昔は、私の方が背が高かった。腕相撲でも負けんかったし、口喧嘩はいつも私が圧勝して、蔵ノ介はぐずぐず泣く。ガキ大将を追い払うのも、夜道で手を引くのも、私の役目。
蔵ノ介が王子様やと思ったことなんて、一度たりとも無い。
ロマンスの土砂降り
それなのに。 背も伸びて、元々整ってた顔はもっと見目麗しくなりよって。泣いたなんて話は聞かん。にこにこして、王子様とか言われて騒がれて。
誰やそれ。
2組の教室前を通り過ぎながら、今日も今日とて、面白くない気持ちになる。視界の端に入ってしまった、蔵ノ介と女の子達。でも2組の教室を通り過ぎんと奥の4組には辿り着かへんし。ああ、ほんま不愉快。
「おはよ」 「はよ。今日もひどい顔やなぁ」
小石川健二郎。通称健ちゃん。私の癒し。 毎朝のようにひどい顔と言われるけど、健ちゃんに言われるならええ。
「気になるんやったら話しかけたらええのに」 「気になるわけちゃう。むかつくの」 「そーですか」
あんな蔵ノ介、どう接してええか分からん。だから距離を取った。……家がお隣さんやし、クラスは隣やし、距離取ったって言うても最低限の接触はあるけど。今はほんまに、それだけ。
ずっと変わらへんと思ってた。 それを望んでた。 チビでも、情けなくても。それで良かったのに。
なんで急に変わったん? 誰のためにカッコよくなったん?
聞きたいことも、話したいことも、たくさんある。いつの間にか恋愛感情の『好き』になってる自覚も、ある。でも話しかけたくない。なんでやろ。なんか、むかつく。
「なんで俺の足踏むん? 痛いわ」 「ストレス発散」 「とばっちりや……」
私のせいとちゃう。あいつのせいや。
*
きっと、健ちゃんの足を踏んづけたからや。 悪い事はするもんやないと、よく分かった。
その日の夜。家から少し離れた所に住むおばあちゃんの家へ、母さんが作った肉じゃがを届けた。母さんの肉じゃがは美味しい。おばあちゃんはコレが大好きや。それはいいんやけど。 帰り道、部活帰りの蔵ノ介とバッタリ会ってしもた。 ごめんな健ちゃん。私が悪かった。
「私服見るん、久しぶりや」 「そう?」 「そうやって」
どうしよう。ごく自然に一緒に帰る流れになってるんやけど。健ちゃん助けて。 そう思いながらも足を進める。下手に嘘ついて帰路を離脱するより、さっさと帰ってしまった方が楽や。家は遠くない。 蔵ノ介が絶えず話しかけてくる他愛ない話題を、無視するでもなく、深く掘り下げるでもなく。ぬるぬるっと返す。こんな事になったのはあんたのせいだと、ひたすらに思いながら。 そうしとると蔵ノ介が、なあ、と私を呼んだ。
「なんで避けるん」
避けてる事は気付いてるやろうなとは思ってたけど、まさかどストレートに聞かれる日が来ようとは。私は蔵ノ介の言葉に、息が詰まるほど狼狽えた。 それなのに蔵ノ介の声や表情は、さっきまでと変わりない。なんて事ない話題やとでも言うように、平然としとる。体の奥の方がざわめいた。
なんで避けるん、って?
もうええわ。 終わるなら、終わってしまえ。
「蔵ノ介が急に変わるからや。なにが王子様やねん。弱虫だったくせに。誰やあんた。そら避けるわ。でも私に避けられたくらいで、痛くも痒くもないやろ。蔵ノ介のことが好きな女の子なん、いっぱいおるよ。もう、構わんとって」
私は、立ち止まって、俯いて、一息で言い切った。 ほぼ全部が本音や。 最後の一文が、デマカセなだけで。
「なんやそれ」
蔵ノ介の返事は、それだった。さっきまでとは似ても似つかへん、拗ねたような、疲れたような声。 思わず顔を上げる。二歩分離れたところに立つ蔵ノ介は、笑ってない。
「……名前が言うたんやんか」 「なにを?」 「俺、名前に好きや言うたやろ。そん時、名前、言ったやん。あんたみたいな弱っちい奴のとこにはお嫁に行かんって」
……ええと? 全く話が見えない。理解が追いつかない。「せやから、変わって、もっかい名前に告白しよ思て」そう続けられて、ますます頭がこんがらがる。え? 何が、どうしたって? 誰か私に分かるように説明してよ。ねえ、蔵ノ介。
「……え、それいつの話?」
ようやく搾り出した声は、とんでもなく間抜けだ。 蔵ノ介はむっとした。
「覚えてないん?」 「……申し訳ございません……」
蔵ノ介の話が本当なら、まあ、本当なんやろうけど……私はヒドイ女や。睨まれても文句は言えん。 大きく溜め息をついた蔵ノ介は、私との距離を詰めた。約10センチを残して正面に立つ蔵ノ介を見上げる。曰く、小学六年生の時のことらしい。全ッ然覚えてへん。
もう一度深くふかーく息を吐いて、蔵ノ介が私の両頬をつねった。
「いひゃいれす」 「俺は何のために変わったんや」 「……わたひのため?」
言いながら、口角がくっと上がるのが分かる。頬を引っ張られながら作った笑顔は、さぞ可笑しいやろう。それでも蔵ノ介は笑わない。
「そうや。名前のためや」
ようやくつねるのをやめた手が、今度は優しく両頬に添えられる。 間近で蔵ノ介の顔を見るのは初めてやない。何度も見てきた。それなのに、こんなにも違う。熱い眼差しで見つめられて。小さい男の子だったのに。いつから男の人になったの。
「ほんで、感想は?」 「……参りました」
そう言うと、蔵ノ介が嬉しそうに笑う。 鼻の奥がツンとした。もう構わんとってなんて、デマカセにも程がある。
蔵ノ介が私の額に自分の額をくっつけて、今までで一番、至近距離で目が合う。好きや。そんな状態でそう言われて、ゆっくりと唇に触れた感触に気付いた時には、もう遅い。 後戻りなんて出来ない。幼馴染みじゃいられない。
2012/04/11 ロレンシー |