ホテルに到着してすぐ昼食をとり、またバスに乗り込んで旭山動物園へ向かうという慌ただしいスケジュールだった。夜にホテルへ戻る頃には疲れたなあと思っていたのだけど、みんな元気に夕食のジンギスカンをモリモリ食べていた。少し癖のあるお肉のにおいともうもうと上がる白い煙に、私は早々に箸を置いた。
それから部屋ごとに大浴場に呼ばれてお風呂に入り、この後は就寝時間が来るまでなら自由にできる。班長さんたちは先生との明日の打ち合わせに出ていて、晴奈もそこへ行っていた。

私はこのホテルのロビーに数台の自動販売機とソファーがあったのを思い出して、同じ部屋のクラスメイトにちょっと出てくるねと声をかけ、スリッパを足に引っかける。廊下に出てエレベーターに乗ると、Tシャツと短パンという格好では寒かったなと後悔したけれど、すぐに戻るからいいかと思い直した。

今日は、蔵ノ介とあんまり話せなかったなぁ。
朝の登校を一緒にした以外は、同じクラスとは言え飛行機もバスも席が離れていたからほとんど接触がない。もともと、クラスの中でずっと二人でいるようなこともしていないから、変わらないと言えば変わらないのだけど……。

一階のロビーはしんとしていた。自動販売機で缶のオレンジジュースを一本買って、一番近いソファに腰かける。プルタブを開けてジュースをぐびぐび喉に通すと、爽やかな柑橘の風味が口を満たした。
はー、おいしい。
無意識に呟きそうになったのを、私は慌てて引っ込めた。廊下からパタパタと足音が聞こえてきたからだ。

「……あ、苗字さん」

ロビーに来たのは一人の女の子だった。私と目が合うと、彼女は不自然に足をとめる。なんだろう。見ず知らずの女の子に怖がられるようなことを私はしてしまったのだろうか。
けれど彼女は私を苗字さんだと知っているようなので、知らんぷりをするのも良くないだろう。私の方こそ不自然かもしれないけれど、ぎこちなく笑いかけてみた。すると彼女はちょっと驚いた表情をして、恐る恐る私に近づいてきた。

「えっと、ごめんね、名前が……」
「あっ、ううん、いいの。わたし転校してきたばっかりだから」

そうなんだ。転校生がいたなんて知らなかった。

「宮崎です」
「宮崎さんね。よろしくね」
「うん……」

片手を小さく上げ、改めて笑いかける。今度は宮崎さんは俯いてしまい、何か間違ったのだろうか、私はやっぱり彼女に何かしてしまったのかなと不安になった。こんな可愛らしい女の子に何したの私。……思い当たることが、全くないわけではなかった。

「宮崎さん……?」
「……あのね、苗字さん」

パッと顔を上げた宮崎さんは、さっきまでのおどおどした女の子ではなかった。意を決したように目に力が宿っている。

「わたし、白石くんが好き」

そうして放たれた言葉に、私は、やっぱりと思った。

「白石くんが苗字さんと付き合ってるのは、人から聞いて知ってる。でも……どうしても、白石くんを諦められなくて」

まっすぐ向かってくる瞳。言葉。蔵ノ介のことが本当に好きなんだと伝わってくる。
私は今、宮崎さんに何と言うべきだろう。彼女の気持ちの前に怯んでしまって、ぐっと唇をつぐんだ。

「だから、修学旅行中に告白しようと思ってる」

高くもなく低くもない、けれど熱のこもった声。反対に冷えてゆく私の指先は、手に持つ缶ジュースのせいだけじゃない。

結局私は何も言うことが出来ず、宮崎さんもそれ以上何も話さず、廊下の向こうへ歩いていってしまった。彼女の背中が見えなくなって、私はソファに沈みこむ。ソファに膝を立てて座り、額を膝につける。

蔵ノ介がモテるなんてことは、出会ったその日から分かっていた。伝説の数々を目の当たりにしてきたし、付き合ってからはより実感するようになった。でも、宮崎さんのように宣戦布告……と言っては言葉が悪いかもしれないけれど、私の方へ来る人は少ない。
本気をぶつけられて揺らがずにいられるほど私は強くない。ちっとも、平気ではない。だけど蔵ノ介を好きにならないで、やめて、なんて言えるはずもない。そんなのは、彼女であっても、どうこうしていいことじゃないって思うから。

……あーあ。修学旅行、ぜんぜん楽しくないや。

「名前」

心の中でぼやく私に声をかけてきたのは、今度は誰か分かる。蔵ノ介だ。

「何やっとるん? 探したわ」
「んー……考え事?」
「なんや悩んでるん?」

隣に座って、蔵ノ介は顔を覗きこんでくる。だから私は彼を見つめ返して、難しい顔をつくった。

「……バスの中でさ」
「うん」
「三日目、お誘いされてたなーって思って」
「……ああ。4組の人? 誘われたわけちゃうよ」
「いや、誘いたかったんだよきっと。蔵ノ介さんはモテますねぇ」

本当に聞きたいのはそれじゃないのに。誤魔化すようにおどけて肩で小突くと、腰に手を回された。蔵ノ介の方へ身体が傾く。そして逆の手では髪をぐしゃぐしゃに乱すものだから、私は振りほどこうと腕の中で暴れるのだけど、なかなかの力で固められた腕から逃げることはできなかった。

「もー、なによう」

口をとがらせて不満を訴える。気が済んだのか手をはなした蔵ノ介は、今度は私の髪を整えるように撫で始めた。ははは、ぐしゃぐしゃや。なんて笑う。いやいや、きみが乱したんだよ。

「……名前は?」
「うん?」
「バスで、前の席のやつに話しかけられとったやん」
「え? ああ、別に大したこと話してないけど」
「ふーん」

ふーん、て。

「なに?」
「べつに」
「あ、エリカ様だ」

頬をつつくと、指から絡めとられた。

ほんのちょっとだけムスッとした表情とか。気まずそうに顔を反らすところとか。初めて見つけたかわいい蔵ノ介に、私は口元がにやけるのを止められない。そんな私を見て、今度は彼が私の頬をつまんで反撃してくるのだった。



2018/04/18


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