もろもろの続きです


それは、お願いがあるのですが、という諸葛亮の一言からだった。

「え、俺が地方視察?」
「そうです。前にあなたがそういう文を出したでしょう?」
「…あ。あの業突張りな太守の」
「ええ。実はこちらでもなかなかその情報の裏が取れないので、是非様子を見に行って貰おうと思っていたんです」

そうだ、確かに。
法正に文の返事を任せた際、勝手にそのような返事を書いていた気がする。
その内容を見た諸葛亮は、これは好都合、とばかりにそのまま送ってしまったのだろう。
法正が書いたものだというのも、恐らく見抜かれている。
徐庶の字は全体的に線が細いが、それを真似たとしても法正の字は留めや跳ねが元々少しだけ力強い。
目聡い諸葛亮ならば、確実に見抜く。

「俺は構わないよ。ここに居ても最近は雑務ばかりで、体も鈍ってしまうし…休暇代わりに旅を楽しんでくるよ」
「そうですか、それはよかった。では、法正殿とお二人で行って頂きましょう」
「え、えっ!?」
「彼が書いたものならば、彼にも責任はありますからね」

ああ、ほらやっぱり。
少し怖い笑みを浮かべて言う諸葛亮に、徐庶は頭を掻いた。




「くそ、なんで俺までこんな田舎に…。なるほど、厄介払いされたということか…この恨み忘れはせん」
「まあまあ、いいじゃないですか。たまには法正殿も従軍じゃなく休暇気分でゆっくりすれば。報復なんて物騒なことを考えるのはやめにして」
「……。お前、何か嬉しそうだな」
「そ、そうですかね。はは…」

成都からは馬を休みなく飛ばしても丸一日はかかる程の道のりを、法正と二人旅。
時折思い出したように他愛ない会話をしたり、山の麓の店で腹ごしらえをしたり、川で馬に水をやったりしながら、馬を並べて急ぎもせずに緩い駆け足で歩いていく。
普段の徐庶なら遠い村までの一人旅などは憂鬱でしかないが、今回は法正がいる。
曲がりなりにも恋仲である法正とこうして長く共に居ることは初めてで、徐庶は内心舞い上がっていた。
成都では仕事を共にする事は多いながら、世間話や恋仲らしく一日中を共に過ごすなどはあまりしたことがなく。
横を見れば法正が常に居るという事が、安直だが徐庶は嬉しかった。

「それはそうと、暗くなってきたな」
「ああ、そうですね…この辺りで野宿かな」
「…宿はないのか」
「宿…、うーん、この辺りは確かなかった気がするけど…法正殿は宿の方がいいですか?」
「いや…」
「…宿、探しましょう」

根が正直な法正は、基本嘘を付かない。
そんな法正が嫌なことを拒否ではなく言葉を濁す時は、大方はこちらの事も優先している場合が多い。
徐庶の提案を優先にはしたいが、出来れば屋根のある場所で寝泊まりをしたいのだろう。
案の定山の中腹辺りであったから、もしかしたら山頂に着くまでに何か建物があるかも知れない。
徐庶は先導するように法正の前に出て馬を駆けさせると、法正も続いて徐庶の背を追った。



しばらく走らせると、徐庶の予想通り建物はあった。
あったが、明かりがついておらず、人が住んでいる気配はない。
試しに徐庶が馬から下り、少し古びた家の玄関から顔を覗かせてみると、燭台と台所と寝台はあるがそれ以外はこれといって家具はなく、人は度々入ってはいるが長居していた様子はなかった。

「狩りをするための山小屋かな。何にせよ今日はここで寝泊まりできそうです」
「そうか」
「日が暮れるまでに見つかってよかった。とりあえず火を入れましょう」

徐庶は馬を適度な木に繋ぎ、小屋の中にあった器に竹筒から水を入れてそれをやる間に法正は燭台に火を灯した。
ぼう、と辺りを照らす光に、なんとなく安心する。

「少し埃っぽいけど、野宿より全然ましですね。あ、法正殿」
「なんだ」
「先程山菜が採れたので、山菜粥を作ろうかと思うのですが…法正殿、料理は…」
「……」
「あ、ええと、俺がやります、はい。何か使えるものはないかな…はは…」

