走る


初めて財前に会ったのは、財前がテニス部の練習を体験しに来てくれた時だ。健ちゃんの渾身のギャグが受けて体験入部のお誘いに乗ってくれたんだと、健ちゃんから聞いている。
よろしくね財前くん。
はあ、どうも。
その日の私たちの会話はそれだけだった。全く愛想の無い一年生だなあと私は思い、この人達やかましいなあという顔を財前はしていた。

あの頃の財前はとにかくツンケンしていて、先輩を先輩とも思っていないような態度で。謙也なんかは度々注意していたけれど、ほとんど聞く耳持たずの状態だった。部活中だってやる気があるようには見えず、すぐ辞めちゃうんじゃないかと思い心配だったものだ。
財前がそれなりにテニス部を好きになってくれたみたいだと私に教えてくれたのは、白石だった。苗字にも懐いとるやん、と白石が続けたのに驚いたのもよく覚えている。あなたの目は節穴か、と問いたい。懐いてるんじゃなくて、おちょくってるだけでしょう。……まあ、財前が私に突っ掛かるようになったのは私にも一因があるとは思っている。年頃の男の子に「可愛い」なんて言ったのは多分良くなかったのだ。

ううん、でも、今思い返しても、中学一年の財前は可愛かった。成長途中で背もまだ低かったし、華奢で、顔つきも幼くて。……あの可愛かった子が、すっかり大人になっちゃって。
それだけ長い時間を、私は財前と一緒に過ごしてきたんだなあ。


期末試験に突入してから、ここ、大学の図書館を使う学生は日に日に減っていた。もう多くの講義では試験が終わっていて、ここ最近はがらんとしている。
私はというと、来期から始まるゼミの初日に提出するレポート課題のために、期末試験を終えた解放感に負けじと図書館通いをしているのだ。決して、財前の期末試験最終日が今日だと聞いたから、とかいう理由ではない。
……バカじゃん。何やってんの私。ストーカーですか。もう、好きっていう気持ちは本当に厄介だ。

自覚した自分の気持ちを前向きに考えられないのには、私なりの理由がある。
もうすぐ丸七年になる時間を先輩後輩として、友達として過ごしてきたのに、急に好きだなんて……自分のことながら戸惑ってしまう。財前への接し方も不自然になってしまっている。本人に勘づかれていないか不安だけど、確認する術が思い当たらない。
それから、あの日財前に言われた、忘れてくれていいという言葉も私の心に重くのし掛かっている。事故みたいな出来事だから無かったことにしよう、ってことでしょう? それって、財前にとってはそんなに重大なことじゃないって、何とも思ってないんだって、ことじゃないの。

鼻の奥がツンと痛む。目がじわじわと熱を持つ。財前が好きなんだと無自覚でいた時から、私はこの事を考えないようにしていた。

財前はきっと私のことを嫌ってはいない。部の先輩として……慕ってくれていたかは微妙なところだけど。少なくとも友達だと思ってくれているはずだ。
でも、することをしたのに何とも思ってないなんて、そんなの、女としては見てないってことでしょう。

そっと本を閉じた。頭に入って来ない専門用語を追うのは止めだ。人が少なくて助かったな。溢れてこようとする涙を堪える顔は、見せられたものじゃない。
借りた本を鞄に仕舞って席を立った。一体何を期待してここに来たんだか。ほんとう、バカだ。

元に戻すしかない。私の気持ちさえ元に戻れば、今まで通り楽しく過ごせるんだから。
あの日の失敗だって今すぐには無理でも、いつかは笑い話にしてしまえる。


図書館を出ると、厳しい寒さが待っていた。館内の快適な温かさに慣れた体に外気が刺さる。
さっさと帰ろう。そう思った時だった。

「あの」

名前を呼ばれたわけではないけれど、近くから声を掛けられて反射で振り向いた。思わず、あっと声を漏らしてしまう。

「……千葉さん……?」

そこにいたのは先日財前のバイト先で見た女の子。千葉さんだった。私達の周りには誰もおらず、私に声を掛けたということで間違いなさそうだ。私が千葉さんと名字を呼ぶと、彼女はにっこり笑った。

「はい、千葉です。財前さんから聞いてましたか……?」
「えーと、仁王くんから聞いたよ。最近バイト始めた子なんだって」

嘘は言ってない。財前から千葉さんの話は聞いていない。けれども、仁王くんからだと訂正した自分の言葉の奥底に、薄暗い感情があることは否めなかった。それを感じ取ったのか、単にがっかりしたのか、千葉さんは浮かべていた笑顔を引っ込めた。財前のバイト先を、ユウジと私、バイト終わりの財前の三人で出ようとした時も彼女は真顔で私を見ていた。千葉さんは可愛らしい顔立ちだけれど、真顔はやけに迫力がある。

「私も、仁王さんから聞きましたよ。財前さんと中学から同じ学校の、先輩なんですよね」

先輩、の言葉に圧を感じた。まあ、間違い無いので頷いておく。

「そうだよ」
「彼女ではないんですよね?」
「……そうだけど」
「よかった。わたし、財前さんのこと頑張りたいと思ってるんです」

あの財前に猛アタックしているだけある。この子、強者だ。そうなの頑張って、とも、じゃあライバルだねとも言えず口をつぐんだ私へ真っ直ぐな視線を寄越してくる。
今の私はどうしても彼女を挑発的な子だと見てしまうけれど、恋に一生懸命なだけで、多分悪い子ではない。寧ろ好いてもらう側からすれば、こんな可愛い子に積極的にアピールしてもらえて嬉しいんじゃないだろうか。

……財前は、千葉さんのことをどう思っているんだろう。千葉さんなら女の子として見るんだろうか。

「……ごめん、私もだから」

ほとんど無意識の言葉だった。千葉さんのハツラツとした声に比べて、なんて情けない声。それでも千葉さんには十分に届いて、今度は彼女が口を一文字に結ぶ。

独占欲が私の中に渦巻いているせいか、体も頭も熱くなっていた。だから、千葉さんの後ろ、離れたところに財前の姿を見つけた瞬間私は走り出したのだと思う。
財前がびっくりした顔をするけれど、財前が何を思っても、千葉さんが何を言っても。今はただ、財前の手を引いて走ることしか考えられない。どこへ向かっているのかなんて、私にも分からなかった。


2019/04/21


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