蹴飛ばしてやりたい。
どこか遠くへ行ってしまえばいい。








宝石






もうすぐあいつが来る。
ケータイの画面右上に表示されている時計を見て、ついでに講義室の時計も確認した。12時59分。ウォークマンの音量を一つ上げる。それでも声は俺の耳に飛び込んできた。

「財前君!」

駆け込むように講義室に入ってきたその女は真っ直ぐに、俺のいる一番後ろの端の席まで来て「やあ」と手を振る。やあ、やあらへん。俺はそれに返事をせず、頬杖をついて窓の外へ視線をやった。

みょうじなまえ。毎日飽きもせず、めげもせず、俺に声をかけてくる女。
同じ学年で同じ学部。それだけの接点のやつなんて何百人といる。その中で俺が名前を知ってるやつは両手で足りるくらいの数で、みょうじはその一人だった。でも別に知りたくて知ったわけやない。みょうじが何回も名乗るから、いつの間にか覚えただけで。

「ーーだからうちのサークル来てよ、って財前君聞いてる?」
「聞いてへん」
「またそんな。つれないなぁ」

話を聞いてないと言ったのを特に気に止めるでもなく、からから笑いながらみょうじは俺の前の席に座った。

「レポート進んだ?」
「全然」
「提出、再来週だよ。しかも」
「一万字」
「あのね、埋まらないから」
「……嫌なこと言うなや」
「あはは。でもほんと早く始めた方がいいと思うよー」

一ヶ月前、この必修科目の初回に出されたレポート課題を思い出すたび溜め息が出る。そのレポートが講義の評価の40%を占めるというから出さないわけにはいかない。けど、一万字って。無理やん。
他に用があって図書館に寄った時、こいつがレポートのテーマについて悩んでいたのをふと思い出して何冊か適当に借りた。読んでへんけど。とりあえず準備の一段目は終えたっていう、ほんの少しの安心感はある。

「終わったん?」
「え? やー、あと半分ってとこ」

もうすぐ始まる講義に、室内が賑やかになってきた。あっちでもそっちでも繰り広げられる雑談と、やかましい笑い声。みょうじの声はそういうものを突き破るような、ハリのある声だった。

「でさ、話戻すけど! サークル、手伝ってくれないかな!」
「面倒」
「そう言わず、試しに一回!」

ね、とこちらに身を乗り出してくるみょうじの頭に俺は用意していた教科書を叩きつける。叩きつけると言ってもそんなに力を入れてはない。みょうじも、いたー、と言って笑った。
と思ったら今度はしょげた顔をする。

「人手が足りないんだよ。先輩がやめちゃってさ……」
「またか」
「またって言わないで!」

みょうじがサークルに誘ってくるようになって、半年くらい経つ。昔はそれなりに規模の大きいサークルだったらしいけど、同じような活動のサークルが複数出来たり、何やかんやの理由でぼろぼろと人が辞めていき、それでも活動自体は縮小していないから人手不足。他のサークルと合併でもすればええんちゃうかと思うけど、まあ、そんな簡単なことでもないんやろう。そして多分、熱心に話すみょうじには合併すればなんて言葉は受け入れられない。前にも、そういう人が俺の周りにはいた。

「何か奢るから!」
「いらん」
「じゃあ、肩でも揉むよ!」
「触んな」
「くっ……それなら、……あ、レポート! レポート手伝うよ!」

それはおいしいかも。なんてちょっとでも思ったのが表情に出たらしい。みょうじがニヤッとした。

「レポート。手伝うよ?」

同じ言葉をゆっくり繰り返してニヤニヤ笑う。腹立つなあお前。そう言っても、みょうじはどや顔をするだけだった。
その表情も、見覚えがある。頭の中で再生されそうな記憶に知らぬ顔をして、俺はもう一度みょうじの額に教科書を落とした。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -