※定軍山後で捏造しまくり
※病気な法正と魏テイスト徐庶
※暗い



本当は、気付いていた。
胸に込み上げるこの熱い、正体。



「法正、傷は大事ないか」
「はい、お陰様で。ですが、劉備殿に長く恩を返して貰わなくてはなりませんので…自分の傷ながら、早く治られても困りますね」
「…あまり苛めないでくれ。そなたには感謝しているのだ、本当に」
「そうですか。なら、それ相応の恩返し…期待していますよ」

困ったな、と眉を八の字にして笑う劉備は、今日も仁徳による何か癒されるような雰囲気をこれでもかとまき散らす。
このお方は、本当にお優しい。
普段の甘ったれた態度に字面通りわざわざ矢面に立ってまで尻を叩いてやったというのに、戦が終わるとすぐこれだ。
勿論家臣に気遣いは必要であるが、ただの一家臣に対してこれ程に入れ込む必要はない。

「さあ、もう夜も更けて参りましたし、お戻り下さい。俺としては別に居られても構いませんが、執務から抜け出してずっとここに居る事が諸葛亮殿に知られて、泣く羽目になっても俺は知りませんよ」
「おお、確かに諸葛亮に叱られるのは勘弁だな。彼の説教は少し長い」
「でしょうな。わざわざ来て下さいましてありがとうございました、劉備殿」
「はは、構わぬ。では、養生するのだぞ。法正」
「はい、仰せのままに」

席を立って少し名残惜しそうに部屋から出て行く背中を見送り、伸ばした背筋から力を抜く。
再び椅子に座って劉備に振る舞った酒杯を眺めれば、じわ、と先日戦で負った矢傷が疼いた。
夏侯淵の強弓はやはり並大抵のものではなく、何日も経っているというのに未だに癒えない。
運良く骨を避けていたにも関わらず、だ。
この矢が劉備に届いていたならば、劉備の命はなかっただろう。
劉備の命のためならば、自分の命くらいは軽いものだ。
そう思っていた。

「法正様」
「…なんだ」
「お客人がお見えです」
「もう今日は疲れた。帰らせろ」
「それが、どうしてもお会いしたいと、徐庶様が」

徐庶。
定軍山から成都へ帰還した折、唯一心配そうな顔をして駆けつけてきた人物だ。
甘っちょろい性格が苦手であまり話をしたこともなかったが、何故か向こうから近寄って来ていた。
矢傷を見て深刻そうな顔をし、医師を呼び、そして劉備の前に立って庇ったのだ、と言うと、礼を言われた。
が、その後、眉根が寄ったかと思えば、徐庶は手を振り上げて法正の頬を張り飛ばした。
突然の出来事に周りも意表を突かれたのか、その場がどよめいていたように記憶している。

「…通せ」
「はい。徐庶様、こちらへ」

侍女が消えた戸の向こうから現れた徐庶は、随分と暗い顔をしていた。
否、この顔は。

「どうした、こんな時間に。もう寝ているかと思ったぞ」
「……あなたこそ、こんな時間まで何を」
「我等が愛しい主の話相手をしていたんだ。で、何の用、」

そこまで言い掛けて、若干予想はしていたが、ぱん、と小気味よい音がしたかと思うと、視界が揺らいだ。
またか。

「…そう何度も張り飛ばされては、お前への恨みで骨髄が腐る。お前は人をいたぶる趣味があるのか?」
「違います。あなたが、聞かないから」
「ほう?」
「俺は、手加減が下手なんだ」

そう言うや否や、徐庶は法正の首を目にも止まらぬ速さで片手で掴むと、椅子の後ろに備え付けていた寝台に抑えつけた。
くは、と体内の空気が口から漏れ、首を戒める手の力が存外強い。
徐庶は軍師でありながら撃剣の使い手であり、その腕も一般武将なら歯が立たないほどで。
満足に呼吸が出来ず、得も言われぬ苦しさから逃れようと徐庶の腕を掴むが、徐庶は物ともせずに法正を拘束する。

「…苦しいですか」
「ごっ…ぐ、」
「俺は人をいたぶったり、苦痛に歪む顔を見て興奮する趣味はありません。ですが…」
「っ、は、はあっ、は…!貴様…!」
「言うことを聞かない悪い子には、お仕置きが必要でしょう?」
「な、何をっ…!」

急に解放された気管が過剰な酸素を求めて咽せている間に、徐庶は法正の衣服を武骨な手で剥ぎ始めた。
袂を割って垣間見える肌には、未だに包帯が巻かれている。
痛ましい状態の体を晒され、法正は低く唸りながら徐庶の腹を蹴るが、あまり効果は無く。
逆に蹴った足が鈍く痛み、抜け目なく腹に何か仕込んでいるのか、と理解した。

「あまり騒がないで。…ああ、ほら、血が。包帯を換えましょう」
「……は、」
「…俺が怖いですか」
「誰が…」
「なら。換えましょう」

大人しく身を離す徐庶は箪笥を少し探ると、引き出しから清潔な布と包帯を取り出した。
先程よりか幾分か獰猛な雰囲気が薄らいでいる。
ような感じがしたが。
感情が読めない口調と暗い顔は以前と変わらずで、まだ油断はできない。
正直はらわたは煮えくり返ってはいるが、今ここで抵抗すれば何をされるか。
仕方なくはだけられた着物を脱ぐと、徐庶は水桶で布を濡らして絞り、法正に巻かれた包帯を解いていく。

「何故、俺にここまでする」
「…理由が、いりますか」
「当たり前だ。俺の性格は知っているだろう、お前にいたぶられっぱなしじゃ俺の恨みはどこにやればいいんだ」
「…すみません、でも、あなたが」
「言うことを聞かないから、ってさっきから言ってるが、何のことだ」
「あの時、お伝えしたはずですが」

