※関羽、徐庶共に書道家
※孔明が若干腹黒
※関羽出てきません



力強く、とても気高い。
そんな印象を作品全体から感じられ、胸の鼓動がどくどくと波打つ。
書道家、関羽雲長。
俺の、憧れだった。



「……直」
「……」
「元直、あなたはやる気があるのですか」
「あ…孔明」
「先程から半紙を見つめてもう30分は経っておりますよ。硯もほら、かぴかぴに」
「…かぴかぴだな」
「そんなに良かったですか、彼の個展は」
「良かったなんてもんじゃない。俺なんかがあの場所にいていいのかとさえ思ったよ。躍動する力強さと流麗な強弱…俺には無理だ、あんなこと」

はあ、と溜め息を付きながら、孔明が隣に座る。
墨を付けたにも関わらず放置していた筆を取り、あろうことか俺の鼻をこしょこしょ、とくすぐり始めた。
嗅ぎ慣れた匂いとそれに固まった上質な馬の毛に鼻孔を刺激され、そのまま盛大なくしゃみをしてしまった。

「おや。上品ではありませんね」
「ぶぇっ…、何をするんだ君は…」
「それほどに落ち込む暇があるのなら、少しでも近付く努力でもしてみてはいかがです。仮にもあなたも師範でしょう?まあ三段ですが」
「…っくしゅん!あー…。孔明こそ五段だろ、俺はこれ以上上手く書けないよ」
「自分に自信がないのは結構ですが、私の教室で働いている以上仕事はして頂きますよ。今あなたがすべき事は明日の習字のお手本を書く事です」
「はぁい」

ず、とうっかり顔を出した鼻水をすすり、乾き切った硯に水を足して墨を擦る。
そう、俺はこの親友…むしろ悪友の諸葛孔明が開く習字教室の助っ人師範をしていた。
孔明とは小さい頃から通っていた習字教室で一緒に習い、一緒に試験を受けた仲で。
同じ時期から始めたわりに、孔明の方が字が上手く、そして人気もあった。
そうして開いた習字教室だったが、あまりの人気に孔明一人では生徒全員を見ることが難しくなり、バイトがクビになってふらふらしていた俺が助っ人として働くことになったのだ。
そんな俺が、習字を始めたきっかけは。

「………元直」
「…え?」
「クビにされたいのですか…」
「…いや、……すまん」

無意識に半紙に書いた文字が全てを表している。
そう、始めたきっかけはこの人の字を見て衝撃を受けたからだ。

「関羽雲長」
「…ごめん」
「全く…確かにあの方は私にとっても尊いお方ですが…相変わらずアホですね、あなたは」
「…うう」
「まあ…これはこれでいいです。次はちゃんと書いて下さい、東南の風、ですよ」

呆れたように言われ、居たたまれなくなりながら再度半紙を折り、印を付けてから文鎮で広げる。
先程のように筆に墨を付け、ふう、と息を吐いて目を閉じる。
この瞬間が、割と好きだった。
しん、と自分の中で何かが走り、同時に目を開いて筆を置く。
一筆ごとに息を潜め、手が動く様子を目で追う。
するり、と流すように最後の一筆を終え、また一息つく。
小さな達成感を感じる。
この感覚も、一度覚えると忘れがたい。

「…いいでしょう」
「はあ…」
「やればできるのですから、恋心にばかりかまけていないで枚数を多く書きなさい」
「…書いてるよ、それなりに。もう九時か、俺は帰るよ」
「全く、あなたが手本を早く書いていればもう少し早く閉められたのですが」
「あーほんとすいませんでした孔明先生!じゃあ、俺は帰るから。また明日」
「…あ、お待ちなさい」

孔明が何か言っていたようだったが、逃げるように鞄に自分の筆記具を詰め込んで教室を出た。
孔明の説教は長くて耳が痛くなる。
家の門をくぐってアスファルトを踏みしめると、冬の空気がぞわぞわと身体を這っていく。
両腕をさすりながら歩き出せば、頭上から白い何かが。

「えー、やだなあ…早く帰ろう」

思わずそう呟いて、雪が本降りになる前に駆け足で家を目指した。





「徐庶先生、どうですか」
「うん、いいと思う。君は俺なんかより上手くなれるよ、関索君」
「そんな事は…。ですが、ありがとうございます」
「徐庶先生、関索は徐庶先生に褒められると一日中機嫌がよいのですよ」
「え、そうなのか」
「そっ、そんな事!何を仰るのですか、兄上」

今日も教室に来る生徒が多い。
孔明と二人がかりで書き上がった生徒に付いて教えたり、指摘したりする。
中でも最近入構してきたこの関平と関索は、なかなか筋がよく綺麗な文字を書く。
孔明からも強い支持を受け、近々試験を受けてみるのだという。
高校生でこれだけ字を上手く書ければ上等だと思う。

「あ、そういえば…徐庶先生、この間父上の個展にいらっしゃったようで」
「え、そうなんですか?」
「うん?君達の父親ってどんな人なんだ?俺が行った個展といえば関羽雲長のしか……ん?え?」

きょとん、とした顔で俺を見る兄弟は、互いに似ていないと思っていた。
姓が関なんて、珍しくもなかったしなんとも。
しかし、関平が言う父親の個展とは、まさか。

「拙者達はその関羽の子ですが…まさか気が付かれなかったと…?」
「えっ」
「正確には兄上が養子で、私が三男になりますが。私はそんなに父上に似ていませんか…」
「お前は母上似だからな、関索。そう、それで父上が徐庶先生をお見かけしたと言っておりました」
「えっ」
「宜しくお伝え下さいと言付かっておりました。また機会があればお会いしたいとも」
「えっ」
「…徐庶先生?」
「えっ」
「先程からえっしか仰っておりませんが…大丈夫ですか?」

関羽の息子。
俺が書道を始めるきっかけとなった、関羽の息子。
その二人がこんなに近くにいるなんて。

「しょ、諸葛亮先生!徐庶先生が倒れられました!」
「拙者達が何かしてしまったのでしょうか…」
「…全く、人の話を聞かないからですよ、元直。前々から関羽殿から伝言を言付かっていたのに」

呆れたように吐き出される孔明の声が、遠くで聞こえた気がした。



徐庶が憧れの関羽の自宅に招かれる、一週間前のことであった。


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