女子トイレの洗面台の鏡に映る私は唇を一文字に結んで、じとりと睨むような目付きをしている。遠慮のない友人や辛辣な後輩に見られたら不細工だと言われてしまいそう。うららかな春の日に、それも彼氏の誕生日にこんな表情をするなんてヤな彼女だなあ。はーあ、と深いため息が出た。

ーーよかったら、誕生日プレゼント、貰ってください。
女の子が謙也に小さな箱をズイと差し出す瞬間を見てしまったのは、たまたま私が日直で、化学の教師であるうちの担任が理科教室に籠ってしたい作業があって、そして進路調査書の提出日だったからだ。移動教室でしか人が通らない道。昼休みの喧騒は遠く、しんとしている。クラスメイトの進路調査書の封筒を腕に抱えて担任に提出した帰り、静かな空間に女の子の緊張した声が響いたのだ。
どこからだろう、と探すこともなく、すぐ近くの生物室だとわかる。きょとーんとした顔の謙也と、はりつめた顔の女の子がそこにいた。


ハートのため息



見たくない。
足音を立てないようそっと踵を返し、迂回して、自分の教室近くの女子トイレまで戻ってきたというわけだ。お腹の奥のほうがズシンと重い。幸い、春休み前の短縮授業に入っているから今日はもう授業が無い。お昼ご飯を食べたら夕方まで部活をして、テニス部で企画している誕生日会をして。そうしているうちにこの気持ちも吹き飛べばいい。
「よーし部活部活」
わざと元気な声を出してみて、教室に戻った。同じクラスの小春ちゃんの席にはよそのクラスのユウジがいて、何故かいつも我が物顔をしている。うちのクラスメイトも慣れたもので、ユウジはクラスの一員みたいな扱いになっていた。
「あれ、小春ちゃんは?」
「職員室」
ぶっきらぼうな返事のあとで、不景気な顔しとんな、とぼやかれた。それを聞き流して机の中身を鞄に詰める。不細工じゃなくて不景気ときたか。
小春ちゃんも揃って三人で部室へ行くと、謙也はいつにも増してご機嫌さんだった。友達やクラスメイト、先生達からもたくさんおめでとうを貰ったそうだ。この後テニス部からもお祝いされることを知っているのも手伝って、部活中もひたすらニコニコしていた。ちなみに今回はサプライズパーティーではない。去年も一昨年も誕生日会をしているから流石にサプライズ感は出せなくて、でも何か驚きが欲しいねと皆で相談した末に小春ちゃんの案でパイ投げのサプライズをすることになったのだ。
「楽しみやわー!」
「うんうん、期待しててね」
浮き足立っている謙也に見えないところで、白石と財前がニヤリと笑っていた。二人とも容赦なくパイを投げつけ投げそうだ、と思った通り遠慮や戸惑いなんて全く無かった。『あんたが主役』とド派手な文字の入った襷をかけられて、見事にパイを顔面で受け止めた謙也。「お前らー! 何すんねん!!」と声を上げながらその顔はとても嬉しそう。

謙也の誕生日のお祝いは大成功に終わった、と思う。
私はと言えば今日が始まった瞬間におめでとうのメッセージを送って、そのあと謙也から電話を貰って改めておめでとうを言って、プレゼントは朝一番部活前に手渡した。今年は謙也に何を贈ろうか、ウインドウショッピングをしている時に私が一目惚れしたパーカーだ。明るい黄緑色は着る人を選ぶかもしれないけれどいつも賑やかな配色の服を選ぶ謙也ならきっと着こなしてくれる。本人も袋から取り出してすごく喜んでくれた。次のデートで着てくれるかなあ。

部室のシャワーを使っている謙也を一人待ちながら、パイプ椅子に腰かけてスマホをいじる。小春ちゃんや財前がさっきの誕生日会の写真をたくさん送ってくれて、一枚一枚見ながら保存しているのだけど、どの写真も謙也は楽しそうに笑っていて。好きだなあ。謙也はやっぱり、笑顔が一番似合うなあ。

「なんかええことあったん?」
「わっ、びっくりした」
「はは。すまんすまん」
声にパッと顔を上げると制服を着た謙也がすぐ近くに立っていて、タオルで髪を拭いているところだった。ガシガシと勢いよくやっているものだから水滴が飛んでくる。
「なんや笑てたやん」
「みんなが写真送ってくれててね、それ見てた。謙也にも来てるよ」
「ほんまや、うわ通知30件やって。財前むっちゃ撮っとるやん」
「財前が送ってくれた動画の謙也が最高でした」
「見して。どれ?」
「これこれ」
自分のスマホを謙也に近づけて、喋っている最中の謙也の顔にパイがぶつかる瞬間を再生した。少しの静寂のあとにどっと皆が笑って、画面が時折ぶれるから多分財前も笑っていて、最後に我に返った謙也の声が入る。
「ふっ、はははは、これ何回でも見られるよ」
「お前な……ほんまびびったんやで」
「おいしいでしょ?」
「まあな!」
謙也も自分のスマホを触ってちょこちょこと返信を始めた。謙也のメッセージがテニス部のグループに届いてぽこん、ぽこんと通知音が鳴る。
「え」
「ん?」
「名前、どないしたん?」
「え?」
「なんかあったんちゃうってユウジが」
スマホを机に置いて、その手を私の肩に置く謙也。思い当たるのはお昼のことしかない。ユウジ……何言っちゃってくれてるの。
心配そうに私の顔をのぞきこむ謙也に、迷い無く笑って見せたい。やだなユウジってば、なんていつも通りの軽い調子で。
「名前?」
それが出来ない。

だって、本当に嫌だったんだ。謙也が知らない女の子から誕生日プレゼントを受け取ること。何か知らないけど、そのプレゼントをもしかして家や学校で使うんじゃないかってこと。それだけじゃない。謙也のことが多分好きでプレゼントをくれるような子を、好きになれない私のことも。

「……言いたくない」
「俺には言えへんようなことなん?」
「だってすごくヤな奴だから」
「へ? 誰が?」
「私が」
ふいと視線をそらす。けれどすぐに謙也の手が頬にそえられて、顔を謙也の方へ向けさせられた。そして唇を親指と人差し指ではさまれる。なにするの。
「んんん」
「はは、アヒル口かわええな」
「んー!」
もごもご動かしてみてもまだ離してくれる気はなさそうだ。
「言うてくれるか?」
「……」
「何があったか知らんけど、名前が嫌な奴ちゃうことは知っとるから」
「……」
「安心してや」
「……ん」
あやすように言われて頷くと、私の唇をはさんでいた指がぱっと離れた。
はしゃいでいる時の謙也はどこか可愛い。なのに二人になると、こんな風に静かにぽつぽつと言葉をくれることがあってズルいなあと思う。

カッコ悪いし恥ずかしい話で恐縮ですが、と堅苦しく前置きをして謙也に話した。謙也はいつもみたいに大きなリアクションを入れるでもなく、じっと聞いてくれている。
「……というわけです」
未だ立ったままの謙也を見上げると、目をぱちぱちさせていた。
「ごめん、私めんどくさい」
「あほ、めんどくさいことあるかい。ただ、」
「うん?」
「びっくりしたわ」
え、と今度は私が目を丸くした。
「なんで?」
「名前、今までそんなん全然言わへんから、気にしてないんやと思ってた」
「あー、うん。そうだね……だって、言ったらさ」
しぼんでいく言葉尻を掴まえて、謙也が続きを促す瞳を向けてくる。こうも真っ直ぐ見られると、伝えてもいいような気がしてくる。どうかな、嫌われないかなって臆病が顔を出すけれど。
「私の謙也なのにって、思ってるの、束縛強くてめんどくさいかなって」
だから言えなかった。謙也に似合う、爽やかで心の広い彼女でいたかった。そう私が一息で言い切るのを、謙也は口をきゅっと結んで聞いていた。……かと思えば覆い被さるように上から抱きついてきて、私の肩甲骨のあたりが悲鳴をあげそうなほど力一杯抱き締められる。死んじゃう死んじゃう!
「謙也!潰れる……!」
「あー……もうちょっと」
「ギブギブ無理です!」
私の体に巻き付く腕をほどこうと身を捩るけれど、ほんのちょっとの抵抗にもならない。謙也の声がすぐ近くで聞こえる。あーもー。お前はほんまに。閉じ込められた腕の中でそのくぐもった声を聞いて、許された気になってしまう私は自分に甘いだろうか。
「名前ー」
「はーい」
「すまん」
「え。何?」
「名前が嫌な気持ちになっとるん、全然気付かへんかった」
「や、だって私が言わなかったんだし」
「でもユウジは気付いたんやろ……へこむわ」
観察眼が自慢のユウジだから仕方ないと言おうと思ったけれど、俺が名前の彼氏やのに、そう謙也がぼやいたのがどうしてだか嬉しくって、ふふと笑ってしまう。笑うなや、とぶーたれている時の声色で謙也が言うから余計におかしい。
「あー、でもなんや、めっちゃ嬉しいわ」
「……さいですか」
「独占欲っちゅーやつやろ?」
「もー言わないでよ恥ずかしい」
「ええやん、俺嬉しいもん」

腕の力を緩めて少し顔を上げた謙也と、頬が触れ、鼻が触れ、唇が触れる。ちゅ、ちゅとかわいいキスを何度かくりかえしたあとで、唇を食べるみたいに強く重ねてくる。
謙也の誕生日なのだから欲しいと言うならあげてもいいよ。その代わり、独占欲にまみれてやっぱりちょっとヤな奴になってしまった私も、ちゃんと好きでいてね。


2019/03/26
まほら


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