そう言われながら、血が滲んだ傷を水を含んだ布で軽く拭き、違う布を当てて包帯を巻いていく。
冷え切った言葉とは裏腹に、その手はひどく優しい。
あの時。
成都に帰還した際、殴られた後。
徐庶はなんと言っていたのだろう。
何せ傷のせいで発熱し、意識もそんなにはっきりとしていなかったものだからよく覚えていない。
覚えては、いないが。

「…あまり、無理をなさらないで下さい」

眉尻を下げて懇願するような目。
この目だけは、覚えている。
そうだ、確かにあの時もそのようなことを言われた気がする。

「劉備殿に尽くしたくなる気持ちはわかります。俺もそうですから。でも、あなたは自分を大事にしなさすぎる」
「……」
「俺も、劉備殿の為ならば命なんて惜しくないと思います。思いますが、俺は、法正殿がそうやって自分を犠牲にしているさまを見るのが、つらい」
「…徐庶、」
「ご自身を、大事になさって下さい。お願いします」

いつの間にやら包帯を巻き終わったらしい手が、法正の手を取って深く頭を垂れていた。
お願いします、と再度呟かれた言葉は、掠れていて聞き取るのが困難な程だ。
まさか、とは思うが。
この男は、気付いているのだろうか。
胸を焼くような、この熱いものを。

「…母と、同じです」
「は、」
「母の病と、同じ症状です…。服さえ着ていられないほど胸が苦しく、熱く感じることがある、病」
「…いつから、」
「成都に帰還してすぐ。あなたの目の淀みようが、母と同じでした」
「……」
「法正殿、どうか傷が回復されてもこのまま養生して下さいませんか」

恐らく、徐庶の母親はもう天に召されているのだろう。
そして、母親と同じ病の法正を、母親と同じようにしたくない。
そんな意志がありありと見て取れた。
だが、法正はもう決めている。

「それはできん。病になんか伏せてられるか、劉備殿には恩を返して貰わねば。その為には俺も劉備殿に恩を返さないといけない」
「……」
「既にこの命は、劉備殿に捧げた」

法正が徐庶の顔を見てそう言うと、徐庶はまた顔を伏せて法正の手を握った。
共に同じ主君に仕える者同士、その想いは痛いほどわかる。

「…わかりました。ならばせめて、俺はあなたのために尽くします」
「は?どういう」
「命を劉備殿に捧げたのであれば、体は俺に預けて下さいませんか」
「は、」
「母は、患いながらも長く生きました。法正殿もきっと、養生次第で長く生きられる筈です」
「おい、話を聞いていたのか。俺は病に伏せる気なんか」
「俺を傍に置いて下されば、身の回りのことは俺がやります。母の面倒を見ていたこともありました、役に立つはずです」
「あのな…、」
「俺じゃいけませんか」

急に膝立ちになった徐庶が、顔を寄せながら問いかけてくる。
寝台に腰掛けている状態の法正を囲むように腕を置き、徐庶は暗く沈みかけた目で法正を見る。
この目は先程見た、あれだ。
だが、言わなければならない。
この目が沈みきる事になろうとも。
法正は口を開く。

「お前を傍に置く理由がない。医師は自分で見つけるし、身の回りは侍女がやる。傍に置いた所で、お前がやることなど一つもない」
「そんな…」
「俺はお前に恩を売る気はない」
「……そう、ですか」
「そうだ。わかったらとっとと…っ、」

沈みかけていた目が、闇に塗り潰された。
瞬時に法正はそう感じた。
徐庶は静かに立ち上がると、ゆっくりと法正に向かって手を伸ばしてくる。
怒ったのだろうか。
今までより、もっと、絶対零度の静かなる怒りをぶつけられるだろうか。
法正は得も言われぬ高揚感に胸を抑えながら、その手が辿り着くのを待つ。
が。

「っ、ぐ…っ!げほっ、」
「……」
「…は、っはあ、…くく…、この様を見ろ、お前に恩を売ったところで返ってくるのを待つ時間なんてないんだ」

少量ではあるが咳と同時に出てきたそれに、笑いが止まらない。
日を追うごとに少しずつ忍び寄ってくる赤い濁流は、徐庶の言うように養生すればその流れも遅くなり、長く生きられるのかもしれない。
だが、先に言ったとおり、時間がないのならばそれだけ急がなければ。
徐庶に恩を返せる時間の余裕はない。

「…報恩なんて、考えていません」
「……」
「言うつもりはありませんでしたが…俺は、あなたを」
「それを言った時点で、お前は俺に恩を売ることになる」
「法正殿、」
「…徐庶、お前は俺に借りを作っては駄目だ。俺もお前には借りを作らない」
「……」
「それが、互いに出来る事の限界だ」

そう言い切った法正は、徐庶の顔を見ることが出来なかった。
徐庶の絶望に染まる顔が、容易に想像が出来たからだ。

「わかりました」

絶対零度の声が耳に突き刺さる。
徐庶はそれだけ言うと、法正の前から足早に去っていった。
部屋の気温が急激に下がった気がして、無意識に肩を撫でる。
この氷のように冷えた空気は、徐庶が吐き捨てていった息なのかもしれない。
それと反比例して上がり続ける熱は、冷たい息を吐く徐庶ならば冷ますことができたのだろうか。

「…許せ、」

徐庶。
下手をすると癖になりそうな程、彼のあの声は背筋まで響く。
と同時に、驚くほど自分の声には温度が篭もっていた事に気付いた法正は、胸を抑えてうずくまった。



熱想冷呼



(生い先短い俺が、お前を捕らえるわけにはいかないから)


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