「明日の夜、時間もらえませんか」

久しぶりにやって来た後輩。彼は無表情でそう言った。なんだなんだ、告白? そう軽口を叩ける雰囲気ではない。



後ろ手に隠されたもの





部活を終えた生徒が我が家へと帰る時間。自転車の荷台に乗せられ、どこへ行くとも告げられないまま街から遠ざかる。ぴしぴしと頬を刺す12月の空気を切って、ぐいぐい進む自転車。私は財前くんの学ランを掴み、その背中を風よけにした。財前くんの表情は分からない。

どうしたの。

そう聞くのは躊躇われた。財前くんは何も聞かれたくないのではないかと思ったからだ。

テニス部の部長になるには「強がり」が条件なのだろうか。誰も彼も、人に弱みを見せやしない。強がって、こっそり努力して、いつの間にか疲弊している。
それが彼らの美学なのか、ただそういう性格なのかはさて置き、周りの人間からすればたまったものじゃない。弱りきってしまう前に、言ってほしい。弱いところを見せてほしい。

だけど強がりな君たちじゃ、本当に辛い事や怖い事は、言葉になってくれないんだよね。

いよいよ周りの景色が分からなくなってきた。太陽は沈んで、街灯だけが頼りで。ここは一体どこですか。

「財前くん、どこ行くの?」

聞こえているのかいないのか。返事は無い。
私が落ち込んだ時には饒舌になるのになぁ。





11月に行われた中学三年生対象の、府の統一模試。それは希望者制だったけど、進学校を目指す人は大抵受けるとのことで、私も張り切って取り組んだのだ。白石先生のお陰で英語への苦手意識も随分薄れたし、今、自分はどれだけ成長しているのかを知りたかった。

けれども結果は、あまり良くないものだった。
英語だけじゃない。いつも高得点を取っていた理系科目でさえ、残念な点数だったのだ。志望校判定は、C。……微妙。英語を教えてくれている白石や、同じ高校に行くことを楽しみにしてくれている謙也たちに、こんな結果を見せられない。
「ちょっとお腹が……」と先生に言って教室を出た。ポケットには、四つ折りにした模試の成績表。こいつを紙ヒコーキにでもして、屋上から投げ飛ばしてやろう。そうだ。それがいい。

屋上には遮るものが何もない。乾いた風がびゅうびゅうと吹き抜けていく。そんな風の中で立って紙ヒコーキを折るのは一苦労だけど、今日は絶好の紙ヒコーキ日和だ。

不意に聞こえた足音に、顔を上げた。体を縮こまらせてこちらに来るのは、財前くんだ。

「何してるんすか」
「きみこそ、どうしたの」
「サボり」
「こんな寒い日に、屋上で?」
「名前先輩は違うんすか」
「いーや、一緒です」

完成した紙ヒコーキ。

「なんすか、それ」
「紙ヒコーキ」
「……めっちゃ何か書いてますけど」
「うん。模試の結果」
「飛ばしてええんですか」

いいんだよ。
今日は紙ヒコーキ日和だから。風に乗って、どこまでも飛んでいくはず。

いいんだよ。
こんな悲惨なもの、飛ばしちゃえばいいんだよ。

「あんたはそれでええんですか」

いいんだって。
そう思うのに、出てきたのはその言葉ではなくて。大粒の涙だった。

「……あんた、アホやな」
「う、るさいっ……」

手の中のそれを財前くんが取り上げる。紙ヒコーキは再び一枚の長方形の紙になって、私の手に戻ってきた。さらにボタボタと出てくる涙。それを財前くんが、やや乱暴に、学ランの袖で拭ってくれた。

「悔し泣きできるくらいには頑張っとるんやろ。ええやん、それで」
「だ、だって。もう、11月なのに」
「けど、無かった事には出来へんやないですか。ここで逃げたら、受かるもんも受かりませんよ。ええんですか?」
「っ……、や、だ」

最後の一粒を拭ってもらって、涙はぴたりと止まった。
私は本当にアホだ。大馬鹿者だ。無かった事にしちゃいけない。本当の、合否が出るまで、自分に向き合わなきゃいけない。

涙が止まって落ち着いた途端に、後輩の前で泣いてしまった自分が情けなくて恥ずかしくなる。なにやってるの私。穴があったら入りたい。

格好がつかない顔を背けると、びゅう、と一際強い風が吹く。手に持つ紙切れは離さない。

「ま、頑張ってください」

背中で受け止めた財前くんの言葉も、私は絶対に手放さない。どこまで出来るかは分からないけど、受かるかどうかなんて分からなけど。そんなの誰だって分からない。全てを知っているのは、未来の私だけだ。




意識が今に戻ってきたのは、体が傾いたからだった。
横に体をずらして見ると、やや急な坂道がずっと続いている。最初は勢いよく上る自転車も、次第にペダルは重くなる。

「頑張れ少年!」
「うるさい、っすわ」

あ。久しぶりに声を聞いた。珍しく、少しだけ息を切らしている。それでも私は。

「降りてやんないからね」

この自転車からは降りない。財前くんが連れてきたんだから。最後まで面倒見てよ。

それにね。きみが持ってるものは、私よりずっと重いよ。それは投げ出せない。きみはそれを大事に抱えて、来年、信頼する誰かに渡すんだよ。

……なんて事は私が言わなくても、この人はきっと自分で分かってる。財前くんのエールは私には必要だったけど、私のエールは財前くんには必要ないのかも。

「降りんな」
「はいよ」

必要なのはエールじゃない。じゃあ、必要なのは何だろう。私には分からない。

「上まで、乗せてったります」
「おぅ、任せた!」


だけど坂道の上には、待っているはずだ。
彼を信頼する人たちが、彼らの注いだ熱の全てを託した彼。その彼の、勝ち誇ったような笑みが。


2012/03/21
hazy


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