「今日は、次に行われる大会のメンバーを発表します」
忍足先輩と(多分)仲直り出来たからと言え、いつまでも浮かれている訳にもいかない。顧問の先生がそう話し出せば皆は背筋を伸ばして正座をし、空気がガラリと変わったのがすぐにわかった。
なんでこんなにも堅い空気なのかというと、3年生はこれが最後の大会になるのだ。氷帝は毎年全国まで行ってるから実際引退するのは8月末頃になるだろうけれど、それでも最後な事には変わりない。
「1人目!三笠!」
「はい」
選抜メンバーは5人プラス補欠の2人で、計7人。私の大好きな三笠先輩は当たり前のように名前を呼ばれ、その凛とした姿勢のまま低めの声で返事をした。3年生は全部で12人で、まだ呼ばれてない他の先輩達は目をぎゅっと瞑って唇を噛み締めている。そんな先輩達の表情を見て、私達も思わず下唇を強く噛んだ。
そして数分後、先輩達の表情はくっきりと明暗に分かれていた。
「梶原先輩、やっぱり駄目だったね」
「うん…なんか私が悲しいよー」
傍で友達が小声で話しているのを聞いて、視線を梶原先輩に向ける。梶原先輩は先輩達の中でも1番優しくて、後輩からは1番好かれてる存在の人だ。でも、去年早気(はやけ)になってしまって以来記録は下がる一方だったらしい。早気というのは中々直らない悪質なクセで、いわば弓道の中の病気みたいなものだ。普通弓道では、弓を引ききってから矢を離す前に、一度そのままの状態で停止する必要がある。でも早気はその停止がどうしても出来なくなって、酷い人には弓を引ききる前に放っちゃう人もいる。
「大会メンバーは今から1時間二十射!それ以外の3年は的前自主練!2年は1年の射法八節を2人1組になって確認してあげる事!以上、練習開始!」
パン!と先生が手を叩いたのを合図に、私達は弾けるように各々の持ち場についた。私が見るよ、と声をかけてくれた先輩を前に、すっかり体に染みついてる射法八節を披露する。正直今更感が否めないのは先輩も同じなのか、牧田はもういいよね、と苦笑された。だから私も苦笑で返して、盗み見るように3年生の方へ目を向ける。
「あ、…」
思わず出してしまった声はなんとか一瞬にして堪え、周りにその声が漏れてないか確認する。良かった、聞こえてないみたい。そうやって1人で安心してからまたそこに視線を向ける。でも、確かに泣きそうな顔をしていた梶原先輩は、そうした時にはもういつもの笑顔になっていた。そしてそのまま的前が空くのを待つ間に弓の手入れを始める。
「牧田、やる事ないならロードワークしてきな!」
「はい!」
ボーッとしていたのを見抜かれたので、私は反射的に道場から飛び出した。
…梶原先輩は、ずーっと三笠先輩と仲良しだったと聞いた事がある。それが梶原先輩の早気が悪化するにつれて疎遠になっちゃって、今では部活の内容以外で話している所を見た事がない。きっと普通はそれを嫉妬のせいにするんだろうけど、
じゃあ、あの三笠先輩のとてつもなく悔しそうで寂しそうな表情は何なの?
私の頭ではどう頑張ってもその答えが出てこなくて、もう無我夢中でランニングを続けた。忍足先輩との喧嘩で自分のお節介さは充分身に染みたのに、どうにも大好きな2人の先輩が気になって仕方ない。駄目、忘れろ、忘れろ!
「うわぁっ!?」
「熱心なのはえぇ事やけど、怪我したら元も子もないで」
とか思ってる時に忍足先輩登場!!目を丸くして口を大きく開けて驚いている私に、忍足先輩は呆れたように溜息を吐いた。その仕草はこれまでも何回か見た事があるけど、いつものような棘は感じられない。と思う。
とりあえず先輩に受け止められている状態から抜け出し、頭を下げてごめんなさいと謝る。まだまだ昨日の今日だ、そんな馴れ馴れしい態度はとれない。
「自分はいっつも焦っとるなぁ」
「そ、そう見えますか?」
「俺の次はどないしたん」
ロードワークという名目で出てきた手前、一応それをしない訳にはいかない。だけど先輩は私の話を聞いてくれるのか、小走りにも満たないスピードで隣にいてくれる。
「お、俺の次って事は、先輩の事はもう気にしなくていいんですね?思い違いじゃないですよね!?」
「あーもうえぇって。気迫負けや。自分、女っちゅーか犬みたいやし」
「い…?」
そ、それはそれでどうかと思うけどまぁここは流しておく。ていうか先輩、話を切り出してくれた割には凄く不満そうな感じもするんだけど…えぇいいいや!考え始めたら止まらない!
そうして私は、部外者もいいとこな先輩に自分の部活の事についてぼそぼそと、まとまりなく話し始めた。おん、という相槌の声があったのは最初だけで、段々と無言で頷くだけになる。それでも、溜め込んでいた気持ちは中々収まらない。
「要は2人に仲直りしてほしいだけなんやろ」
「多分、最終的にはそうなるんだと思います」
「ほんま自分、俺で何を学んだねん」
「自分でも思います…」
つつかれたくない部分をもろにつつかれ、思わず肩ががっくりと下がる。これは優しさでもなんでもないただのお節介なのだ。
「3年のゴタゴタに自ら介入しようなんて、物好きにも程があるで」
「いや、でも私も三笠先輩と梶原先輩じゃなかったら別に」
「いーや、断言できる。自分は、誰が相手でも見逃せない奴が目の前におったら絶対にその都度悩んどる。俺がええ例やろ」
…確かに、忍足先輩となんて実際面識は無いに等しいのに、それでも私はあんな鬱陶しい事をした。思い返せば返すほど自分の失態が浮き出てきて、既に視界は地面しか映してない。
「わかってるはずなのに、わかってないんですよね」
「まさにそれやな。…ま、でも」
1人くらい、そういうのがいてもええんちゃう。
ワンテンポおいて言われた言葉に答えるのに、一体何テンポ要しただろう。勢いが良すぎるほど早く顔を上げれば、先輩はまた不満そうな顔で遠くを見つめていた。
「そう思ってくれてますか!!」
「え、いや」
「忍足先輩がそう言ってくれただけで救われます!ありがとうございます!」
「あの、いや、な?」
でも私はそれよりも、まさかの忍足先輩がそんな風に言ってくれた事の嬉しさの方が勝って、一瞬にして気持ちが躍り始めた。もうブレイクダンスでもしそうなくらい激しい。
そういえばいつだかも若が言ってくれた。お前のそういう所は長所でも短所でもあるな、って。長太郎は萌乃ちゃんはそうじゃなきゃ変だよって。樺ちゃんはウスって。
「ヘコたれないで頑張ります!」
「ちょ!…行ってもうた」
当たって砕けろ。自分がやらなきゃ誰がやる。やらない後悔よりやって後悔。そんな暑苦しい座右の銘ばかり気に入る私を、気に食わない人もいたかもしれない(自分が気付いていないだけで)。でも、ありがとうって受け入れてくれた人もいた。
「単純なとこも犬、ってか」
行きより確実に足取りが軽くなったのを感じながら、私は大好きな先輩達の元へ向かって走り出した。