法正さんが天敵と出会い、徐庶の過去も知ってしまうお話



ぎゅ、とブーツの紐を結わえる。
黒い革のブーツは、もう何年も愛用している。
着の身着のまま友人や女の家を、ボストンバッグ一つとこのブーツで根無し草のように渡り歩いてきた。

「行ってくる」
「行ってらっしゃい。気を付けて」

こんな会話は、遠い昔に雲隠れした家族としかしたことがない。
付き合った女は大体は働き、自分は家に居たから。
半ばヒモ状態で住み付いては、長く続かず追い出される。
どうしようもなく堕落した俺を悪びれもせず置いてくれるあいつは、本当に変わっている。
裏切り者、計算高くて怖い、こんなに押し付けて喜ぶとでも、そんな見返りを求めていたのか、お前と関わるとろくな事がない。
少しふざけただけでここまでするか、人でなし。
全て、面と向かって言われた言葉だ。
付き合いがあった人間からは、必ずと言っていいほどそれに該当する言葉を吐いた。
性格を直せ、とも飽きるほど指摘をされた。
しかし、容姿ならまだしも生まれつき備わった性格など、どう直せというのだろうか。
商店街の大通りに出れば、平日にも関わらず人が多い。
もう年末なのだ、色々済ませておきたいこともあるのだろう。
店から充分離れた所で、煙草に火を付ける。
じじ、と焦げるような匂いと器官に侵入する煙に、抵抗感はない。
侵入したそれを体内から吐き出すと、同時に息も気温に白く冷やされて出て行く。
まるで命が自分から離れていくようだ、とぼんやり考える。
このまま呼吸をしなければ、命を繋ぎ止める酸素は戻ってこない。
昔は、呼吸なんかせずに死んでいくのもいいと思っていた。
だが、今は。

「…すみません、新野生花です」
「こんにちは。今日は元直さんではなかったのですね。あなたは確か…」
「ただの従業員ですが」

まだ長い煙草を携帯灰皿に押し付け、喫茶店に入る。
この喫茶店の支配人である女性は、徐庶とは長い付き合いのようで、色々と話を聞いた。
そういえば、この女性も中国人の血を継いでいるらしい。

「お名前は?元直さんから聞いていたのですけど…すみません」
「法孝直です。法正です」
「そうでした、法正さん。私は月英と申します、よろしく」
「はあ…そんな事はさておき、注文を伺いに来たのですが」
「ああ、すみません、主人から直接伝えるように言われまして」
「別に構いませんよ。徐庶にやらせますので」
「まあ。でも法正さんも、そういう事はなさるのでしょう?」

人当たりのいい笑顔を見せながら、月英はカウンターにコーヒーを置いた。
飲め、ということだろうか。
仕方なく椅子に座ってコーヒーを飲むと、月英は私の奢りです、と言ってまた笑った。

「まあ、飾り付けとかはしますね。まだまだあいつは甘いので。…でも、あいつの方が覚えはいい」
「ふふ、法正さんに教わるからだと思います。きっと、嬉しいのでしょうね」
「は?」
「元直さん、ご両親がお亡くなりになってから、本当に寂しそうでしたから…最近はこちらに見えてもあなたの事ばかり主人に話すのですよ」

そう言って法正の隣に座り、頬杖をついて記憶を辿るように目を閉じる月英に、法正は揺れる水面を見る。
徐庶の過去は、最低限しか知らない。
元々父が花屋で、海外のフラワーアレンジメントのコンクールに出場した際に、母親と出会いそのまま伴侶となったそうだ。
あとは徐庶が生まれ、順調に息子も成人、これからは二人で第二の人生を、と海外旅行に出かけた際に。
それから店を継いだ徐庶は、右も左もわからず苦労することとなったのだ。

「元直さん、本当に憑き物が落ちたかのようでした。それまであんなに暴れまわっておりましたのに」
「………えっ」
「え?」
「暴れまわっていた、とは?」
「聞いてませんでしたか?あら、私余計な事を」 
「…もしかして何か悪い事でも」
「悪い事…、そうですね。暴走族でしたから悪い事もなさってたのでしょうね」
「……暴走族…成人しても…?」
「いえ、あの頃は…用心棒として雇われていたはずです」
「どこの」
「組の」
「…あんななりで?」
「昔はもっとぎらぎらしてましたよ、ふふ」

