※相変わらず緑川+達海→♀杉江
※緑川←♀杉江も
※少女漫画展開注意
「2308円頂戴いたしまーす」
そういえば朝から何も食べていなかった、と思い出すと腹が減ってきて、達海さんのお使いついでに明太子スパと紅茶を買った。
いつもはコーヒーだけど、なぜか紅茶が飲みたくて。
これも女になった副作用なんだろうか。
あと、恥ずかしいけど女性用のパンツ。
ブラはサイズがなかったから、とりあえず下だけ。
外へ出てもちょくちょく感じる目線は、やはり居心地が悪い。
最寄りのコンビニと言っても往復で20分ほどはかかるから、嫌でも見られてしまう。
店員のお決まりの言葉を聞きながら外へ出て、蒸し暑い中を歩く。
アイスも買えばよかった。
「…暑いなあ」
「ねー、おねえさん。暑いんだったら涼しいとこいかない?」
歩いていただけだったのに、年下っぽい男、三人にいきなり声をかけられた。
ご丁寧に、顔を覗き込まれて。
そんな誘い文句じゃあ、若い女の子だってついてこないよ。
無視して歩いても、しつこく絡んでくる。
ナンパしながら胸を見ないで欲しい。
「ねえ、無視しないでさ。今から家に帰るの?」
「……」
「おねえさん、背高いね。モデルさん?」
「…ほっといてくれないか。うざいし」
「そう言わないでよ」
「うるさいな。別の奴にしとけ、エロガキ」
「…なんだあ、この女」
まずった。
いつもなら軽くあしらえるのに、イライラしてつい構ってしまった。
と言っても今は女だからETUの選手だなんてバレはしないだろうけど。
「随分なめてくれるね、おねえさん」
「そんな乳しといて、誘ってるようなもんだろ」
「大人しく来いって」
腕を掴まれそうになったからそれを咄嗟にかわし、相手にしたくないのでそのまま走る。
待て、なんて言われて待つ奴なんているもんか。
女になったからって、普段から走っていない奴に負けるわけがない。
追いかけて来ているみたいだけど、余裕で撒ける。
と、思っていたら、曲がり角に差し掛かった瞬間に腕を掴まれてぐん、と細い裏路地に連れ込まれた。
まさか、根回し?
「ちょ、っ」
「しっ」
口を大きい手で覆われて、至近距離で感じる息づかい。
小さくなった体がすっぽりと長い腕に包まれ、追いかけてきていた奴らが通り過ぎていく。
足音が聞こえなくなったのを確認して、大きい手に塞がれていた口を放される。
どうしてこんなところに居たのだろう。
「…緑川さん…?」
「出てって数分でナンパに引っかかるなんて、モテモテだな。杉江」
「男にモテたって嬉しくありませんよ。それより緑川さん、なぜここに」
「悪い狼さんからお姫様を守れ、って王様からお達しがあったもんでね」
「お姫様って…」
「もし見つかって合宿所に入る所を見られたらまずいし、しばらく待つか」
「あ…そうですね」
そうか、皆に迷惑をかけるところだったのか。
そこまでは気が回らなかった。
28にもなって軽率な行動をしてしまうとは、恥ずかしい。
と。
そこまで考えて、今の現状を改めて確認した。
頬に当たる服は練習着のままで、ほのかに汗と、それを上回る謎のいいにおいがする。
いつもゴールを守っている腕は、まるで抱き締められているかのように体に絡まっている。
端から見れば、まるで、恋人同士のように。
「…ど、緑川さんっ」
「ん、どうした」
「あ、あの…」
「あぁ、悪い悪い」
困ったように笑って、すぐ腕を放される。
胸が気持ちよくてついな、と少しだけ申し訳なさそうに言う緑川さんの顔が見れない。
心臓がむず痒い気がする。
何でだろう。
緑川さんの近くにいると変な気分になる。
何故かはわからないけど、女になったからかもしれない。
こんな事、男の時は一度もなかったのに。
「…杉江、どうした」
「え…」
「顔が赤い、暑いのか?」
「あ、え、いや、何でも」
「まさか、熱中症…」
「い、いや、体調が悪いわけじゃないですから…」
「耳も赤いぞ」
つ、と耳を指先で触られて、体が反応した。
驚いたのもあるけど、大袈裟なぐらい肩を震わせてしまって恥ずかしい。
ただでさえ細い路地で至近距離で居たたまれないのに、更に気まずくなる。
それでも緑川さんは何を思ったのか、意地悪そうな顔をしてまた耳に指を這わせてくる。
まさか、反応を楽しんでいるのか。
どこかの監督じゃあるまいし。
「っ、どり、さんっ?」
「初めて触った。やっぱりとがってる…不思議だな」
「…生まれつきです、っ…ん、やめ、…あ、」
「杉江」
「…は、はい?」
「……いや、何でもない。そろそろ行くか」
緑川さんが離れて、先に路地から出る。
まだ何か言いたげな顔をしていたけど、何も言わないのでそのまま歩き出した。
さっきの腕の感触がまだ残っている。
すごく温かくて、いや気温ではなく、胸が温まるような。
じくじくと疼くこの感じは、昔体験した事があった。
十年ほど前、好きになった女の子と初めて手をつないだ時、とか。
確かに、たまらなく、愛おしいと感じた。
それと似たような。
「……え、」
ということは。
俺は、緑川さんを好きになってしまったのか。
女になって一日も経っていないのに、たった数回助けて貰っただけで。
たった数回、触れ合っただけでこんなに。
こんなに、好きになってしまうなんて。
「どうした?」
落ち着いて考えてみる。
相手は男、自分も男、ただし今は女。
