モデル

林檎があった。赤い林檎だ。

凸凹した表面をしたそれは、まだ完全に熟れてはいないのか、ヘタの付近はまだ青かった。食べても美味しいとは言い切れないだろう。

それでもその林檎に手を伸ばしたくなるのは、目の前の彼がそれを相手にしているからなのか。不思議な魅力が林檎にはあった。


「ねえ、食べていい?」
「だめ」
「ケチ」


どうせ熱心に描いてあるそれは、今回も抽象画なんだろう。

前に飲み物が入ったグラスをモデルにしていた時、こっそり盗み見たらそこにグラスなんてなくて、代わりによくわからない模様が描かれてあった。私はその時ひどく喉が乾いていたから、無性に腹が立った。飲んでもいいか、と聞いても、作り笑いを見せてだめだ、と言ったくせに。

こんなことならデッサンに付き合って私も一緒にグラスを眺めておらずに、勝手に何か飲みに行けばよかったと思ったものだ。


サイはいつも絵を描いている途中経過を見せてくれない。必ず、モデルを置いた机を挟んで向かい合わせに座る。

サイが絵を描く間、私は何もすることがないから、じっと喋らないモデルを観察したり、彼に話しかけてみたりする。暫く待てばいつかサイも絵を描き終えるし、静かなことは嫌いではないから別にいい。ただ、少し退屈なだけだ。

彼は絵を描き終えた時、いつも、一度作品をよく眺めて、満足そうに笑う。自分一人だけ満足して、と少し不愉快になるけれど、その笑顔を見ると私は何も言えなくなるのだ。


「そんなに楽しい?」
「うん。楽しい」


デッサンを終えたサイは今回も満足そうに笑ってクロッキー帳を閉じた。一体どんなに素晴らしい出来のものが出来たのか、気になる気持ちはもちろんある。


「その中身、見せてよ」
「これ?…だめだよ」
「ケチ」


拗ねた私を宥めるように笑うサイが余裕そうに見えて、ますます腹が立った。そんなに見せたくないくらい大切なものなのか。


「どうしても見せてくれないわけ?」
「だめ」


大事そうにサイが抱えるクロッキー帳に、少し妬けそうだった。なんで見せてくれないの?って聞いても、笑ってはぐらかすだけなんだから。「(だって…)」


「(この中には君しかいないからね)」


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