俺の姉は、弟から見ても納得せざるを得ないくらいべっぴんや。小さい頃はそれこそよう遊んで貰てたけど、8歳年上の姉は高校に入るなり急に“女”になった。率直に言うと、まぁ男遊びにハマッた、て感じやろか。当時小学校低学年の俺は勿論姉の言うてる事の半分も理解出来てへんかったけど、それも年齢が上がるにつれて徐々に理解するようになって来て、中学生になったつい去年頃には完全に女子と話さなくなっとった。
別に、姉の事が嫌いな訳やない。確かに女としては最低やと思うけど、所詮家族は家族や。姉の事を女として見とらん俺からすると、その辺りはどうでもえぇ。でも、こういう女は気ぃ付けろとか、女は大体こんなんばっかとか、女の武器を使うて何が悪いとか。そういう話を聞いていくうちに、女はどいつも信用出来んと思うた方が早い、っちゅー結論に至った。
「忍足ってさ、お姉さんが原因で女の子苦手になっちゃったんでしょ?」
「…俺がいつそんな事言うた?」
「あ、やっぱり。前ポロッと言ってたからカマかけてみただけなんだけど」
―――なんていうどうでもえぇ事をふと思い出しとった、部活のペアストレッチ中。滝は俺の背中を押しながら唐突にそんな事を言い出した。思考見透かしたんちゃうか、とツッコミたくなるくらい核心をついてきたその言葉で一度姿勢を正し、後ろに立っている滝に視線を向ける。
「1年の最初の頃だったかな。皆で帰ってる時、たまたま帰り道で忍足のお姉さんと会ったじゃん」
「せやな」
「お姉さん美人だから、岳人とか皆浮かれてたじゃない?お姉さんもお姉さんで跡部がお気に入りみたいだったし」
「それがなんや」
「その時忍足、自分がなんて言ったか覚えてる?」
朝練で口論になって以来会話を交わしとらん跡部の声が、コート内に大きく響く。
「だから女は嫌いだ、って言ったんだよ」
その通りやった。俺は、女が嫌いや。傲慢で、狡猾で、都合良くて、したたかで、と、嫌いな箇所をあげたらキリがあらへん。まさかあない呟きを覚えられとったとは予想外で、俺はジッとこちらを見据えてくる滝の視線から逃げるように、再び前屈を始めた。
ぶっちゃけ言うと、女だけやなくて人間関係自体あまり好きやない。誰かに干渉したりだとか、そこで生まれる軋轢に対応するのとか、ほんまに面倒臭くてしゃーない。今日の跡部で改めて実感した。
「あぁ、嫌いやで」
自分でそう吐き捨てたと同時に、昨日のあの子の顔が頭に浮かんだ。そうすると更に俺の眉間には皺が寄る。滝はそんな俺を見て、困ったように苦笑しとる。
「自分だって、勝手に自分の中に入り込まれんのは嫌やろ?」
「そうだね、図々しいなって思うよ」
「それと一緒やん。何がそないおかしいん」
「…要は、意識の問題じゃないかな」
一拍子間を置いて呟いた滝は、その言葉の続きを言うんに随分躊躇しとったみたいやけど、一度跡部の方へ視線を向けてまた俺の顔を見てから、ようやく喋った。
「意識的に入り込もうとして入り込んできた人と、無自覚に入り込んできた人じゃ、全然違うと思うよ」
「忍足、滝!無駄話してる暇があるなら試合しろ!俺様が直々に相手になってるよ」
「え、じゃあじゃあダブルスしよーよー!跡部のペアは俺ー!」
滝の言葉が中々理解できんくてしばらく固まっとると、跡部は後ろにジローを引き連れてそう言って来た。ゆっくりと上を見れば、そこには挑発的な笑顔を浮かべとる跡部がおって、横におる滝は目を細めて微笑んどる。俺はそれを見て、乱暴にラケットをひったくるように取ってから、誰よりも先にコートに入った。ほんまにほんまに、面倒臭い。
***
「やっぱり、あの子が原因でイラついてたのかな?」
「…貴方って人は本当に」
今日の忍足は朝練の時点で相当機嫌が悪かった。その事は多分俺達の大半が気付いてたはずだけど、貴重な朝練の時間を無駄にする訳にはいかないと跡部は判断したんだろう。でも、結局そうやって見て見ぬフリをした事によって2人は口論になり、さっき跡部が試合を持ちかけてくるまでずっと険悪なままだった。
忍足に何があったのかは何も聞いていないから知らない。ただ、今日の移動教室の時に廊下で会ったあの子を見た時やたら沈んでたから、あれもしかして、と何となく思った。
「あいつの無駄すぎるお節介が原因ですね」
「そうなんだ。でもきっとそれ、無駄じゃないよね」
「さぁ、どうだか」
そう言った日吉の表情は楽しげで、俺もつられるように口角を上げる。
実際俺達はまだ出会ってから1年ちょっとしか経ってなくて(宍戸、ジロー、岳人は別だけど)、まだまだお互い探り探りの部分もよくある。忍足とペアを組んでる岳人だって、たまーに不満げな表情で愚痴をこぼしてるのを見る。でもその時の愚痴は決まって忍足自身の悪口ではなくて、なんでもっと素出してくんねーんだよ、などと言った駄々のようなものだ。
「時間はかかるだろうけど、良いきっかけになってくれたと思うよ」
「滝先輩が言うなら間違いないでしょうね。もっとも、その事にあの馬鹿は気付かないでしょうが」
「悩んでるの?」
「鬱陶しいくらいに」
淡々と話す日吉の行動は早くて、最後にネクタイをきっちりと締めてから、失礼します、と早々に部室から出て行った。その後を長太郎が急いで追いかけて、俺はその後ろ姿を見送る。きっとあの子の元に行くんだろう。その時視界に入った忍足は相変わらず納得のいってない表情だったけど、俺はその表情に安心感しか芽生えなかった。もう、大丈夫だ。