創作BL | ナノ
たばこの香り


 愛煙家である彼に言ったことはないけれど、スーツについた残り香はけっこう匂う。でも、不思議とそれがいやとは思えず、言わないでいる。匂いで彼が同じ電車に乗っているかどうかもわかる。香水や汗の鼻をさすような匂いの中から彼の匂いだけ特別にわかる。
 彼のたばこの残り香が好きだから、僕は何も言わない。

「たばこやめるわ」
 最後の一本を吸い終わった彼は空箱を潰してそう言った。灰皿で火を消す。煙のでなくなったそれから微かにたばこ独特の匂いがする。
「突然だな」
「いや、お前苦手だろ」
 彼が気を使わないように何も言わなかったが、どうやら知っていたらしい。いや、知っていたというよりは感づいたのだろう。ばれてしまったのなら素直に言わなければならない。別に取り乱してまで隠すほどでもないのだから。
「知ってたんだ」
「少し煙そうにひそめるからな、一瞬」
 やはり隠そうとしても顔には出てしまうようだ。これは癖とでもいうか、条件反射に近いものだろう。たばこに火がついて煙が出たとき、どうしても煙たいと思ってしまう。彼も例外ではない。
「早く言ってくれやあ、よかっただろ」
「特別に言うことでもないだろ、今更」
 高校からの付き合いで、今更たばこ無理だからと言うタイミングがどうも掴めない。その時に言えばいいのだろうが、スーツや服についた香りが好きで言えずに放置していた。
「だからってなあ。付き合ったときに言ったろ、そういう隠し事はなしなって」
「たまたま言うタイミングを逃しただけだろ。隠したってほどではない」
 正確には隠し事はある。でも、自分一人でこっそり癒されているだけだから、言うほどではない。というよりは、ただ気恥ずかしいだけなのだ。恋人とはいえ、「お前のたばこの香りが好きだ」なんてうっかりすると顔が火照ってしまいそうだ。
「でも、寂しいなあ」
 たばこをやめるということは、あの香りがなくなってしまうということだ。本数を減らしてやめていくだろう。あとどのくらいあの匂いを嗅ぐことができるのだろう。
「なにが寂しいって?」
「いや、お前がたばこやめたらキスのときは何味になるんだろうなって」
「なにを言い出すかと思えば、してほしいわけ?」
 言い訳が思いつかず、うっかり口が滑ってしまったがこれはまずい。ジリジリと身を寄せられ逃げ場が塞がれていく。
「へえ、たばこやめると寂しいわけ?」
「寂しいけど、あ、ちがう、寂しいとかじゃなくて」
「やめねえよ」
 あと少しで唇が触れそうになったところで、すっと離れてしまった。たばこの香りとは違う、彼のたばこの匂いが鼻を擽る。
 離れた彼はテーブルの下から未開封の一カートン分のたばこを取り出した。
「こんだけ残ってるしな、本数減らすだけだ。とうとう会社が禁煙になるらしいから今のうちに本数減らせって言われたんだよ」
「本数減らすならやめればいいだろ?」
「簡単にやめれるかよ。それに、お前がこの匂い好きだって言うしな」
 少し勘違いをしているが、間違いではないか。今すぐにこの香りが消えてしまうわけではなさそうだし、あえて正す必要もないだろう。
「体には悪いんだからほどほどにしとけよ」
「わかってるって」
 こっちこい、と離れたとこに座り直した彼のもとへ手招きされる。文句を言いつつ隣へ座ると、あの心地よいたばこの匂いがした。

END
(初:2013/11/19)
(2016/02/19)


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