※大幅な捏造があります
※これの続き
※台詞が多いですそして死別
風が強く吹いている。
隙間風も通らないような立派な部屋だが、やはり念のため戸をもう一度閉まっているか確認した。
今の彼には、隙間風すらも脅威になりかねない。
郭嘉の病は、日を追うごとに少しずつではあるが確実に進行している。
「……ょく…?」
「奉孝、起きたのか」
「…、うん。でも、まだ少し寝ていたいかな…」
「遠慮せずに寝るといい。俺はここにいる」
「…じゃあ、申し訳ないけれどお言葉に甘えよう。…おやすみ」
そう言って、一度浮上した意識がまた深く落ちていく様子を見守る。
口調こそ以前とは変わらないものの、声の張りは極端に弱くなっている。
歩くこともままならなくなってしまった郭嘉は、こうして寝ている時間が多くなり、誰かが付きっきりで看病せざるを得なくなるまでに衰弱していた。
日光にきらきらと反射していたきれいな髪の毛も、宝玉のような薄い砂色の瞳も、今では病に淀んでしまって本来の輝きを失われてしまっている。
曹操が郭嘉の身を案じて侍女とは別に世話をする人材を探していたが、見かねた徐庶はそんな郭嘉の看病を願い出た。
自ら進言する事がなかった徐庶の願いに、曹操はそれは驚いたようだったが。
幸いにも深くは追求されずにすんなりと許可を得る事が出来、元々付いていた侍女達とともに徐庶は郭嘉の身の回りの世話を始めた。
力の弱い侍女の代わりに体を起こして着替えさせたり、厠に連れて行く事を主に任されていたが、元々母親の世話もしていた事があってかあまり足を引っ張らずに済んでいるようだ。
侍女達ともそれなりに仲良くなり、郭嘉が寝ている間に他愛ない話もするようになった。
「奉孝様、今日はお顔の色がよく見えますわね」
「そうだね。俺もそんな気がする。なんとなくだけど幸せそうに寝てるし」
「…元直様、お辛くはありませんか?」
「えっ」
「奉孝様の病気は…もう治らないとお聞きしました」
「……」
「愛する人が近々自分のもとを去るのを知りながら世話をするなんて…」
「あっ!?い、い、いや、俺はそんなっ」
「奉孝様、本当は一途な方でいらっしゃるんですよ」
前触れもなく語られる郭嘉の話に、徐庶はぽかん、と口を開ける。
郭嘉との関係を悟られていたのも驚いたが、郭嘉が一途な性格というのにも驚いたからだ。
侍女は郭嘉の服を畳みながら続けて言った。
「私、酒場で働いていたところを奉孝様にお声をかけて頂いたんです。奉孝様はお酒が好きな方ですから、それはもう何回も足を運んで頂きました」
「はあ…君が目当てだったのか」
「さあ。でも、こうして奉孝様のお側に仕えさせて頂けて…お夜伽も何度かお相手させて頂きましたし私は幸せにございます」
「君が正室だったのか。気が付かなかった、すまない」
「あら、いいえ。私はそんなたいそうなものでは…私の他にも侍女はおりますし」
「…え?じゃあ彼女達も皆」
「ええ、お手つきです。侍女達は一人残らず奉孝様とお夜伽を共にしているはずですが」
「…噂には聞いていたけど、本当に女性が好きなんだな…」
徐庶が会った事がある郭嘉の侍女は四人ほどだが、それでも経験がないに等しい徐庶にとっては相当なものだ。
思わずはあ、と感心のため息を吐いてしまう程である。
と、そこで、侍女の先程の話を思い出した。
「侍女全員と褥を共にしているって…どこが一途なんだい」
「ですから、元直様だけですよ」
「えっ」
「気に入った娘を自分で手に入れてその日のうちにまぐわう奉孝様が、こんなに大事にされているのは元直様だけです」
「…そんなの、男だからだよ。男相手にそんな気になれないんだ、きっと。というか、病にかかっているにも関わらず本当に君って奴は…」
「そう言う方ですから。…でも、のんびりしているようで、やはり生き急いでおられたのでしょうね。恐らく正室を娶らないのも、亡くなられた際に悲しませる人を増やさないため。それでも男性の元直様をこうして愛されている事は亡くなられた後も覚えていて欲しいからではないでしょうか」
