悪事身にかえる

ある日の暮方の事である。一人の攘夷志士が、羅生門の下で雨止みを待っていた。

広い門の下には、この男、高杉晋助の他に誰もいない。ただ所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蜻蛉が一匹とまっている。羅生門が朱雀大路にある以上は、この男の他にも雨止みをする者がもう二、三人はありそうなものである。それが、この男の他には誰もいない。

何故かと云うと、ここ最近京都では、幕府の要人の暗殺が続いて起こっていた。そこで洛中の怯えようは並大抵ではない。そこで、危険の増す闇夜に出歩こうとする勇猛な者はいない事になってしまったのである。

高杉と云う男は七段ある石段の一番上の段に、女物を思わすような派手な着物の尻を据えて、煙の立ち上る煙管を咥えながら、ぼんやり、雨の降るのを眺めていた。


冒頭にて作者は「一人の攘夷志士」と書いた。別段隠しているつもりもないが、今京都に恐怖を蔓延させているのは当にこの高杉晋助その人である。この静けさを生み出しているのは他の誰でもない、男本人なのだ。だから「男の他には誰もいない」と云うよりも「男の犯した悪行により、誰もいない状況となった」と云う方が、適当である。

月が昇り始めたあたりから降り出した雨は、いまだに上るけしきがない。高杉はどうやって艦隊まで帰るものだかと考えながら、さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。


雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音を集めて来る。降り始めた頃はまだ東にあった月が頭上近くまで昇っている。

男は大きく煙管の煙を吐いて、それから、大儀そうに立上った。夜は冷える。さらに今は雨が降っているのだから、その寒さも普段より厳しいものである。風は門の柱と柱との間を、夜闇と共に遠慮なく吹き抜ける。丹塗の柱にとまっていた蜻蛉も、もうどこかへ行ってしまった。

高杉は頸を縮めながら、門の周りを見回した。雨風の患のない、人目にかかる惧のない、一晩楽に寝られそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が眼についた。上なら人がいたにしても斬って捨てればいい、と狂人らしいことを思った。

男はそこで、腰に提げた刀が鞘走らないように気をつけながら、藁草履を履いた足を、その梯子の一番下の段へ踏みかけた。



それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に一人の男が、息を殺しながら、上の様子を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。包帯を巻いて隠された左目とは反対の目である。

男は始めから、この上にいる者は死人か死体の見剥ぎを目的にした盗人だけだと高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその微かな明りの中で肉を斬っているらしい。これは楼に響くぐちゃぐちゃと云う音、身を何度も刀で弄る音がしたので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、死体を弄っているからは、どうせただの者ではない。

高杉は、守宮のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで上りつめた。そうして出来るだけ気配をさせないようにしながら、楼の内を覗いて見た。

見ると、楼の内では、予想通り、何者かが倒れた死体に向けて何度も刀を上下させていた。火の光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、おぼろげにしかわからないが、後ろ姿から察するに刀を握っているのは女とわかる。死体であるのは地球の人間の容姿ではないので天人であろう。天人の死体は一体何回切り刻まれたのか、汚い腸が腹部から無造作に飛出ていた。

高杉は天人という種族をひどく嫌っているので、切り裂かれている死骸に憐れみなどなかった。が、男の眼は、その時、もう一度よくその死骸の中に蹲っている人間を見た。薄汚れた頭をしている年若い女だった。その女は、火をともした松の木片を床板の間に挿して持って、右の手に刀を握り、その死骸を覗きこむようにして弄っていた。

男は幾ばくかの好奇心に動かされて、女の方へ一歩足を踏み出していた。それに気づくことのない女は、刀を動かす手を止めない。その腕が、死骸へ振り下ろされるごとに、高杉の好奇心は徐々に増していった。それと同時に、死体を無残な形にすることに躊躇いのない女に対する探究心が、少しずつ動いて来た。

高杉には、何故女が死人の骸殺し続けるのかわからなかった。自分と同じく、狂った人間の思考など勿論わかるはずがないのだ。

しかしその時の高杉は女の行動の理由を知りたかったのだ。そこで男は、先程の無意識の行動と違い、大股に女の前へ歩みよった。女が流石にそれには気づいたのは云うまでもない。

女は、一目高杉を見ると、つい先程まで動かし続けていた腕を止めた。


「天人を殺すのに躊躇はねェのか」
「……悪人に悪事を行ったら、何か悪いの?」


男は女の答に満足そうに口角を上げた。根っから天人を悪と決めつけるその考えが気に入ったからだ。

女が云うことには、悪人にはどんな悪事を働いてもよい、ということだ。女も自分の理屈の欠点を理解しているのか、男の腰の刀に眼をつけると、徐に立ち上がり、二人は暫し無言で対峙した。男は遊び半分、いきなり刀を少し鞘から抜き、白い鋼の色を見せつけると、女はぴくりと反応して警戒を強めた。その行動がますます高杉は気に入った。


「俺ァは別に幕府の役人じゃあねェ。この門で雨宿りをしようとしただけだ。取っ捕まえる気はあるめぇが、ただテメェがなぜそいつを斬ったかを話さえすればいい」


すると女は、大きく眼を見開いて、じっと高杉の顔を見守った。野生の獣のような、鋭い眼で見たのである。それから、訳を話そうとした女はかさついた唇を、声を詰まらせながら動かした。


「この男は、昼間に、京の町を歩いていた」
「ただ歩いてただけで殺したのか?」
「地球は人間の星。我が物顔で天人が、歩いていい場所じゃない」


高杉は女の答に余程満足がいったのだろう。笑みを深めて女の顔を見つめ続けた。身なりを整えれば、昼間に町を出歩いていても不思議はないような女だ。そんな女が肉片へと変わり果てた死骸を作り上げた。男の女に対する好奇心は高まるばかりだ。
 

「天人が蔓延るこの世は間違ってると思うか?」
「……どちらだと云われれば、思う」
「俺ァは攘夷志士だ。そう思うなら、俺と一緒に世界を壊さねェか?」


女は男の言葉に再び眼を見開かせた。女の答を待つ間高杉は、刀を鞘におさめて、煙管を吸い始めた。

高杉の誘いに唖然とした女は、男と同様に刀をおさめ、考えをまとめていた。何故男が自分などを気にかけたのか考えたが、勿論、女が天人を滅多刺しにした理由を男が理解できなかったことと同じく、わかることはなかった。

しかし、答を考えいる中に、女の頭には、ある可能性が生まれて来た。それは、一人でも多くの天人をこの星から排除する可能性である。女は天人が地球の地を傲慢に踏むことを好まない思考を持っている。この男についていけば悪人をたくさん抹消できる。そうした可能性だ。


「わかった。あなたと一緒に行く」


暫く考え続けた女は高杉に答を返した。返事を聞いた男は艶やかに笑いながら、いい答だ、と云った。そうして梯子へ一足前に向けると、その背を女が追いかけた。

外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりであった。相変わらず人一人もいない。雨は先程のやり取りのうちに止んでいた。

高杉と女は、連れ立って雨の止んだ暗闇を歩いて去った。


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