そうか。
あんなに人畜無害な顔や性格をしておいて、本当はあいつ自身も悪党だったのだ。
だからこんな得体の知れない男でも、あっさりと受け入れられるのだ。
なるほど、似たもの同士ならば、居心地が良いというのも容易く頷ける。
法正がふ、と息を付いて笑うと、喫茶店のドアが音を立てて開いた。

「ええと、法正さん、大丈夫ですか?ああ、月英さんこんにちは」
「いらっしゃいませ、元直さん。そういえばまだ本題に入っていませんでした、お話が楽しくてつい」
「あ、そうだったんですか。じゃあ一緒に聞いていこう。俺もコーヒー頂けますか」
「はい、今すぐ」

徐庶が法正の隣に座り、コーヒーが到着するのを待つ。
その様子を盗み見しても、やはり昔相当の輩だったとは想像ができない。
と、徐庶がずれた眼鏡を直しながら法正を見る。
にへ、と笑う顔は、とても穏やかで優しい。

「どうぞ」
「ありがとうございます。ええと、何の話をしていたんですか」
「お前の話だ」
「え、俺の?」
「聞いたぞ、相当の悪党だったって」
「っ、え、げ、月英さんっ」
「すみません、つい。ふふ」
「ふふ、じゃないですよ!は、恥ずかしい…もう、そんなのなかったことにして下さい」
「なかったことだなんて、蓬莱族四つ股長ランの徐福と言えばそれはそれは」
「も、もうやめてくれ!そんな名前…もう…うう…」

顔を赤くし、目を潤ませて恥ずかしがる徐庶がおかしくてたまらない。
法正は肩を震わせて笑いを堪えたが、徐庶は今にも泣き出しそうだ。

「くくくく…おい、お前徐福なんて名乗っていたのか」
「な、なんでもいいじゃないですか!若気の至りですよ…」
「徐福と言えば蓬莱山に行くと言って大勢の仲間と船旅に出た奴だろう。それにあやかったのか?不老不死の薬は見つかったのか?」
「法正さん酷いよ…ううう」
「あぁ、はいはい。俺が悪かったから泣くなって。な、徐福さんよ」
「もう、法正さんなんて嫌いです…」

机に突っ伏してめそめそ泣く徐庶は、本当にやんちゃをしていたとは思えないほど情けない。
本気で泣いてしまった徐庶の頭をわしゃわしゃ撫でてやると、また小さな声で法正さんなんて嫌いです、と鼻を啜りながら呟く。
どうやら完全に拗ねてしまったようである。
法正はどうしたものか、と少しだけ考え、徐庶を覗き込んだ。

「全く…おい徐庶、」
「元直、どうしたのですか」

徐庶の頭に置いていた手を第三者の手に払われ、突然現れた男に割り込まれてしまった。
長い髪を一つに括り、髭は生えているがまだ若い男だった。

「いじめられたのですか?この男に?あなた、元直に何を」
「いいや、ちょっとからかったですよ。俺はこいつの連れなんで。あなたは?」
「名を尋ねる時はご自分から名乗りなさい」
「ああ、これは失礼。俺は法正、法孝直です。どうぞ、お見知りおきを」
「あなたが法正さんですか。私は月英の夫、諸葛孔明です。こちらこそ、ご贔屓に」

諸葛孔明、諸葛亮。
徐庶から何度も聞いた、徐庶の親友だという男。
手を差し出すと、笑顔で握手に応えられた。
が、法正は直感で感じた。
この男は、自分とは犬猿の仲になる、と。
それは向こうも同じなようで、目が笑っていない。

『あなた、元直の何なのです?』
『あなたこそ、俺達が仲良く会話してるのに割り込んで来るなんて酷いじゃないですか。嫉妬でもされましたか?』
『まさか。ですが、元直に群がる虫は私が全て叩き落としますので、そのつもりでお願いします』
『あんなに美人な奥様がいらっしゃるのに親友の虫除けなんて、あなた正気ですか?どうぞ俺達の事はお構いなく、これでも仲は良い方なんですよ』

流暢な中国語で並べ立てられ、こちらも負けじと中国語で返す。
中国語が話せない徐庶は何を言っているかはわかっていないようだが、涙はもう引いたらしい。
全く、一時的な感情に左右されすぎだ。
法正は脳内で溜め息をつくと、諸葛亮との会話を続ける。

『それにあなた、実は徐庶を泣かせるのは自分だけで充分、とかお考えでは?一目見て分かりましたよ、あなたは俺と同じ悪党の臭いがするのでね。まあそれでも、反りが合わないのは確かですが』
『おや、やはり見抜かれておりましたか。ですが、それも想定内です。先程も言ったように元直に群がる虫は、私が全て叩き落とします』
『ええ、分かりました。せいぜい頑張って下さい、諸葛亮さん』

