ゴールテープ

10月も半ばだというのに、こんな日に限って夏日なんてツイてない。額にぴったり張り付いて鬱陶しい赤い鉢巻を首まで下ろして、自分のクラスの応援席から出た。グラウンドはもちろん応援席にだって日陰は無く、殺す気かと思う。
四天宝寺中学に入って初めての体育祭。まともな競技もあればふざけた競技も混じっていて、テニス部の先輩らはこぞってふざけた競技にエントリーしていた。忍足さんなんて普通に走れば全部一位が狙えるやろうに、スプーンレースだのキャタピラレースだのに出場してパッとしない順位に終わっている。あの人今日活躍せんでいつ活躍すんねん。まあ、どうでもええけど。

午前の競技は今やっとる有志のボケ合戦と、二年の借り物競争と、三年の騎馬戦で終いや。午後イチの部対抗リレーは俺も勝手に選手に選ばれていて、正直めんどくさい。陸上部との因縁の戦いとやらがあるらしく、本気で走れと言われている。俺を巻き込むのはやめて欲しい。

『……次の競技は、二年生による、借り物競争です』

校舎の影に入って涼んでいると、スピーカーから放送委員の女子の声が届く。……そう言えば、借り物競争、マネージャーさんが出る言うとったな。変なお題に当たりませんよーに!と昨日の部活終わりの空に向かって真剣に手を合わせていたのには笑った。

マネージャーの苗字先輩は関東出身で、中学からこっちに来たらしい。俺と同じように、入学当初は校風に馴染めず苦労していたと部長から聞いた。そういうこともあってなのか、単純に先輩気質からなのかは知らんけど、入部してからというもの苗字先輩はよく声をかけてくる。よろしくね財前くん。財前くんおはよう。財前くん昨日のドラマ見た?財前くんお疲れさま。そうやって一日に何度も名前を呼ばれるから、今日みたいに学校行事で朝も夕方も部活が無い日は静けさを感じてしまう。いつも有るものが無い。

ピストルの音が空に響いた。
放送委員のノリノリの実況で声援が一層大きくなる。一斉スタートした選手の中で走るのが早い人らが封筒にたどり着き、中の紙を出そうとしているところらしい。普通、借り物競争は種目の中でも特に走る距離が短いもんやけど、今年は委員会の気まぐれで長い距離を走らないといけないんだと先輩が泣き言を言っていた。あの人大丈夫やろか。

『一番早くお題を手にした青森さん、これは困った様子です! ダメですよ、鉢巻はマフラーの代わりには出来ません!』

いやマフラーとか無理やろ。実行委員、鬼畜やな。
探し物をする選手の声に笑い声にと賑やかな校庭。そこに自分の名前が割って入ったから、びっくりした。苗字先輩の声だった。

「財前くーん!!どこー!?」

いや、何なん。声でか。
これは、あれやな。他の財前くんやな。俺とちゃう。

「財前くん!? もしもーし!」

もしもしってなんやねん。

「ざーいーぜーん!!」

あかん。やめろ。
自分の名前が連呼されることにいよいよ耐えられず、グラウンドに出て行こうと人だかりの方へ足を向ける。向かう先には、俺を見つけてパッと笑う苗字先輩がいた。目の前まで駆け寄ると先輩が俺の手首を掴む。

「財前探したよ!こっち!」
「何なんすか」
「とにかく一緒に来て!」

先輩の勢いにおされてそのまま、人だかりを掻き分けてグラウンド、トラックに出る。二リットルのペットボトルを三本腕に抱えて走っとる人や、苗字先輩のように誰かを探して名前を呼ぶ人、金色先輩を連れて走っとる人と様々でなんやよう分からん絵や。
先輩が俺の手を引いてコースに戻ろうとするのを面白おかしく実況されている。先輩のクラスからだろう熱い応援とよそからの冷やかし混じりの声。前を走る先輩の白い鉢巻が目の前で揺れる。走るのが得意ではない先輩の息は上がっていて、どうしてそんなに必死で走るのか、不思議でならなかった。

「先輩、代わってください」
「っえ。わぁ!」

素早く先輩の手をほどいて今度は俺が先輩の手首を掴んだ。金色先輩のとこは追い抜けるやろう。ペットボトルの人は、抜けるか微妙やなあ。腕を引っ張って走り出した俺に先輩が必死で着いてくる。全身で受ける向かい風の先にゴールテープが待っていて、とりあえずそこを目指してみることにした。



先輩に手を引かれているせいか、懐かしい日を思い出した。あの頃はこの人とほとんど同じ背丈だったなと、どうでもええ事もよみがえる。

辛くもゴールテープを切ってはしゃぐ先輩に、何やったんすか、とお題を聞くと先輩はポケットから紙を取り出した。折り畳まれたそれを開くと『可愛い後輩』とあって、はあ、アホちゃう、可愛いってなんやねん。13歳の俺は先輩に文句をぶつける。先輩はそんなの全然気にしてないという風に、さっすが財前!一位!ありがとう!と喜ぶ。あんまり嬉しそうにされるから、俺もこれ以上不貞腐れる真似をする気にはならなかった。

もしあの時自覚出来ていたとしても、俺は認められなかったに違いない。恥ずかしい話やけど、俺は嬉しかったんや。たくさんいるテニス部の一年の中で俺を選んで、可愛い後輩だと言ってもらったことが。俺の名前を呼んでもらえたことが。

「先輩、どうしたんすか」
「……」
「どこ行くん?」
「……」

その先輩は一心不乱に前へ前へと、俺の手を掴んで走る。

期末試験の最後の科目を終えて、先輩に連絡しようとしていた。そしたら道の先に先輩がおって、バイト先の後輩と話してて。いつの間に二人が接点を持ったのか考えながら近づくと、俺に気付いた先輩がこちらへ走って来て、今に至る。キャンパスを出て、大通りも過ぎて、この人は一体どこへ行くつもりなのか。

先輩が立ち止まったのは、俺の部屋と先輩の部屋の道が別れる交差点だった。肩を大きく揺らして、どうしてそんなに必死に走ってきたのか。俺の思い描いている理由が間違いでなければいい。

「先輩」
「……ハイ」

こっちを向かないまま、緊張を声に滲ませて、それでもようやく先輩は返事をした。思わず笑ってしまう。 おもろいなあ、この人。 なんなんやろ。何年見とっても飽きんわ。
小さく笑う俺に気がついて先輩が振り返る。きょとんとした顔がまた、笑える。俺が何で笑ってるかなんて鈍感な先輩にはきっと分からない。

「ちょっと話しません?」

でももう、教えたります。
俺も我慢の限界や。言い訳無くあんたに触れたくて、理由無しにあんたの隣にいたくて仕方ない。長い間大事に抱えてきた気持ちを、俺は先輩に知ってもらいたくて仕方がない。


2019/04/21


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