女になっただけで、緑川さんに恋をするなんて有り得ない。
きっと向こうもそんな事は微塵も考えない。
当たり前だ、自分は昨日まで男だった。
皆と何ら変わらない、ちゃんと女の子が好きなただの男だった。
ただ、女になって男に対する着眼点が変わり、そのせいで緑川さんを好ましく思ってしまうようになった。
そう考えるのが妥当だろう。
なんだ、女になったからか。
無理矢理納得してはみたものの、やはり緑川さんに見られているとすぐ胸が高鳴ってしまう。
そんな自分に異変を感じたのか緑川さんが大丈夫か、と心配してくれたけど、気付かれるわけにはいかない。
きっと、嫌な思いをさせてしまうだろうし。
「何でもないです。達海さん、大丈夫ですかね」
「…少し遅くなってしまったからな。急ぐか」
「はい」
心中を悟られないように笑って答えると、緑川さんはそれ以上何も言わなくなった。
幸いもう28年も生きている、自覚してしまえば隠すことは容易い。
男に戻ればこの気持ちもなくなり、また普通の生活に戻るに違いない。
そう自分に言い聞かせて、緑川さんに迷惑をかけないためにも早く男に戻りたいと改めて思った。
「あ、緑川が出た」
「ほんとだ。これ、俺も入ってるんですよ。撮影があっただけでカードになってるかはわかりませんけど」
「ふうん。俺もまだ見てないな。…杉江、」
「はい」
「緑川に気をつけろ」
緑川、という名前に、どきりとする。
帰って緑川さんが練習に戻った後、サッカー選手のトレーディングカードが入ったお菓子を食べながら、達海さんが小さく呟いた。
聞き間違いかと思って達海さんを見れば、達海さんは渋い顔でこちらを見ていて。
冗談ではなさそうだった。
「さっき見てわかった、あいつは一番危ない。あんま近付くな」
「危ない、って…緑川さんはよくしてくれてますよ」
「だから危ないの」
「…?」
「優しくして好感度上げて、後ろからパクッといっちゃう狼さんタイプ。気をつけないとあっという間にやられるぜ」
「ど、緑川さんはそんな人じゃ…。第一、俺は男で」
「すーぎー。ちょっとこっちきなさい」
言葉を遮られて、強い口調で呼ばれる。
何事かと恐る恐る近付くと、腕を伸ばされて。
伸ばされたかと思うと、わしっ、と胸を掴まれた。
驚いて達海さんの手を払えば、その手を捕まえられてそのまま引き寄せられる。
寝ている達海さんに覆い被さるような大勢になってしまい、体を起こそうとしても腰と腕を固定されてしまって動けない。
「ちょっと、達海さ、」
「大して運動もしてない寝てるだけの一般男性にこうされて、すぐに反応出来ないだろ」
「だから、俺は…」
「杉江、いい加減気付け。このままじゃヤバいぞ」
「何が…」
「お前、女の反応になってる。頭で考えて行動する分にはまだ男の部分があるけど、無意識の行動は女になってきてる。体型のせいもあるかも知れないけどね」
「…あ、……」
「乳揉まれてこんな反応してりゃ、そのうち誰に食われてもおかしくない。ムッツリの緑川とかには恰好の餌食にされる」
「そ、んな…俺は…男です…。おとこ……う…」
「涙腺も弱くなってるな。あー、大丈夫だから泣くなって。すぐ戻るって。なっ」
すっかり女の思考になっている、と聞かされて、今まで抑え込んでいた不安がどっと押し寄せてきた。
もう戻れないんじゃないか、これからは女として生きていかなければならないんだろうか。
そう考えると、達海さんの腹の上だということも忘れて、まるで女の子みたいに。
28にもなって。
「…杉江、大丈夫だからさ。俺は何もしない、っていうのは申し訳ないながらちょっと自信ないけど…戻るまでオフにして家に帰っていいし」
「……」
「杉江の好きにしたらいい」
「おれ、は…」
俺は、何故ここにいるんだろう。
昨日までは、皆と一緒にサッカーの練習をしていたはずだ。
そうだ、俺はサッカーをするためにここにいるんだ。
女になったからって、泣いて立ち止まるわけにはいかない。
「…サッカーが、やりたいです…」
「杉江」
「皆と…やっぱり、サッカーがしたいんです。でも、こんな体だし…」
「…試合、出たいもんな」
「はい」
達海さんが起き上がって、涙を指で拭ってくれる。
ああ、情けない。
この程度で泣いてしまうなんて。
女になってから、みっともない所ばかり見られてしまっている。
と、思っていると。
達海さんの顔が近づいてきた。
うわ、意外と睫毛長い。
そんな見当違いな事を考えている間に、ごく自然に唇を奪われた。
…唇を奪われた。
「っ、…」
「…ごめん、我慢出来なかった」
「たつみ、さん…」
「杉江、めっちゃ可愛いんだもん。自分で言って頭ではわかってても、駄目だわ」
「…可愛い、だなんて…」
「可愛いよ。何なら可愛いとこ全部言葉にして言えるけど」
「や、やめてください…あんた、他人をあんなに言っといて」
「うん、そうだね。でも俺、悪い人間だから」
「は?」
「周りの敵のイメージダウン、ついやっちゃうんだよね」
にひ、なんてあの意地悪い笑顔を見せて、また口を塞がれる。
まあ、心配してるのは変わりないよ、なんてどの口が言うか。
足の不調でこちらが手が出せないことをいいことに、何度も口付けられて。
一番危険なのは狼より、冠を被った小狡い狐なのだ、と今更ながら気がついた。
狐のお作法
(まんまと嵌りました)
それがまさか、見られていただなんて。
しつこくつづきます