「……君は聡明な女性だな」
「これでも奉孝様に気に入られた女の一人ですもの。中でも元直様は特別…それくらいは他の侍女達もわかっております」
がたがたと風に打たれ、入口の戸が揺れる。
外はもう日が暮れただろうか。
小さく寝息をたてる郭嘉の表情は至極穏やかだ。
寝台の横に置いた椅子に座り、徐庶は両手で顔を覆った。
「俺は、奉孝を忘れない。忘れる、ものか」
「はい…奉孝様もそれを望んでおられます。…日が暮れて参りましたので、私は失礼致しますね」
侍女はそう言うと畳んだ服を箪笥に直し、行灯に灯をともしてから部屋を出ていった。
指の隙間から郭嘉を盗み見れば、橙の縁に彩られた髪が鈍く輝いている。
雪のように白い肌にも同じように反射して。
まるで。
「…奉孝…?」
「まだ…生きているよ」
静かに発せられた声に、どきりとする。
顔を上げると、郭嘉が薄く笑いながら徐庶を見ていた。
病に蝕まれて痩け始めた顔は、ひどく優しい。
「聞いていたのか」
「さあ。どうだろうね」
「…意地が悪いな」
「こんな性格だからね。…元直殿、起こしてくれないか」
郭嘉の申し出に応えるために腰を上げ、郭嘉を抱き込むように支えて体を起こす。
と、徐庶が離れようとしても郭嘉の腕に引き留められた。
不思議に思って郭嘉の顔を見れば、また微笑んでいて。
その表情にたまらなくなり、徐庶は郭嘉に回した手に力を込めた。
「奉孝、俺は…俺なんかが、君の傍にいていいのか…?」
「……」
「俺は女じゃない…君が好きな女じゃないんだ」
「ああ、そうだね。あなたは女性じゃない、見ればわかる」
「…抱く事も、難しいだろうな」
「……」
「俺なんかで、いいの」
つい、と細い指で頬をなぞられて、そこで初めて泣いていた事に気付いた。
顎を伝って敷布に落ちた涙が、小さな染みを作っている。
止めようとしても溢れる涙で濡れた眦に郭嘉は唇を寄せ、愛おしそうに軽く吸う。
反対側も同じようにされ、後に軽く唇を合わされて。
徐庶は胸が焦げ付くような、軽く引っかかれるような。
そんな感覚に陥った。
「私は元直殿が好きなんだ。それ以外の理由はないよ」
「……」
「もちろん、こうして口付けあって愛を囁いたりしたいし、気が狂うまで抱いてあげたいとも思う」
「ちょっ…き、気がくるっ…!?」
「ふふ…こんな事言うつもりはなかったけれど…。本当はね、あなたの一糸纏わぬ姿や、あなたの恥じらう可愛らしい表情、あなたのはしたない嬌声…全て私のものにしたい。いけないかな?」
「は、したな…っ」
「おや、まるで火が出るような顔だね」
「き、君のせいだ!俺がそんなっ…できるわけ」
「私はいつもそんな想像をしているのだけれど…夢も見るしね。あなたは違うのかい?」
違う、とは言えなかった。
実際郭嘉の知らないところで何度かそういう想像はしたことがあった。
だが、先の記述の通り女性との経験もあまりない徐庶は自分が郭嘉に組み敷かれている所までは思考がついて行かなかった。
せいぜい互いの陰茎を触り合い、郭嘉に甘く口付けてもらって果てる。
恥ずかしながらそんな程度だった。
後に男が男を受け入れる場合は後孔を使うものだ、と知って目眩を覚えたが、郭嘉を想って指を入れようとしてもどうしても勇気が出ず。
情けなくも今に至っていた。
「…ほ、んとに…したいのか…?」
「ああ、したいさ。こんな身体だけれど、やはり溜まるものは溜まるしね。…でも、あなたを大事にしたい気持ちのほうが上だよ」
「奉孝…」
「だから、そんなに考え込まないで欲しいな。体を繋げることが全てというわけではないだろうし…ああ、でもあなたの可愛らしい嬌声は聞いてみたかったかもしれない」
「…未練たらたらじゃないか」
「ふふ…ごめん。私だって男だからね」
