イルミネーションとクリスマスソングが溢れて賑わう街を横切って、私は約束の場所に向かっている。



Last Love Letter




お店に入って「忍足です」と女性の店員さんに伝えると、奥の座敷に案内される。お店は香ばしい匂いで満ちていて、仕事終わりの私のお腹がぐうぐう唸る。咄嗟にお腹を抑えたけれど、なかなかの音量だったから、前を歩く店員さんには聞こえていたのだろう。店員さんは少し振り返って、きれいに微笑んだ。ああ、恥ずかしい。
案内してくれた店員さんにお礼を言って中に入ると、彼が待っていた。

「忍足くん、お疲れ様」
「苗字さんも」

にこっと笑う忍足くん。初めて会った時、彼は21歳だった。あの時も「色っぽい人だなぁ」と思ったが、今年26歳、研修医二年目の彼はまた一段と色気を増している。
だけど、以前会った時よりも痩せていた。

「ちゃんと食べてる?」

靴を脱いで座敷に上がり、忍足くんの向かいに座る。約束の時間まであと3分。あとの二人は時間に間に合うんだろうか。

「一日三食は無理やけど、食べとりますよ」
「そっか。……少なくとも謙也くんの食生活よりはマシか」
「そう思います」

そうなんだ。同じく研修医二年目の謙也くんの食生活は、すごく、残念だ。カップ麺ばかり食べて、栄養ドリンクばかり飲んでいる。合鍵をもらったし、時間を見つけては彼の一人暮らしの部屋に行ってご飯を作ってみたりはするのだが、彼は大阪、私は京都。いつでも行けるわけじゃない。
京都の大学病院で研修医をしている忍足くんは、今年の春、ゆきちゃんと同棲を始めた。忍足くんから誘ったらしい。同棲。私たちも同棲すれば、今よりは会えるだろう。私の職場が遠くなったって構わない。同棲すれば……。
忍足くんとゆきちゃんが同棲し始めたことを知ってから、ずっとそう思っていた。だけど、謙也くんに言い出せない。超多忙で、仕事の合間に勉強もしなくちゃいけなくて、寝る間もない謙也くん。久しぶりに会えても、疲れている彼に一体何をお願い出来るだろう。
謙也くんはそういった話をしない。私からは出来ない。だから、進展しない。

「そう言う苗字さんはどうなんですか?」
「え?」
「あんまり食べてへんのとちゃいます?」

忍足くんが、自分の顎のラインをなぞる。見抜かれている。確かにここ最近私も仕事が忙しくて、食事を抜いてしまうことがあった。そうして、顔まわりが痩せた。

「ちょっとね。でも、謙也くんよりはマシだよ」

忍足くんは笑った。


この会えない日々は、寂しい。謙也くんはマメに電話をくれて、それはすごく嬉しいのだけど、100回の電話より、5分でいいから謙也くんに会いたい。
だけど私は耐えられる。耐えてみせるという、覚悟があった。
五年前の今日、謙也くんに手紙を送ることで未来を捻じ曲げた私。元々の未来には、謙也くんはいなかった。いなかったんだ。それを思えば、なかなか会えないのなんて、どうってことない。……「どうってことない」は言い過ぎたかな。


ドタドタ、騒がしい足音がやってくる。

「お待たせ!」
「すまん遅れた!」

5分遅刻や。そう言う忍足くんの横にゆきちゃんが腰をおろして、いやーごめんねーとからから笑った。謙也くんは私の横に座って、首筋をぐいぐい伸ばしている。お疲れ様。私がそう言うと謙也くんは私を見て、「名前さんも」と言って照れたように笑う。そのくせ、机の下で、私の手を取ってぎゅっと握った。謙也くんにはかなわない。
注文をして少し待つと、料理とビールが運ばれてくる。クリスマスイブのそのまたイブ。少し早いが、私たちはクリスマスに乾杯した。

「二人の五回目の記念日にも、乾杯!」

ゆきちゃんがからかうから、お酒を飲む前に謙也くんが真っ赤になった。





「ほなまた」
「名前、おやすみー」
「名前さん、気ぃつけて帰ってや」
「うん」

終電に間に合うようお店を出て、謙也くんは大阪へ、忍足くんとゆきちゃんは二人の部屋へ、地下鉄に乗って帰る。ここから歩ける距離に家がある私は改札で彼らを見送った。またね。手を振って、三人も手を振ってくれて。だけどその姿が見えなくなる瞬間、孤独を感じる。
本当は謙也くんともっと一緒にいたい。だから昨日、電話をくれた謙也くんに冗談めかして「明日、泊まってく?」と聞いたのだけど、次の日も朝から病院に行かなきゃいけないからと至極真面目に断られた。あーあ。どっちが年上なんだか。
階段を上がって地下から出ると、冷たい風に体が震える。クリスマスソングは相変わらず楽しげに鳴っているのに、酔いが醒めてしまった。さっさと帰って一人飲み直そうか。明日は休みだもの。


頻繁に会えないことは寂しいけれど、耐えられる。耐えられるけれど、やっぱり寂しい。
五年間抱えた気持ち。謙也くんと手紙のやり取りをしていた頃の私が知れば、贅沢な悩みだと言うだろう。「生の謙也くんに会えて、電話をもらえて、十分に愛されて、どこが寂しいんだ!」と。
それも、もっともだ。
私は謙也くんに愛されていると自信を持って言うことが出来る。だって、謙也くんの愛情表現はストレートだ。その上いったいどこの少女漫画かと思うような、ベタで、ロマンチックで、恥ずかしくて、嬉しい、そういう事を謙也くんはしてくれる。照れながら、真剣に。だから参ってしまう。もっと好きになってしまう。

