マイペース

仁王さんから送られたLINEのメッセージを見て、ただでさえ低い自分のテンションが急降下していく。元より真面目に聞いていなかった講義が耳にすら入らなくなった。
違う学部でバイト先の先輩の仁王さんは、俺で遊ぶのが好きらしい。決して、俺と遊ぶのが、ではない。俺にちょっかいをかけて面白がっているだけだ。この前も気まぐれに苗字先輩をうちのバイト先に呼んで俺に苗字先輩の接客をさせ、自分はカウンターでくつくつ笑っていた。なんやねんあの人。

この講義は今日が最終日で、一週間後には学年末試験が控えている。教壇に立つおっさんはなかなかええ性格をしていて、講義に出とる学生の数が少ない日を見計らって期末試験の内容に触れていた。普段はサボる俺がたまたま出席した日にそうしてくれたので有り難い。だからもう今日は、いけ好かない先輩のせいということで離席してもええやろか。

『苗字がイケメンと一緒におる』

情報が少ない。わざとやろこれ。俺が釣れるのを待っとんのやろ。
既読にしたまま、何と返事をしようか、いやそもそも返事をするのも癪で手が止まる。そうして画面を睨んでいるうちにまた仁王さんからメッセージが送られてきた。

『彼氏はおらんて聞いとったけど』

だから、なんやねん。あかんイライラする。ついに耐えきれず、どこ、とだけ打って返した。
苗字先輩に付き合っている男はいないはずや。まあ、いるかいないのか毎日確認をしているわけではないから、実はいましたという可能性、今日から付き合ってますという可能性が、……無いやろ。思い当たる男がおらんし、もしそうだったとしてあの人が隠せるはずがない。隠す理由も多分無い。
去年、先輩が大学一年の時には彼氏がいたらしい。同じ学部の男と入学早々に付き合い始めて秋に別れたのだとか。俺はそれを大学に入ってから本人に聞かされて、しかもやけにしんみりと話すから余計に気に食わなかった。

『テラス』

場所に続いてどっかの県のゆるキャラのスタンプで、がんばれ、と送られてくる。四天宝寺の先輩らもかなりマイペースだったが、この人も負けてない。何を考えているのか全くわからん。
どうもと仁王さんに返事をして、携帯を机に放った。あと10分で授業が終わる。今日が最終日だからと今日だけ出席している奴等が教室に溢れていて、部屋の中は暑いし空気は薄い気がするし、気分は最悪や。
だから俺は終業の時間になった瞬間に教室を出た。いつもはタラタラと歩く廊下を、一点を目指して足早に通り抜ける。二月頭の夕方の外気は冷たくて、さっきまでいた教室との温度差に体は縮こまりそうだ。それでも足だけは勝手に動いた。

長い間、俺は俺の感情に振り回されている。
自分でも引くほど苗字先輩のことばかり考えて、アホなんちゃうかと思う。自分が自分でなかったら、外から見ているだけの他人だったら、痛々しい奴だと思ったはずだ。大学まで追いかけて来るなんてどうかしている。
忘れられるなら、それが良かったのかもしれない。でも忘れられなかった。何より俺自身が忘れたくなかったのだから仕方ない。


食堂のテラス席はキャンパス内の大通りに面したところにあって、夏も冬も関係なくいつも賑わっている。この寒い日にわざわざ屋外を選んで雑談したい理由が俺にはわからない。昼ならまだしもこの時間は中も空いとるやろ。
今日は何時にも増して人が多く、なんかあるんかいなと思ってテラスを一通り……見る必要はなかった。どう考えてもあの人のせいや。

「……何しとるんですか、こんなとこで」

二人の後ろから声をかけるとパッと揃って振り向いて、財前、と名前を呼ばれる。苗字先輩の方は驚きと緊張が混じった顔をしていて、もう一人、白石さんの方は驚いた声色をしながらも顔は笑っていた。

「あれ、財前今日もういっこ授業なかったっけ」
「先週が最後やったんで」
「そーだったの……ドッキリ大失敗」
「苗字頼むでほんま」
「申し訳ないです」
「財前もようここが分かったな」
「……仁王さんに聞きました」
「なるほどな、仁王くんか。さっき会うたわ」

ほんまええ加減にせえよあの銀髪頭。なにが彼氏や。
心の中で悪態をつきながら、二人が陣取る丸テーブルの空いている席についた。

「夏ぶりやな、財前」
「どうも。大学はもう休みなんすか?」
「せやねん。今期は早うテストが終わったから、羽伸ばして遊びに来たわ」

白石さんが爽やかに笑う。
約半年前ぶりに会った白石さんは相変わらず人目を引く整った顔で、でも昔より男らしさと逞しさを感じさせた。女が集まるはずだ。白石さんと中高六年間一緒に部活をしてきた苗字先輩が白石さんに対して恋愛感情を少しも感じていないのが不思議でならない。まあ、俺には有り難い話だが。

大阪の国立大に進学した白石さん。俺はこの人が高3の夏に部活を引退してからもしばらくの間、白石部長と呼んでいた。自分が引退する時になってやっと白石部長ではなく白石さんと呼び方を変えた俺に、からかうでもなくただ柔らかく笑って受け入れてもらって、改めて敵わないと思った。
白石さんに部長を託されてからは自分と白石さんを勝手に比べては負けている気しかしなくて、自分に苛立つことも多かった。それが今は、この人に敵わないことへの悔しい気持ちはまるで無い。テニスという白黒つくものをもう一緒にすることがなくなったからではなくて、多分、いつまでも勝てないと思わせてくれる……恥ずかしい言葉やけど憧れの存在でい続けてくれることが後輩として誇らしいからだ。こんなん死んでも本人には言いたくないけど。

「謙也も一緒に来てんで」
「見当たりませんけど」
「今は忍足くんの大学に遊びに行っててん。謙也は忍足くんとこに泊まるしな」
「そうなんすか。で、白石さんは苗字先輩のとこに泊まるんすか?」

ずっと白石さんへ向けていた視線を先輩の方に移すと、先輩は明らかに表情をかたくした。それには触れず、また白石さんに向き直る。

「ははは、苗字も一応女の子やし、あかんやろ。俺はユウジの部屋に泊まんねん」
「い、一応女の子って……! もー、それより、明日のこと話そうよ」
「ああ、せやな。財前明日の夜空いとる? 飲みに行こうや」
「俺まだ未成年なんで飲みませんけど。夜は空いてます」
「よっしゃ。ほんなら悪いけど介抱頼むわ。謙也めっちゃ酒弱いねん」
「ああ、誰かさんと同じっすね」

ぎく、と音がつきそうな程わかりやすく反応する先輩が面白い。白石さんも当然気づいて、なんやお前財前に迷惑かけとんの、と言ってニッと笑った。誤魔化すのが下手くそな先輩はあははと笑うだけだ。

先輩が酔い潰れて俺の部屋に来た日から明日でちょうど一週間になる。あの日を境に俺を見る先輩の目は確実に変わったと思う。ずっと前から分かりやすく、それこそ白石さんやユウジさんらに気づかれて生暖かく見守られながらアプローチしてきたつもりやったけど鈍感相手には通じなくて、どうしてやろうかと思ってたけど。流石の鈍感も、あの朝のことは思うところがあったらしい。
俺は先輩に「気にせんでええです」と言った。忘れてええと。当然本心じゃない。考えてほしい。後輩でもなく友達でもない一人の男として俺のことを意識してほしい。

何もなかったみたいに振る舞う俺に、先輩も振り回されればええんや。


2019/03/10


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