あわよくば法正の手料理を堪能してみたいと淡い期待を寄せた徐庶だったが、予想通り睨まれてしまった。
徐庶ははぐらかすように頭を掻きながら小屋の中を物色すると、松明や瓶、器もある事から、かなり頻繁に人は訪れているようだった。
先ほど水の流れる音が聞こえたので、近くに川があるはずだ。
丁寧に油紙も巻かれていた松明に火を付け、片手で抱えられる程の小さな瓶を持って徐庶は外へ出た。
これだけ生活が出来る品があるなら、近くの川にも辿り着ける距離だろう。
だが、法正を一人残して大丈夫だろうか。
そう思った徐庶が法正を見ると、当の本人は埃が舞う寝台をそこらにあった箒で手早く掃いていて。
掃いた後は己の武器ともなる赤い連結布を寝台に広げ、そのまま背を向けてごろり、と横になってしまった。

「法正殿、ちょっと辺りを見てきます。お一人でも大丈夫ですか」
「ああ、早く行け」

催促するようにひらひらと手を振る法正に、徐庶は不安を残しつつも小屋から出て水の音を辿りながら川に向かった。



川は意外にも小屋から近いところにあり、往復もあまり苦にならない距離だった。
木に繋いでいた馬に採ってきた草を与え、徐庶は小屋に戻る。

「ただいま戻りまし…、ん?寝てるのか」

寝台に横たわった法正は、すっかり寝てしまっていた。
火を炊いているとはいえ、山奥で熟睡するのは少なからず危険なのだが。
常に気を張りつめて従軍している時と比べ、今回は徐庶と共に二人旅という事に気を楽にしていたのだろうか。
そう思うと少しは気を許してくれているような気がする。
徐庶は外套を脱いで法正にそっと羽織らせると、洗ってきた釜に水と米を入れてかまどに火を付けた。
火加減を見ながら帰り道に生えていた食べられる茸を仕分けし、山菜も小刀で切り分けて米と共に煮る。
しばらくそうして釜の世話をしていると、米の炊ける匂いに反応したのか法正がのそり、と起き上がって来る。
徐庶の外套を羽織ったままで座る法正は、半目で徐庶の方を眺めてはいるが、どこか上の空だ。
まだ少し覚醒しきっていないようで、ふあ、と欠伸もしている。

「……腹が減った」
「はは。出来上がるまではまだかかりますよ。干した芋ならありますけど、食べますか」
「…、貰う」
「はい。旅をする時に必要かと思って作ってきたんです」

徐庶が荷物の中から干した芋を法正に渡すと、受け取った法正は少し間を置いてからそれを食べた。
もぐもぐと咀嚼する法正の姿もまた珍しい。

「そう言えば、湯も沸かしておいたので茶も淹れれますが」
「くれ」
「はい」

都合よく発見した茶瓶に湯を沸かしていたので、手頃な椀に茶葉を入れて湯を注ぐ。
ほんのり香る茶が、どことなく心を落ち着かせる。
法正に差し出してやれば、芋を食べる合間に飲んでは満足そうな顔をしている。

「…用意がいいな。山小屋で寝泊まりする手際もたいしたものだ」
「ああ、旅はよくしてましたし、何となくは分かりますね」
「そうなのか。意外だな」
「意外、ですか」

徐庶は岩塩を少し釜に入れ、匙で混ぜながら応えた。
法正は徐庶の過去を知らない。
若い頃はそれなりに荒くれ者とつるみ、無頼者として名を馳せていた頃もあった。
仲間と共に殺人を犯し、そして役人に追われていた事も。
逃れるために一人で各地をさまよい、山小屋を転々とし、時には野宿も数え切れない程で。
水鏡の門を叩くまでは、そうやって生きていた。
学問を通じて諸葛亮やホウ統と、そして劉備と出会うまでは、本当に生きた心地がしなかった。
今思えばこのご時世では珍しい事でもないかもしれないが、徐庶にとってはあの記憶は仄暗いもので。
もう二度と、あのような体験はしたくないと思った。

「おい」
「は…、あ、はい」
「噴いてる」
「あ、おっと…あちっ」
「全く…大丈夫か」

法正に呼びかけられて気が付くと、釜がふきこぼれていて徐庶は慌てて蓋を取る。
蓋を取った際に指に熱湯がかかり、情けない声を上げると法正が外套を羽織ったまま寝台から降りて手を覗き込んで来た。
熱で焼かれた指は赤くなってしまい、これは明日にでも水膨れになるだろう。

「すみません、大丈夫です。粥が炊けたみたいですし、食べましょうか」
「…何を考えてる」
「え、」
「そんなしょぼくれた顔でよそわれた飯なんて食う気にもならん。俺を舐めるな」
「……」
「もう一度聞く。徐庶、何を考えている」

知らないうちに法正が徐庶の手を取り、射すような目で見つめられていた。
法正の眼力は目つきが悪い事もあって凄まじく、嘘なんて言うものならば呪われそうな勢いである。
徐庶は法正から目を逸らすと、かまどの火を消してまた向き直る。
向き直ったが、恐らく自分は今とてつもなく情けない顔をしているのだろうな、と考え、徐庶はゆるく目を伏せた。

「いや…ご存知かも知れませんが、俺、前に役人に追われていた時があって…その時に、よくこうして山小屋で寝泊まりした事もあったんです」
「……」
「それだけなんですけど…どうも忘れられなくて。初めて人を殺した時とか、初めて仲間と思っていた皆に裏切られた時とか、酷い罵声を浴びせられた時とか、色々思い出してしまって…もういい大人なのに、すみません」

先程まで浮ついていた気分が嘘のように沈み、法正にも気を使わせてしまって徐庶は法正の顔が見る事ができなかった。
こうなると暫くはぐずぐずと悩んでしまう質の徐庶は、立ち直るのに時間がかかる。
せっかく二人での旅だというのに重い空気にしてしまった、不快な思いをさせた、とまた後ろ向きになってしまう。
どうすればいいかわからなくなる。
鼻が痛く、目が潤む。
ぐるぐると負の思考が何周か巡り、足が意志と反して逃げ出そうとしたところで徐庶の右手に何かが触れた。
思わずひ、と声を上げると、続けて胸あたりが暖かくなる。
寒気を覚えていた背にもその熱は回り、ゆっくりと安らかな気分になっていくのがわかる。
徐庶を包んだ確かな質量と熱の正体は、紛れもなく法正であった。
背に縋るような手のひらは、少しばかり熱い。

「それを俺によこせ」
「え…」
「お前のその痛みは、俺が肩代わりしてやる。恨みがあるならそれも俺が引き受ける。お前の苦となるもの、全て俺に託せ」
「ほ、法正殿?」
「俺はお前のあらゆる闇を背負い、抱えて生きる。それは俺にしか出来ない事だ」
「そんな、俺なんかのためにそんな事させるわけには…」
「任せろ。お前の恨み辛み、全て俺が引き受けてやる。…それでお前の気が楽になるのなら、俺は何だってやる」
「……」
「恨みを抱えて死ね、と言うのなら、お前の為に死んでやる」

法正は報いるということに人並みならぬ執念を燃やす性分である。
しかし、徐庶が抱えている過去は報いる相手も定かではなく、法正とは微塵も関係はない。
言うなれば徐庶の性格が暗い過去を更に貶めている部分もあり、そこまで法正が気にする事も理解できない。
ただ、全身を覆うような法正の温もりは、確かに沈殿した気分を引き上げさせるには充分だ、と徐庶は思った。

「…死ね、だなんて、言えるはずがないでしょう?わかって言ってますよね」
「俺は有言実行する男だ、二言はない。甘ったれたお前なんか、俺がいなくなった方がいい薬になるだろうよ」
「法正殿がいなくなるなんて、嫌です」

皮肉めいた笑みを浮かべる法正を強く抱き返せば、小さい笑い声が聞こえる。
冗談めいた口調だが、その意志は恐らく揺がないだろう。
法正なりの慰め方はやはり少々苛烈ではあるが、徐庶には効果的であった。
徐庶が顔にかかった法正の前髪を少し払うと、現れた右目が優しく細まる。
その瞼に唇を落とせば、また喉が鳴った。

「我が儘ばかり言って、お前は子どもか」
「す、すみません」
「ふん…いくらかは気は楽になったか」
「は、はい、すみませ」
「謝るな」
「ん…、あ、あの…法正殿、そっちは寝台ですけど」
「粥なんてまた温めればいい、そうだろう?」

謝ろうとした言葉を唇で塞がれ、腕を引かれて赤い布が敷かれた寝台に誘われる。
確かに法正の私物ではあるが、このように使用していいものなのだろうか。
そう考えあぐねている間にも、法正は徐庶を寝転がせると上にのし掛かっては暖を求めて体を寄せてくる。

「お前が後ろめたい事なんて、全部俺に預けて忘れてしまえ。いいな」

徐庶の手を取り、指を舐めながら妖艶な声で言う法正は最後まで致す気なのだろう。
こうなったら止められない程に性欲にも正直である事を重々理解している徐庶は、諦めて法正の袂に手を忍ばせた。


旅の恥は掻き捨て


(…だからと言って、これでいいのかな…)
(集中しろ、馬鹿野郎。裸で放り出されたいのか)
(はいはい…)


次回恐らく目的地に着きます


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