「は? 風邪?」
「そう。風邪」

俺のおうむ返しに、不二がまた同じように返事をして頷いた。赤坂さんが「あいつ頑丈そうなのになぁ」と言って、からからと笑う。


みょうじと被っているはずの午後一番の講義にあいつが現れなかった。どっかでのんびり昼休みを満喫しとるか、寝坊か、と来ない理由を考えてみたけど、みょうじは基本的に真面目なヤツや。サボったりはせえへんやろうし、午後の授業に寝坊も考えにくい。まあ、俺はたまにやってしまうけど。

講義が始まって少し経ってから、LINEを送ってみた。「寝坊か?」それだけ。我ながらぶっきらぼうやと思う。でも、なんやあったんか、とか、大丈夫か、とか、そういう素直な聞き方を引っ込めるのは癖みたいなもので。
とにかくそのLINEが、返信が無いどころか既読にならない。何度確認しても変化の無いトーク画面に、苛立ちと不安が募った。こつこつ、机を指で叩く。

講義半ばの小休止の時間になると、降り積もった不快な焦燥を早く払いのけたくて、荷物をまとめて部屋を出た。LINEの画面からすぐに電話をするが、コール音が鳴り続けるだけで、やっぱりみょうじは出ない。はよ出ろやボケ。

一分待っても応答が無いので諦めたところで、あそこなら、と思い、部室に向かった。そうして、不二と赤坂さんからみょうじが風邪を引いたんだと話を聞いて、今に至る。

「午前中な、みょうじと空きコマ重なってたから、ここに呼んでたんだよ」
「先輩ヒマっすもんね」
「まーね。で、みょうじから部長行けません風邪ひいたーつって、電話があったからさ」
「赤坂さん、財前に連絡しようとしてたんだよ。今」
「……なんで俺に」

聞かなくても、その理由は分かる気がした。赤坂さんがニタッと笑ったからや。
そこを、おまえみょうじ係だろ、などと茶化して言うので、なんすかそれ、と俺も誤魔化す。不二は本当に分かってないようで、不思議そうな顔だった。別にこのあと赤坂さんの口から聞くことになっても、それはそれでかまわへん。

「ほんなら、俺はこれで」

俺が聞きたいことは聞けた、と部室をあとにする。が、すぐに二人に呼び止められた。

「財前、みょうじの家知ってたっけ?」
「……知らん」

俺は、俺が期待しとるよりも全然、冷静ではなかった。風邪くらいで、なんやねんこれ。





受付のインターホンを押すのに妙に緊張する。これでみょうじが出てこなければどうしようもない。出ろ、と念をこめて一度押す。
すると、ヤツはあっさりと、「はいー」なんて間延びした返事で応答したのだった。

「……」
「もしもーし」

何が、もしもーし、や。この女。

「……財前やけど」
「……えっ、あっ開けマス……!」

そうしてすぐに扉が開く。インターホン越しに聞こえた声が、多少ダミ声ではあったけど、それなりに元気のある声で安心した。そんなことは、本人には言ってやらんけど。

意外にもみょうじの部屋は片付いていた。というより物が少ない。白とやわらかい青でまとめられた家具。所謂女子らしい部屋とは違うかった。みょうじから受ける印象とはだいぶ違う。当の本人もまた、ずいぶん男らしい格好や。

「あの…あんまりじっくり見られると、恥ずかしいかな…!」
「今起きたんか」
「スルー……! そーだよ。さっきの財前君のチャイムで……あの、LINEとか、今見たよ。ごめんね気づかなくて」
「べつに」

それはもうええ。

そんなことより俺は、ここに来るまでの自分を今になって冷静に思いだし、居心地悪くて仕方がなかった。何度もスマホを確認して、授業を飛び出して、住所も知らないまま動いて、コンビニでは袋いっぱいに買い物をして……必死すぎやろ。恥ずかしい。
片手で額をおさえた。別に痛くはないけど、そうしなければ耐えられなかった。誰やこれは。俺はこんなやつ、知らん。

そんな俺を知ってか知らずか、部屋に入るなり俺が押し付けたコンビニの袋をあさって、みょうじは嬉しそうにしていた。桃のゼリーや焼プリンを出しては並べて、これは今日食べよう。これは明日にとっておこう。そうやって、子どもみたいな無邪気な顔で。

「財前君、ありがとうね」

本当に心から思っているように言うから。
肩の力がどっと抜けた。

……ああ、なんや。俺は思う。なんや、俺もう、大丈夫やったんや。

俺を捕らえて離さなかった過去が、するすると、ようやっと、遠ざかっていく。俺はそいつを見送って、そして改めて、みょうじを見た。


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