出会い頭早々に挑戦状を叩きつけられ、諸葛亮と薄く笑いながら睨み合う。
恐らく、この男は恋愛対象ではないが徐庶の傍で出来るだけ長く面倒を見ていたい腹なのだろう。
過保護な事は本人は気付いてはいなさそうだが、諸葛亮の方が徐庶と付き合いが長く、厄介な相手だ、と法正は内心毒づく。
と、話の渦中の徐庶を見ると、法正はぎょっとした。
眼鏡の奥の目がきらきらと輝いており、穴が空きそうな程に凝視されている。

「…法正さん、」
「何だ、餌待ちの犬みたいな顔をして」
「法正さん、すごいなあ。中国語、そこそことか言っておいて、ぺらぺらじゃないですか」
「……元直、」
「孔明もすごいよ、君がこんなに中国語を話せるなんて」
「ありがとうございます。私は中国で暮らしていた事もありましたから」
「法正さん、俺にも今度教えて下さい」
「面倒くさい。却下だ」
「ええ…うぅ、じゃあ、孔明…」
「じゃあ、とはなんですか。…まあ、気が向いたらで」
「よしっ、覚えたら法正さんにテストして貰おうかな」
「断る」
「ええっ、…あれ、法正さん、どこへ?」
「先に帰る。諸葛亮さんと話をするならお前の方が良さそうだからな。では諸葛亮さん、月英さん。失礼致します」

一礼してからドアを開くと、刺すような冷たい風が頬に当たる。
何か言いたげな徐庶を残して店から離れ、胸ポケットから煙草を取り出す。
ジッポーの蓋を開けた所で、ちら、と白い何かが視界を通り過ぎた。

「…雪か」

火を付けて空を見上げれば、次から次へと舞い降りてくる。
なんとなく散歩でもしたくなった法正は、店に続く角を曲がらずに直進する。
大きく息を吸って吐くと、もあ、と大量の蒸気が漏れた。
諸葛亮は気に食わない。
だが、徐庶が懐いている上に顧客ならばそう邪険にする事もできない。
それを逆手に取られるのならば、その前にこちらが手を引けばいいだけの事だ。
徐庶の為を思うと、尚更。

「汚れたな」

立ち止まって履いたブーツを見れば、傷の他に泥の跡も目立っている。
踵もすり減り、靴底の溝ももはや浅い。
靴なんて、そういえば何年も買っていなかった。
荷物を増やすと、後が面倒だったから。

「………、潮時、なのか」




「法正さん、ただいま。…あれ、まだ帰ってないのかな」

徐庶が店に戻ると、法正の姿はなかった。
自宅に入る部屋の靴置き場にも、法正がいつも履いているブーツは無い。

「あれ、法正さん?…法正さん!?」

急に背が冷えた徐庶は、手に持った荷物を手放して駆け出した。
まさか、出て行ったなんて事は。
そう思いながら急いで部屋を見ると、こたつには普段通り法正が寝転がっていた。
ほ、と胸を撫で下ろして靴を脱ぎ、徐庶はこたつの空いた面に座る。
うたた寝していたらしい法正が徐庶の気配に気付いて寝返ると、眠そうな顔で徐庶を眺める。

「よかった、法正さん、出て行ったかと…」
「…こんなくそ寒い時期に出て行くわけないだろ、殺す気か」
「そ、そうですね…でも、靴、なかったから…」
「ああ、あれか…あれなら、」

法正が向いた方を見ると、ゴミ箱に刺さるように黒いブーツが逆さに突っ込まれていた。
何故か花瓶に活けた花のように見えて、徐庶は噴き出す。

「ぶはっ…さすがにあれはないですよ、法正さん」
「そうか?なかなか芸術だろ」
「もう…。あれ、他に靴ありましたっけ」
「ない」
「ええ…どうするんですか」
「後で買いに行く」
「わかりました、じゃあ二足は買いましょう」
「…二足もいらんだろ」
「いいじゃないですか。ここに居るのなら、増えても」
「……そうだな」

ついでに服も買いましょう、と言われ、法正は煙草に火を点けながら頷いた。
ゆるく煙を吐く法正の顔は、徐庶が好きな穏やかな顔だった。



「…そういや、さっきガサ、とか、どさ、とか…そういう音しなかったか」
「あ…月英さんに貰ったケーキ…。ああぁ…取ってくる…」
「……馬鹿だな」



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