千々の罪 | ナノ



探索者たちが羽月邸の離れで見つけた革張りの手記は静子という女性のものらしい。
最初の数ページには家族や親し友人たちに心配をかけたくないと綴られており、中には探索者たちの名前も度々見受けられる。
だが、後半にいくにつれて内容は切迫しているようだ。

日付は今から19年前ほどを示している。

――――――――――――――――――――――――
○月□日

そういえば、つい先日何かの風景を見たような気がする。どんな風景だったのかは思い出せない。
気のせいだといいのだけれど。
久しぶりに体の調子も良くて、ベットから起き上がって本家と新宅の敷地内で飼われている動物たちと触れ合った。
儀式用に飼われているとはいえ、彼らとの交流は数少ない楽しみのひとつ。
中でも聖なるヘビとして保護された者たちや異世界から旅をしてきたという猫たちは自由に敷地内を散歩している。
変わった種族の彼らは私を見つけるなり口々に話しかけてきて最近落ち着かないと言っていた。
なにかが起きる前触れだろうか。もう本家の者たちが動いているとは思うけれど。
どうにも不安がぬぐえない。

――――――――――――――――――――――――
×月○日

ああ、私のすぐ近くに光の、天狗様の気配を感じる。
嫌な予感は現実になってしまった。

寝付けない夜が増え、昨日とうとう気絶するように意識を失ってしまったらしい。
気づけば薔薇の匂いが満ちた空間に包まれていた。
言葉にできぬほど不可思議な闇夜の中に浮かんでいた私は、人ならざる者に見初められてしまった。
どうして。なぜ今になって。
その者は全身を覆うほどの古びたローブに身を包み、たしかに私を見て告げた。

「相応しい」、と。

そのまま私の腹部に手を翳したその者から生まれた緑と銀に輝く光が私の中に入ってきた。
そこで目が覚めるなり、顔を青ざめさせた父と姉さんと従姉妹が私の手を握っていた。
またみんなに心配をかけてしまったみたいで胸が痛む。
あの光はきっと、埋め込まれてはならないものだった。
それだけは、弱った私にですら理解できた。また私はしばらく寝込むだろう。
お腹に授かってしまったこの命を育むこともなく。

――――――――――――――――――――――――
×月◆日

寝込むことが増えてしまった。子を授かってしまったあの日から私は天狗様の赤い社にて匿われているみたい。
夢と現(うつつ)をさまよっているよう。
弱る一方の私に、姉さんや純子、それにPC@ちゃんを連れてお見舞いに来てくれた美夜や建くんが悲しげな目をしながら、手を握ってくれる。
まだちいさなPC@ちゃんが不安そうに「おねえちゃん、しんじゃうの?」と泣きそうに聞いてくるのはとても胸が痛くなる。
大丈夫よと返したら、早く遊ぼうねとせがまれちゃったわ。
もう少しだけ。せめて、望まれなくてもお腹の子を育まないと。未熟児で産むことになっても構わない。
私の命が消えようと、この子を死なせてはいけないとどこかで感じている。
この子を無暗に死なせてしまおうものなら、恐ろしいことがおこりそうで。
それこそ赤い月の災厄を招いてしまうかもしれない。

あの声が、どこからか囁いている。

「門を開けろと」

――――――――――――――――――――――――

以降、日付のない走り書きが続く。


最後の数ページ、日付はないが断続的に文章が綴られている。

――――――――――――――――――――――――

今日からこの羽月邸で過ごすことになった。初めて我がままを言った私に根負けした姉さんたちが仕方なく承諾してくれた。
お供に親しい猫たちや聖なるヘビ、夜鬼を連れていくように言われてしまった。夜鬼は怖いけれどこの子のためにも我慢しなくちゃ。
天狗様の世界に一番近いこの山で私は出産をしようと思う。

――――――――――――――――――――――――

天狗様たちのお陰で、なんとかお腹が目立つほどになってきた。
私が宿した子はきっと男の子でしょう。
なんとなくわかるのは家系のせいかしら。…そうね。名前をつけてあげないと。私の大切な赤ちゃんですもの。
この子が私の生きていた証となってくれる。できれば幸せに、健やかに育ってほしい。
この子の名前は、「隆雪」にしましょう。
今まで名前をつけてあげる余裕もなかったのね。今日からちゃんと名前を呼んであげないと。

