事をした。傍目でそれを見ている日吉はかなり面白くなさそうで、というよりも勉強の邪魔をされた事が不服で堪らないのだろう。



「大体、先輩達だってテストじゃないですか。いいんですかこんな所で油売って」

「俺はいっつもテスト前あとべがプリント作ってくれるから、それやれば大体いけるC〜」

「とことんジロー先輩に甘いですね、跡部部長…」



その話には流石の鳳も苦笑である。日吉に至っては盛大な溜息を吐き、もはや彼に先輩を敬う気など微塵も見られない。



「今に始まった事じゃないけど、跡部先輩凄いですねー。次の大会もシングルス1なんですよね?なのに勉強も余裕って…!」

「そうだよあとべは凄いんだよー!なんでも1番なんだから!」



何故お前が威張る、というツッコミが四方から飛んできそうな勢いで言い放ったジローだが、その言葉には純粋な意味合いしか含まれていないので誰もそこは触れない。そしてそれを聞いた萌乃も彼と同じくキャッキャと騒ぎ、此処にいない跡部の話で一層盛り上がりを見せる。



「で、あとべ何て言ったと思う?そんなものは全部俺に任せろって!」

「きゃあああぁかっこいいーー!」

「うるさい」



数々の跡部武勇伝を聞くうちにテンションが最高潮になったのか、萌乃は足をジタバタさせながらそう叫んだ。間髪入れずに入った日吉の平手も今は全く効かず、彼はなんなら2人同時に殴ってしまおうかと試みたが、流石に仮にも先輩の芥川にそれをやるのは気が引けたので、試みるだけに留まった。

結局それからも2人の話は数十分程続き、最終的に騒ぎ疲れた芥川が寝る事によって一度幕を閉じた。やっと解放されたと言わんばかりの日吉に、これまた萌乃が何の悪気も無い様子でどうしたの?と顔を覗き込む。



「若、顔疲れてるよー」

「すげーなお前、テンション上がったジローとまともに会話出来る奴って早々いないんだぜ」

「俺ですら途中で疲れっかんなー」



褒めているというよりかはただ単に感心しているだけなのだが、それでも萌乃は若干照れ臭そうに頭を掻いた。そんな彼女を見て鳳と樺地は優しい表情を浮かべるが、日吉だけは更に機嫌を悪くする一方なのは、もう言わなくともわかるだろう。



***



そんな賑やかな休日を終え、月曜日。



「…どうしよう、若」

「俺は知らん。昨日勉強を放棄した奴にかける言葉は無い」

「若ーー!!」



返却された小テストを目の前に呆然と立ち尽くしていた萌乃は、冷静に通り過ぎて行った日吉の背中に飛びつき助けを乞うた。何か困り事があると決まって披露されるこの光景に、クラスメイトは慣れた様子で笑っている。また子供がグズり始めた、と萌乃を指すその言葉は今まで幾度となく聞いてきた。



「どどどどうしよう、ウチの部赤点取ったら筋トレが倍になるという噂が」

「だったら自分で勉強するまでだろ」

「そうだけどぉおお!チコが可愛くて可愛くて家じゃとても」

「じゃあ図書館でも何処でも行け馬鹿!」



もっと優しくしてやれよお兄ちゃん、という不本意すぎる野次には全力で舌を打つ。元来日吉は周りに馴染むタイプではなく、小等部でも萌乃、鳳、樺地以外に友達と呼べるほど親しい人物はいなかった。しかしそれが変わったのは中等部に入学してからのつい最近で、なんだかんだ萌乃に世話を焼いている姿を見て周りも彼に対しての壁が低くなったらしい。それが良いのか悪いのかは、素直じゃない日吉が口に出せる事ではない。しかし、これまでとは違った扱いに苦戦しているのは目に見えてわかった。



「若は着いてきてくれないの?」

「お前といたら自分の勉強が出来ない」

「じゃあ、ちゃんと質問タイム決めるから!」

「…お前なぁ」



いい加減突き放したい所だが、視線を下げればそこには彼女が溺愛している犬のチコにそっくりな目がある。しっかりと見つめてくるそれは飼い主に餌を求める犬そのもので、日吉は諦めたように椅子に座った。



「部活が活動停止期間になったら行くぞ。俺は行くからには毎日行くからな」

「わかってます!」

「途中で駄々こねても知らないぞ」

「勿論です!」



それからもいくつか条件を付け、日吉は渋々、萌乃は大歓喜でその約束は成立した。部活動がテスト前に停止になるのは1週間前からなので、2人が図書館に通う事になるのは来週からだ。これほど先が読めている苦労も珍しい、と愚痴を吐きつつ、彼はなんだかんだで目の前の犬を放って置けない自分に1番腹を立てた。


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