「………わかった」
「え?」
「君が聞いてみたいと言うなら…俺なんかの声なんて、色気もないだろうけど」
「…え?」
「してみせるよ。君がしたいと思うこと、俺が出来る事なら何だって」
「げ、元直殿、落ち着いて…」
「俺だって…君との、奉孝との思い出が欲しいんだ」
冬の寒い空気が素肌に凍みる。
でも、それ以上に徐庶の体内の温度は沸騰するぐらいに高くなっていた。
床に落ちる布の音と、二人分の体重がかけられた寝台の軋む音がやけに大きく聞こえ、郭嘉が息を飲む様子もはっきりとわかる。
上手くできるかなんてわからない。
それでも、愛しい郭嘉の願いは叶えてあげたかった。
「…元直殿」
「奉孝…恥ずかしいけど、俺はこういう事はあまりわからないんだ。だから、…教えてくれないか」
「……」
「君が想像した事、全部…教えて」
「………」
「……元直」
「………はい」
「正直、死ぬかと思ったよ」
「俺も焦った。何であんなに動けるんだ」
「消えかかった蝋燭の火みたいな…」
「…冗談に聞こえないんだけど」
「ごめん」
「尻が痛い」
「ご…ごめん」
「腰も」
「…すいません」
「…でも、嬉しかった」
ずきずきと痛む下腹部を自分でさすり、仰向けで寝ていた体の向きを変えて郭嘉を見る。
郭嘉は向きを変えずに、顔だけ徐庶に向けている。
心なしか郭嘉の頬の血色がよくなったような気がして、徐庶は枯れた喉で小さく笑った。
「そんな身体でも性交になると元気になるなんて、本当に色魔だな」
「…否定はしないさ」
「全く…腹上死されなくてよかったよ」
「実際死にそうだったけれど」
「だから冗談に聞こえない」
身を乗り出してかさつき始めていた唇に己のそれを合わせると、ゆるく指で頬を撫でられる。
郭嘉の動作、一つ一つがとても愛しく感じられる。
徐庶は情事の前に郭嘉にされたように震える両睫に口付け、やけに冷たく感じる郭嘉の額に熱を分け与えるように自分の額を擦り合わせた。
力なく浮かせたままだった手のひらを掴み、指を組むように繋ぐと砂色の綺麗な目が優しく笑う。
「愛してる、いつまでも。未来永劫、死するまで」
「…元直」
「……」
「私も、愛してる」
「……奉孝、」
「…愛してるよ」
「ほ、うこう」
「泣かないで。…私は、あなたの笑った顔が見たい」
「…うん」
顔を離し、徐庶が今出来る限りの笑顔を見せると、郭嘉は面白い顔だ、とまた意地が悪い事を言う。
それを咎めれば、あまり反省していないように笑いながら謝った。
繋いだ手の温度は、徐々に冷たくなっていく。
郭嘉の口の端から、赤い液体が滲み出てきている。
「…好きだよ、ほんと。何物にも変えられないくらい、一番好きだ。元直といる時間が、一番幸せだ」
「……」
「戦が終わらない暗い乱世でも、一緒に居るだけで、こんなにも、かがやいてみえるよ」
輝いているのは奉孝の方だ。
そう徐庶が言うと、郭嘉は満足そうに微笑んで目を閉じた。
部屋の外は、時間が止まったかと思う程静かだった。
「…赤壁は、曹操の大敗か」
郭嘉が死んで間もなく、孫呉と曹魏は長江の赤壁にて歴史的な大戦を起こした。
西涼の馬騰を警戒するために、と銘打って遠く離れた陣地に居た徐庶は、赤く染まる長江の空を見上げてぼんやりと考える。
あの曹操の陣は恐らく鳳雛による計、そしてあの火は自分が劉備に推挙した伏龍による計だ。
郭嘉なら、あの計を打破できただろう。
「奉孝…君がいない事で、歴史が変わったぞ」
東南から吹く強い風があの夜を思い出させ、徐庶は目を閉じて馬の手綱を強く握る。
そして撃剣を掲げ、軍に向かって声を上げた。
「赤壁から退却する本隊と合流する!敵の追撃を食い止めるんだ!」
青く染めた服を靡かせ、徐庶は馬の腹を蹴って赤壁から逃げる曹操を追った。
新しい世界
(君がいなくなった世界は、こんなにも暗い)
これで終わりです。
長々とお付き合いくださりありがとうございました!