付き合ってしばらく経った頃、手紙を送り合ってみたことがあった。謙也くんが言い出したのだ。あの二年の時差はまだ有効なんだろうか。試してみよう、と。
本当の意味で会えてから、私たちは、手紙のやり取りをやめていた。私が謙也くんに送った、『私との待ち合わせには来ないで』が最後の手紙だ。
私は謙也くんの提案に乗った。だけど、何と書いて送ろうか。たっぷり悩んでから、私は便箋の真ん中にヒヨコを描いた。それからその子に吹き出しを付けて『あなたは二年後の謙也くんですか?』と文字を入れた。
だけどその手紙は、二日後の謙也くんに届いた。不思議なことに――元々、手紙に二年もの時差がある方が不思議なことなのだが――なぜか時差は無くなっていた。私のところにも、二日前の謙也くんから手紙が届いた。謙也くんの手紙にもヒヨコが描かれている。吹き出しには『ずっと好きです』。
本当、どこの少女漫画のラブレターだろう。少女漫画と言うにはヒロインの年齢がやや高めだけれど。そんな自虐が浮かんでも、しばらくの間、私の顔はニヤけ続けた。

幸せなことばかりだ。
謙也くんは勿論、忍足くんとゆきちゃんには、いくら感謝しても足りない。今の私たちがあるのは忍足くんとゆきちゃんのお陰だ。
二人には、謙也くんとの手紙のやり取りのことは言っていない。謙也くんにも、元々の未来のことは、言っていない。今はそれでいいと思っている。
いつか、ずっと先。皆の最期を看取ったら、彼らのお墓の前で言おうかな、なんて考えている。だから私は、誰より長生きするんだ。


住み慣れたマンションに着いて、郵便受けを開ける。近くにできた新しい飲食店のチラシ、物件の広告、先月の電気料金のお知らせ。いくつかの郵便物をその場で見ていく。それから白い封筒。差出人の名前は忍足謙也。胸の内がざわざわ、騒ぎ出す。
中に入っているだろう便箋を傷つけないように、慎重に、ピリリと指で封を切る。このパターンを私は五年の間に覚えてしまった。きっと謙也くんが仕掛けたサプライズだ。そうと分かっているのに緊張している私。だって、毎回、打ちのめされるほど嬉しいことを彼がしてくれるから。便箋を取り出して、広げる。いつかのように、そこには一言しか書いていない。その後に続くのは、二年前の今日の日付だった。

「……え、なんで?」

二年前の日付の手紙が今日届くというのは、どういうことだ。だって、時差は無くなったのに。そこにある文字を見つめたまま、私は固まった。動けない。それは、誰かが後ろから私を抱きしめているからだった。

「謙也くん」

色々な事のせいで、私の頭はショート寸前だった。言葉が、日付が、謙也くんが。私の心から平穏を奪う。

「この手紙、どうしたの?」

ともすれば震えそうになる声。なんだか胸も痛い。

「今日、待ち合わせの前に俺が入れました」
「ここに?」
「ここに」

耳元で謙也くんの声がする。謙也くんは、ふは、と笑って「書いたんは二年前やけど」と言った。私の目からぽろぽろ落ちていく涙。二年も前から、謙也くんが私との結婚を考えてくれているなんて。知らなかった。そんな事、謙也くん、少しも話題にしなかったじゃないか。……そうか、そこからサプライズは始まっていたのか。ぶわ、と涙が溢れる。
幸せなことばかりだ。

「びっくりしたやろ?」

謙也くんが私の正面にまわりこむ。私の顔を見て、また笑う。謙也くんの問いかけに、私は頷いた。謙也くんは満足そうに「せやろ」と言って、ポケットからハンカチを出して私の顔を拭いてくれた。
こんなに愛されている。こんなに幸せにしてもらえる。ぎゅうぎゅう抱きしめてくれる謙也くんのあたたかさが、私に染み込む。私はこの人が、すきで、すきで、たまらない。私も力いっぱい抱きしめた。私の気持ちも、伝えるんだ。

「謙也くん」
「ん」
「謙也くん。……わ、わたしと、」
「ちょ、ちょ、待ってや」

えっ。謙也くんは少し体を離して、困ったような顔で私を見下ろした。そんな。困ったのは私だ。一世一代の告白を「待って」と遮られては。
絶望的な気持ちに支配されていく私の顔を見てか、謙也くんが焦りだした。ちゃうねん。名前さん。そう言って、私の肩をつかむ。

「俺に言わせてください」
「え、だって、謙也くん手紙で、」
「もっかい俺から言いたいんや」

真摯な眼だった。頬が赤い。私は、何も言えなくなる。
謙也くんはすっと息を吸って、少し間をあけて、手紙をなぞるように言った。


「結婚してください」


いっときとまっていた涙が、はたはたおちる。謙也くんが私の返事を待っている。私は、嗚咽をこらえて、はい、そう言うのが精いっぱいだった。
そんな私に、謙也くんは、ほどけるようにやさしく笑った。


私たちの手紙のやり取りは、これで本当に、おしまい。これからは、もっと近くで、ずっと一緒に、生きてゆくから。





2012/06/29
結香さんのリクエストで「LLLのその後、結婚まで」でした。結香さん、リクエストをありがとうございました!


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