部室に入ると、いつもなら一番乗りで来ては着替えも済ませてそこにいる蔵が、いなかった。だけど部室の鍵は空いていたし、ここに入る前に横切ってきたテニスコートにも誰もいなかったと思う。どこに行ったんだろう。

まあ、いっか。誰か来る前に着替えちゃお。

私、それから二年生のマネージャーの二人はいつも空き教室で着替えている。男子テニス部の部室で女の子が着替えるわけにいかないのは分かっているけど、わざわざ校舎まで行くのはとても面倒で。
部室に誰もいない時はこうしてここで早着替え。いつだったか金ちゃんに見られて大騒ぎされ、蔵に怒られたこともあるけど……大丈夫大丈夫。



ポケットでラブソング(前)




何事もなく着替え終わって、荷物をロッカーに詰める。それにしても白石はどこに行ったんだろう。窓から見えるテニスコートをもう一度確認しても、人影はない。

そのとき、誰かに呼ばれた気がした。
窓の外に向けていた目を室内に戻しても、誰もいない。なに、空耳?

「……名前!」
「蔵?」

なんだろう。声はするのに蔵の姿は無い。
室内を隅々まで見た後にまた名前と呼ばれて、ようやく声の発信地に気付いた。
床。
見ると、蔵がいた。随分小さい。



落ち着くんだ、苗字名前。

テニス部のマネージャーになって早六年目。部員の奇行にも慣れ、一緒に馬鹿なこともした。色んなことがあった。そんな私の危機対応能力は人並み外れているはずだ。
大丈夫。落ち着け。大丈夫大丈夫……


「名前!」

呼ばれてもう一度確認しても、蔵はやっぱり小さかった。

携帯電話サイズの蔵に手を差しのべると彼はその上に乗ってくる。顔の高さに手を持ってくると、ちょうど蔵と目があった。
小さくなっても整っているその顔は、茹で上がったタコのよう。

「言うとくけど、み、見てへんで」
「たこ焼きに突っ込んであげようか?」

この野郎、最初からいたなら声かけてよ。

「部室で着替えるなって言うたやろ」とガミガミ言い出した蔵は、体が小さいからか声も普段より小さくて、ちょっと可愛い。

蔵の話を聞くに、朝食によくないモノを食べたとかで、制服からジャージに着替えたタイミングで小さくなってしまったそうだ。よくないモノって何よ。

「どないしよ……」

頭を抱える蔵は本気で悩んでいるのだろうけど、その姿はやっぱり可愛くて、小さく吹き出してしまった。睨まないでよ、ごめんって。

「おはよーさーん!」

バンッ
勢い良く開いた扉と金ちゃんの声。
咄嗟に蔵を乗せた右手を後ろにやって、彼を隠した。

「おはよ。金ちゃん。珍しく早いね!」
「おー! 今日の朝練で銀と試合すんねん!」

昨日約束したんやーと嬉しそうに言う金ちゃん。中学一年生の時は背が低かった彼も三年の間に成長期を迎え、今や蔵と……通常サイズの蔵と同じくらいの身長になった。顔つきもグッと男らしくなったし。
でもヤンチャなのは変わらない。銀さんと試合をするのはいいけど、お願いだから、無茶な事はしないでほしい。

「あれ? 白石まだなん?」

ああ、なんで今日に限って朝も早いし勘も良いんだろう。

なんて誤魔化そうかと考えていると、開けっ放しだった扉からぞろぞろとレギュラーが入ってきた。助かった。

「名前ちゃーん、おはよーさん!」
「おはよう小春ちゃん」

小春ちゃんの横にユウジ、その後ろに銀さんとケンちゃん、光。謙也はいつもギリギリに来るし、千歳は大抵来ない。いつものことだ。

「あり? 蔵りんは?」

う。

「蔵は、えと、今日は欠席!」
「白石の荷物あるで?」

ユウジ、目敏い!

「あ、うん。来て着替えまではしたんだけどね。体調悪いしやっぱり帰るって!」
「荷物置いて?」
「そうそう。ばかだよねー。帰りに私が家に届けるよ」

……苦しい。

「そういうわけでケンちゃん! 今日は仕切ってね!」
「お、おー……?」

いまいち納得してないケンちゃん。
そうだろう。蔵は滅多に部活を休まないけど、稀に部活を休む時は必ず、私とケンちゃんにメールをして練習メニューや連絡事項をきちんと教えてくれる。でも今日はそれが無い。
とは言え皆もそろそろ着替えるだろうし、私もこの場でこの話を切り盛りするのが苦しい。ササッと蔵をズボンのポケットに入れて。
アデュー!





「はぁ……」

部室の裏にまわって、蔵を取り出した。

「おおきにな」

金ちゃんや財前に知られたら、オモチャにされるかもしれん。
蔵はそう言って笑っているけど、笑い事じゃないと思う。さっきは笑ってしまったけども。知られてしまったら、金ちゃんには振り回され、光には踏み潰され、謙也のイグアナの餌にされることだろう。それは可哀想だ。

「いいよ。…で、これからどうするの?」
「んー……とりあえず今日は名前とおってええ?」
「え、いいけど、どこにいるつもり?」
「ブレザーのポケットに」

簡単に言ってくれる。
三年も絶賛片思い中の相手を一日中ポケットに入れて、私の心臓が保つと思っているのか。鬼畜め! ばか、すき!

「あー、うん。わかった。」

断るわけがない。

「すまんな」
「いいえー。蔵も災難だね」



部長とマネージャー。気の知れた異性の友達。この関係を、もっと好転させられるだろうか。
期待の一日が始まる。




2012/03/12


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