血まみれた絆
ちびロヴィと戦から一時帰国した親分
暗い空の下に独り、碇のように重い脚を引きずって、見慣れた家に向かい歩く。いつも通っている道のはずなのに、えらく長いこと歩いているような感覚がした。
もう後ろを振り向く気力さえ残っていなかったが、自分の歩いてきた道に赤い液体をこびりつけてしまっただろうことは分かる。
トマト畑に差し掛かり、家はもうすぐだと確信する。
いつもは綺麗だと思える、太陽の光に染まる赤々としたトマトでさえ血に見えてしまい、今は視界に入れたくなかった。
家に着いて最初に出迎えたのは召使たちだった。やっと辿り着けた安堵からか疲れからか。もうそんなのどっちだって構わないが、今まで自分一人のこの脚で歩いて来たのが不思議な程、急に力が抜けてその場に崩れ落ちた。
倒れる前に召使たちが支えてくれた。
すると、自分はとうに慣れてしまった錆びた鉄のような血の匂いが玄関に充満し、それに不慣れな召使たちは眉間に皺をよせた。鼻を袖で覆う者もいた。
まぁそんな反応だろうなとは予想していた。なんたって、自分は血を被って来たのだ。出かける前に羽織った鮮やかな赤の軍服の上着の変わり様といったらどうだ。今では固まった血液で、ワインよりも黒い赤に染まっている。
「親分!!」
久しぶりに聞く甲高い声が玄関に飛び込んできた。この声の持ち主はベルだと、顔を上げなくても分かる。
「……っ、い、今救急箱持ってくるわ!」
さすがのベルも、血まみれた自分を見て、一瞬たじろいだようだ。またすぐに大急ぎで部屋の奥へ走っていってしまった。
もしこの姿をロヴィーノが見たらどうなるのか。そんなの想像しなくても分かる。幼い子供にはあまりにも残酷すぎる。
ガチャリとドアが開いたので、ベルが戻ってきたのかと顔を上げた。
「ア……アントー、ニョ…?」
否、今一番この姿を見られたくない人物だった。
ああ、ほら。血に驚いている。嫌われたかな、仕方ないかななんて自分を嘲笑う。
「お、ま…そのケガ…」
真っ赤な自分とは反対に、さっと血の気が引いたような真っ青な
顔をして、ロヴィーノが尋ねる。
「半分は俺のとちゃうよ…」
顔を下げながらそう答えた。数ヵ月切らずにだらしなく伸びた髪の毛から、ぱたたと赤い雫が床に垂れた。
半分は他人の血、と察したのか。ロヴィーノは涙目になって唇を噛む。さっきのは子供には言っちゃいけない言葉だったと気付き、ロヴィーノを恐がらせてしまったことに悔恨する。
「ごめんなぁロヴィ……」
我ながら情けない。子分を恐がらせてしまう親分なんて、この世にいるだろうか。
でも、そんな最低な親分に自ら寄ってきてくれる子分も、この世にいるだろうか。
落胆する自分に近づき、服の袖で顔の血を拭うロヴィーノに内心驚く。
「…血、着いてまうで」
「別にいい」
「血、怖ないん?」
「ばかにすんな」
ある程度顔に着いた血を拭き取ると、ロヴィーノのオリーブ色の瞳が、自分を捕える。その顔にはもう恐怖の色は窺えない。
「……んな………」
「…え?」
「……あんま無理すんな……」
それは小さな小さな声で。
なんとかか細いそれを耳で拾い、自分の口元が緩く上がった。数ヵ月間いた戦場では微笑すらしなかったから、笑い方なんて当の昔に忘れてしまったと思っていたのだが、不思議と簡単に笑えた。
「…おおきに」
そう言ったら、ロヴィーノの顔に安堵の色が灯った。
「祖国様、もうお時間です!」
玄関に響いた声は、共に戦場へ行っている部下のものだ。
「もうかいな…」
行かなくては。
こいつを守るために。
誰にも渡さないために。
部下に両肩を支えられ、やっとの思いで立ち上がる。
「え…また行く……のか…?」
「……せやで、行ってくるわ。ちゃんとええ子で待っとってな。」
自分の力で歩きだすと、後ろから軽く制止された。
軍服の裾を握り締める、小さな可愛い俺の子分。
「離してや、ロヴィーノ」
「…行くなよ、また…ケガ増え……っ、」
そこには普段のつんといた表情などどこにも見当たらず、顔を真っ赤にして涙をその大きな瞳からこぼしている。所詮子供、やっぱりロヴィーノだって素直なのだ。
「祖国様!お早く!」
急かすように呼ぶ声に、ぎりと歯を噛む。
「……っ!」
悲しいことよ。
戦いに疲れきって、もはや無いに等しい残りの力は、こいつを抱き締めるために使いたかったのに、こいつの小さく幼い手を乱暴に振り払うことに使ってしまったのだ。