これとこれの続きです
堺が金髪です注意
眉間の皺が、不快感を露わにしている。
じりじりと頭皮を攻めてくる痒みと痛みが、なんとももどかしい。
「…あともうちょっとですから、我慢して下さい」
練習が終わり、後片付けをしていると少し遠慮がちに声をかけられた。
ポジション上あまり話さないが、杉江とは仲が悪いというわけでもない、堺だった。
堺が言うには、髪の根元が黒く目立ってきたので染め直して欲しい。
美容院で受けるカラーリングは割と値が張るものだから、できれば費用がかからない杉江に頼みたい、と。
自他共に認めるストイックな堺はプライドが人一倍高く、他人にものを頼むことが苦手だ。
かといって美容院に行くよりは身近なチームメイトの杉江に頼む方が経済的、何より気もあまり使わなくていいので楽である。
せっかく杉江がいるんだから市販の染料で染めるのもな、と少し笑いながら堺はそう言った。
「コーヒーでも飲みますか?」
「おー」
「ブラックでいいですか?」
「…おー」
「って言ってもインスタントしかないですけど」
「何でもいい」
髪に色が入るまで、しばし時間がかかる。
ここは美容院ではないから気の利いた雑誌などはなく、堺も暇だろう。
杉江はちょっと待ってて下さいね、と堺に一言断って美容室から出て給湯室に向かった。
給湯室で魔法瓶に暖かいコーヒーを作って入れ、共に備え付けのマグカップを二個持つ。
暇つぶしにサッカー雑誌でも一緒に持って行ってやろうかと考えたが、あいにく手が空いていない。
何よりストイックな堺の事だ、クラブハウスに置いてあるサッカー雑誌はもう既に読破しているだろう。
杉江は魔法瓶とマグカップだけを持って美容室に帰った。
「堺さ…、えっ」
杉江が美容室に戻ると、堺は船を漕いでいた。
どうやらちくちくと気になっていた頭皮の痛みも峠を越し、待つという退屈さから眠くなってしまったのだろうか。
神経質な堺が眠気に誘われるというのは珍しい。
「ん…、すぎ…」
「今からシャンプーで洗い流すんで、寝ててもいいですよ。優しくしますから」
「…、じゃあ…」
そこまで言うと、堺の頭はこて、と後ろに倒れ、小さな寝息を立て始めた。
なんとも寝付きがいい。
今日の練習はそんなにハードだっただろうか、と杉江は考えながら、シャンプー台をゆっくりと倒す。
普段より気をつけているが、湯の温度と力加減に細心の注意を払いながら堺の頭の染料を洗い流していく。
泡を流すと、目映い金色が姿を見せた。
堺は日本人ながら、とても金髪が似合う。
やはり、見かけも内面もいいからだろうな、と杉江は思う。
男の杉江から見ても堺は極限に近い程厳しい人間だが、まるで絵に描いたような出来た男だった。
家事は出来て当たり前。
自分の体調と常に向き合い、毎日の食事の献立にも余念がない。
そのわりに性格は短気で他人に対しては毒を発する事もあるが、大抵は他人を気遣っている。
今回の申し出もそうだ。
今日の練習は夜までだったが、明日はオフ。
杉江にとっては明日でもよかったのだが、休みの日は休め、という堺なりの思いやりなのだろう。
以前、怪我をして試合に出られなくなった世良に対しても激励したことがある、と聞いたことがある。
堺は、気遣いのできるいい男だ。
「……まさか寝顔が見れるとは、思ってなかったけど」
ドライヤーで乾かせば、ふわふわと色素の薄い髪とともに長い睫毛が揺らめく。
堺本人は眉間の皺もとれ、本当に心地良さそうに眠っている。
神経質ですぐ起きそうなのに、全く起きる気配がない。
壁に掛けられている時計を見ると、もう夜の9時近くを指している。
「起こしたほうが、いいよなあ」
堺のことだ、きっと就寝時間もきっちりしているに違いない。
あまり遅くなってはいけない、と考えた杉江は、片付けだけ簡単に終わらせ、堺を起こすことにした。
「堺さん、終わりましたよ」
「……」
「…あれ、堺さん?おーい」
「…ぬ…む……ぐぅ…」
「ええ…。堺さん、ちゃんとベッドで寝ないと体痛くなりますよ」
なんとも寝起きが悪い。
杉江は堺の肩を掴み、ゆるく揺らして覚醒を促す。
すると、堺はやっと重そうな瞼を持ち上げた。
「ん……、あ…すぎ…?」
「すぎ?じゃないですよ。随分寝てましたね」
「……。…、うん?…そうか……すぎだし…」
「…ひょっとして、寝ぼけてます?」
「……うん」
「コーヒーでも入れますね」
まだ現実と夢の境目をうろついているのか、堺の目はどこか遠くを見ている。
そんな堺も珍しいな、と思いながら杉江がコーヒーを魔法瓶からマグカップに移すと、まだコーヒーは冷めてはいなかった。
ほかほかと温かそうな湯気をくゆらせるコーヒーを堺に渡し、自分もマグカップに注ぐ。
渡されたコーヒーを飲んだ堺の顔が、次第に固くなっていく。
本人としては普通なのだろうが、先ほどの気の抜けた顔と比べると充分に固い。
「…苦」
「ブラックですからね」
「…寝ちまったみたいだな。悪い」
「いや、別にいいですよ。いいもの見れたし」
「いいもの?」
「はい」
「…何か寝言でも言ったか」
「さあ」
「っ、何だ」
「……」
「てめぇ…杉江」
「聞かないほうがいいですよ、きっと」
あぁ?と低い声で怒り始める堺は正直恐怖だが、杉江はあまり動じなかった。
先程の寝顔と寝ぼけた姿を思い浮かべると、どうしても顔が綻んでしまう。
そんな杉江に堺は面白くないのか、コーヒーを飲み干すとさっさと帰り支度を始めた。
腕に巻いた時計を見て、時間が思ったより経過していたのもあるのだろう。
「ったく…杉江に任せるんじゃなかったぜ。じゃあな」
「あ、堺さん」
「あ?」
「…いや、何でもないです。おやすみなさい」
「……。ああ、お前も早く帰れよ」
いくら悪口を叩いても、結局最後には気遣う言葉。
やっぱり堺は、いい男だ。
杉江はずるいよなあ、と一人呟いて、冷め始めたコーヒーを口にした。
familiar parlar
(ずるい男、堺良則)
「あ、メールだ。…堺さん、律儀だなあ」
『ありがとな』
難産でした…
実は寝付きがよくて寝起きが悪いとか可愛いと思います