コーヒーの香りが鼻をくすぐる。近くに人がいるのを感じて、ふかふかの枕に埋めていた顔を上げるのといっしょに目をひらいた。まぶたも頭もまだ寝させておくれと訴えていて、私の視界や意識ははっきりしない。

「名前」

それでも、これが謙也の声というのは分かった。
……謙也の声?

まばたきを繰り返す。そうしているうちに目が冴えてきて、肌の感覚を取り戻す。ちょっと寒い。特に首まわりが。そこで私は、自分が何も身につけていないことに気づいた。うつ伏せになっているため潰れている自分の胸を見てどういうことだと考える。パジャマどこいった。

「おはようさん」

ギ、という小さな音とともにベッドが少し沈んだ。私のすぐ横に腰掛けたのは謙也で、彼は手に持つコーヒーカップにひとくち口つけて、それをサイドテーブルへ置いた。この木造りのサイドテーブル、可愛くて好みなんだけど、私の部屋にはなかった。そもそもここは私の部屋じゃない。我が家の布団はこんなに肌触りのいいものじゃないし、家具も、照明も、何もかも違う。
しかし、ここはどこか、なぜ私は丸裸なのか、どうして謙也がいるのか、そんな疑問は吹っ飛ぶ。私は謙也を見て、え、の口のまま固まってしまった。謙也の髪が、真っ黒だったからだ。

「え、……え?」
「なんや、どうした?」

それはこっちの台詞だ。
名前、と名前を呼んで不思議そうに私の顔を覗き込んでくる謙也。私が初めて会った時から彼は金髪だった。写真でだって黒髪は見たことがない。……そういえば、不良かと思って謙也を避けていた頃もあったっけ。

「……謙也、髪……黒くしたの?」
「ん? ずっとこうやん」
「うそ」
「嘘ちゃうって。名前のおとんに挨拶行くとき、さすがに金パはあかんなーって戻したやん」
「……なに言ってんの?」

私が家へ誘うたび、ちょお待ってまだ心の準備が、なんて言ってイヤイヤと首を振るじゃあないか。まだ高校生なのだし、別に結婚の挨拶をするわけじゃないのに。
不可解な顔をする私に、謙也は首を傾げた。

「昨日無理させすぎたか?」
「……は」
「やって、名前がそろそろ三人目がほしいなんて言うから……ほんなん張り切ってまうやん?」

謙也は申し訳なさそうにそう言って私の頭を撫でる。なにそれ。三人目って。何もかも分からないし、恥ずかしい。心臓が痒くて、もぞもぞ足を動かして、私は仰向けになった。鼻が隠れるところまで布団を引っ張り上げる。
そんな私を見て謙也は口元に笑みを浮かべた。ふ、とゆるやかに。

「クリスマスやしな。サンタさん、三人目頼むで」

謙也の手が額におりてくる。前髪を撫でたと思ったら、今度は前髪を分けて熱を計るように手のひらを乗せた。彼の手のひらはあたたかいのに、その薬指をしめつけている輪っかだけはひんやりしている。布団の中、自分の左手の親指で薬指の根もとを擦るように触って、おなじものを見つけた。
顔中が勝手に笑おうとする。涙がこみ上げてくる。悟られたくなくて私は目を閉じた。これは、夢だろうか。夢は温度を感じることが出来るのだろうか。涙は生まれるのだろうか。
額で感じている謙也の温もりで布団に溶けそうだ、と思った。

「……ねむい」
「ええよ、寝とき」
「うん」
「おやすみ、名前」

おやすみ、謙也。

まどろみ意識が落ちていく途中、遠くで子どもの声がした。
――おとん! サンタさんからプレゼントもろたー!





「…………」

ぱちぱち、まばたきする。そして飛び起きる。見慣れた私の部屋だ。パジャマもしっかり着ている。
壁にかけてあるカレンダーを見た。12月25日。日にちを大きく囲む星マーク。今日は謙也とデートの約束をしている。クリスマスだもん。

おおきなベッド、今より少し大人っぽい顔つきの謙也、まっさらな指輪、二人の子どもーー。こんな夢を見たと言ったら、笑うかな。耳まで真っ赤にして恥ずかしがるかな。
携帯電話を手にとる。言いたいことがあるの。私の夢の話は、今はまだしないけど。髪、黒も似合うよ。今日のデートは家具屋さんに行こう。早く会いたいな。それから、

あのね 君が好きだよ


2013/12/28
#69


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