――――――――――――――――――――――――

最近、夢の中に緑の光がちらつく。
いつかに浸った薔薇の匂いに包まれながら、どこかの空間へと私はあの光の許にむかうのだろうか。
隆雪を渡すわけにはいかない。
息子を守らないと。私は母親になったのだから。

――――――――――――――――――――――――

そろそろ、子饗(こふ)の石を作らなくてはいけない。材料はいつの間にか枕元に置かれていた。
天狗様の遣いである夜鬼か、天狗様がお持ちになったのだろうか。
ありがたく使わせていただこう。
姉さんや純子も自分の子供たちのために子饗(こふ)の石となる星石と籠目石に祈りを込めているでしょう。
まさか、私がこのお守りを作ることになるなんて。
この奇跡に感謝します。

――――――――――――――――――――――――

姉さんの子供が生まれたらしい。元気な男の子。
出産に立ちあえなくて残念だけれど、わざわざ夫婦そろって羽月邸まで息子を連れてきてくれた。
名前は「秋雅」。姉さんと義兄さんにそっくり。寝顔がとても愛らしかった。
一目秋雅の顔を見れて良かった。
もしも私が隆雪を生んだ後死んでしまったら、秋雅と隆雪が仲良く眠っている姿さえ見れないのね。
純子の方は順調に育っているようで安心した。

――――――――――――――――――――――――

子饗(こふ)の石に二つとも祈りをささげ終えるなり、隆雪が怯えるようにお腹で暴れ出した。
緑の光が見える。
もうじき、隆雪が生まれるのかもしれない。命に代えてもこの子を守る。
私がこの子のお母さんなんだから。

――――――――――――――――――――――――




最後の2ページは所々古びた血が散っていて、くっついている。
丁寧に剥がして読んでみると、震える筆跡からいって本人が綴ったものだと思われる。

――――――――――――――――――――――――

隆雪、この世に生まれてきてくれてありがとう。
お母さんは、どうやら無事にあなたを生むことができたようです。
完全にとはいかないけれど、守れたみたいです。
あなたはどうか幸せに生きて。

――――――――――――――――――――――――

隆雪を羽月邸の地下にある祭壇で生んでから、しばらく経った。
今日は気持ちのいい晴れ間が窓から見える。
すっかり寝たきりになってしまった私のそばにある小さなベッドで息子はすやすやと眠っている。
私にそっくりな可愛い私の赤ちゃん。
小さな手には私が作った子饗(こふ)の石が二つ握られている。
私が起き上がっていられる時間は少ない。こうして息子の寝顔を眺めていられるだけで幸せ。
今度こそ私は死んでしまうでしょう。
隆雪を生んでしばらくして二十歳を迎えることもできた。
姉さんと純子の子供たちの顔も見ることができた。
従姉妹の純子の子供は少し大きめの男の子で、名前は「君春」。
お母さん似できっと格好いい男の子になるんじゃないかしら。秋雅といい、二人が育つのが楽しみ。
それに、美夜と建くんたちにも子供が出来たらしい。三人で遊びに来た時、真っ先にPC@ちゃんが教えてくれたの。
名前は「PCA」と名付けるそう。
PCAちゃんはPC@ちゃんの大切な妹になるのね、きっと。
そういえば純子のお腹に光を見た気がする。もしかしたら、二人目が宿っているかもしれない。
純子に教えたら嬉しそうにはにかんでいた。

最後に私の大切なPCA家の友人たちに贈る、お守りを作ろうと思います。
隆雪。私が死んでもあなたはきっと愛されて育つのでしょう。
私の大切な人たちに囲まれながら、どうか幸せに暮らしてね。
それだけが私からのお願いです。

私の愛する息子 隆雪へ

静子
――――――――――――――――――――――――

読了後、この手記を見た探索者たちは自分たちが知らぬ世界の深遠を覗いたような言い知れぬ恐怖に襲われ、「1/1D3」の正気度を喪失する。
そして手記に挟まっていた『古びた真鍮の鍵』を手に入れる。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -