7組の教室の中に名前を見つけた。外はもう随分暗いのに明かりもつけず、手元に視線を落としてせっせと作業をしとる。机の上にはノートと教科書、辞書と、紙コップ。教室には名前の他に誰もおらん。
開きっ放しの扉から教室に入った俺に名前は気づかない。パチ、と照明をオンにするとようやく、一心不乱に動かしていた手を止めて顔をあげた。

「あ、白石」

俺を見つけて、名前は小さく笑う。

「あ、やあらへん。明るくせな目ぇ悪うなるで」

近寄りながら、自分の頬が笑みを作っとることを自覚する。

テニス部のマネージャーとしてひたすら俺達を支えてくれた名前のことが、いつの間にか好きやった。毎日がやけに鮮やかなのは、もちろんテニス部の面々のおかげもあるけど、何より名前がおるからや。……そう気づいた時には引退で。クラスの違う名前とはなかなか会えなくなってしまった。ついこの間まで、朝も晩も一緒におったのに。

名前の前の席に座って彼女のノートを見る。小さい字で、これでもかっちゅうほど英単語がびっしり敷き詰められとる。

「今日は塾無いん?」
「うん、先生が風邪でね。休みになったの」
「そか」

季節の変わり目だからねえ。そう言って名前が外を見る。そして今さら、ほんとだ暗い、なんて言いよった。
相変わらず目の前のことしか見えてないらしい。ひたむきで、だから余計に視野は狭くなって、時々失敗する。そんなところが放っておけなくて、かわいくて。どうしようもない。

「白石は?」
「委員会でちょっとな」
「そっか」

名前の右手は少し黒くなっていた。ノートに書き連ねた英単語の上に手をのせとるせいやろう。その手に触れたくなる。細くて頼りない指。でも、ぬくそうな手。そのまま見とると無意識に握ってしまいそうな気がして、名前の手から目をそらした。

「勉強は順調ですか」

よそよそしく聞いてきた名前に「ぼちぼちやな」と返す。

「またまた、そんな謙遜を」
「そんなんちゃうって」

そら、特別苦手な科目は無いけど。だからと言って受かる保証があるわけやない。そんなもん、最後まで誰にも等しく、無い。だから今日も明日も教科書と向かい合うわけで。

「お前と一緒や。俺かて、不安もある」
「……そうなの?」
「おお」

来年もみんな一緒にっちゅうんは難しい。あの高校は誰でも簡単に行けるようなとこやないからなあ。
それでも、ユウジは小春にひっついて必死んなって勉強しとるし、千歳もオサムちゃんの世話になりながら頑張っとる。あいつらのそんなとこを見るとな、安心するんや。まだ一緒にテニスしたいと思っとるんは俺だけやない。みんな同じなんや、ってな。

そこには名前もおってくれなあかんで。

「やから、頑張ろな」

お互いに。なんて付け足してみた。
余裕のない声だった。おかしい。カッコ悪いな、俺。

名前はぽかんと口をあけて、まばたきを繰り返しとる。

「……なんや」
「え、ああ、……うん。白石も人の子なんだなーと。ちゃんと認識できました」
「なんやそれ」

名前はくつくつ笑い出し、可愛いねえ、なんて言う。ほんまは不安でしゃあないくせに急に余裕ぶって。なんやねん。悔しくて、名前の頬をゆるく抓った。それがあかんかった。
触れた頬は驚くほど熱い。名前は笑うのをやめて、きゅっと口をつぐんだ。みるみる赤くなる顔、耳。瞳まで熱を持って、言葉にならない声を目から発しようとしてるみたいに見える。

どういうことや。
俺の手に染みこむ名前の体温と、自分から噴き出す熱とで、わけがわからない。その一方で、全部わかってしまった。なあ、名前。

「……がんばろうね」

ぽつんとそう言って、困ったように笑った。

名前に触れている手がふるえそうな気がして、のたのたと放す。俺の自惚れでも、都合のいい妄想でもないらしい。春になったら、名前の気持ちもはっきりと目に見えるんやろう。その時はきっと迷いなく手も重ねられる。

春になったら。



やわらかい風が吹く


2012/10/16
相互記念に、dearestの水生さんへ!


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