92:戦場を駆ける。


 雨が降る中、みんなでクルスニクの槍を目指して走る。もうすぐ、ラ・シュガル陣営を抜ける。そうしたら、今度はア・ジュールの兵士たちと戦うことになるかもしれない。ラ・シュガルは指揮者であるローエンさんに協力的だけど、ア・ジュールは私達を敵だと思っている。
心なしか、辺りの空気がどんどん張り詰めていく気がして、私はぎゅっと拳を握りしめた。

「しかし……数万の大軍が衝突する戦いは二十年前のファイザバード会戦以来か」

武器を持つ兵士を横目で見て、ミラさんが息を吐き出す。マクスウェルであるミラさんでも戦争を目にするのは初めてなんだろう。ミラさんの使命は人と精霊を守ること。その守るべき存在が争っていることは、ミラさんには悲しいことなんだと思う。
 観察しているのか、少しだけスピードが落ちたミラさんの背に向かってアルヴィンさんが口を開いた。

「人間社会に疎いマクスウェル様が珍しくよく知ってるじゃないか」

「ル・ロンドでのリハビリ中に近代の歴史書を一通り読んだからな」

各国の歴史書や、地方に伝わる文献。リハビリだけでも辛いのに、合間を縫って勉強するなんてミラさんは本当にすごい。関心していると、アルヴィンさんが鼻で笑った。

「本で読んだねぇ……勉強熱心なことで」

「お蔭で確認できたよ。人の行いは太古から変わらないとな」

「おいおい、まさかその太古の知識ってのも本で読んだんじゃないだろうな」

「ん?何か言ったか?」

アルヴィンさんが口元を引きつらせれば、ミラさんが後ろを振り返った。声が小さくてよく聞こえなかったらしい。ミラさんの視線にアルヴィンさんは肩をすくめた。

「いや、お蔭で傭兵が食いっぱぐれないって言ったんだよ」

アルヴィンさんの言葉に納得したのか、ミラさんは再びスピードを上げる。私も置いて行かれないようにスピードを上げるけど、でも地面がぬかるんでいるせいか走りにくくてたまらない。雨さえ降っていなかったらもっとスピードが出せるのに。

「みなさん止まって。私から離れないで下さい」

 ローエンさんの声に、みんなが一斉に止まる。ローエンさんは増霊極を取り出すと、両端を押しながら捻って地面に落とした。でも増霊極は地面にぶつかる寸前で浮かび上がると、発光して不思議な模様を描いてく。そして模様が完成すると、地面が硬くなったような気がした。

「これで付近の霊勢を変化させました。流沼の活動が少し収まるはずです」

「すごいですね……」

ブーツの先で地面をつつけば、さっきまでぬかるんでいたはずの地面は乾いたように固い。
精霊術も、増霊極もやっぱりすごい技術なんだ。こんな力があるなら、戦争になんて使わずにもっと人の役に立てればいいのに。

「だ、大丈夫かな……」

レイアはまだ不安なんだろう。ここの流沼は、一度飲み込まれれば次にいつ地上に出られるか分らない。飲み込まれれば命はないと言われている。ごくりと生唾を飲んでエリーゼがティポを抱きしめていると、ミラさんが私達を見渡した。

「恐れるな!今最も恐れるべきは人間と精霊の命が脅かされることだ」

「くう〜っ、ミラカッコイイ〜〜」

「緊張感ないなぁ」

さっきの不安はどこにいったのか、どこか楽しげなレイアにジュード君が苦笑する。私もつられて笑って、自分を落ち着かせようと大きく息を吐き出した。

「でも、緊張し過ぎもよくないよね」

「どっかの誰かさんみたいにな」

「うっ……」

 にやりと笑ったアルヴィンさんの視線から逃げるけど、まだ愉しそうなアルヴィンさんの視線が向けられているような気がする。何だかんだで、みんなはまだ心に余裕がある。その余裕を分けてもらいたいくらいだ。

「行くぞ!クルスニクの槍を破壊する!」

言ってミラさんが剣を抜いて、強く言い放つ。それだけでみんなの気が引き締まったのは気のせいじゃないと思う。ミラさんの言葉には強い力があるから。戦いはこれからだ。みんなが武器を構えなおして、駆け出すミラさんに続いた。
 前線が近くなってきているけど、段々と濃くなってきた霧で辺りの様子がよく見えない。聞こえるのは剣と剣がぶつかり合う音、悲鳴、雄たけび。どれも怖い音ばかりで、盾を握る手に嫌な汗が滲んだ。

「視界が悪い……これじゃ どこに兵がいるか見えない!」

白い霧を睨むジュード君の目は鋭い。戦場で相手の顔が見えないっていうのはすごく怖いと思う。どこから斬りかかってくるか分らないし、少しでも遅れればみんなとはぐれてしまうかもしれない。アルヴィンさんがさっと周囲に視線を走らせた。

「迂回するか?」

「いや、直線に行こう!その方が早い」

「それって一番の激戦地区に突っ込んでいくってことなんだけどな」

即答するジュード君にアルヴィンさんが口元を引きつらせる。最短距離で行くのが早いっていうのは分かるけど、でもその道は一番危険なんじゃないだろうか。焦って急いで、何かあってからじゃ遅いんだから。

「でも、急がば回れっていいますよね……?」

「道を阻むなら、退けるまでだ」

ためらいつつも声にすれば、ミラさんはばっさりと却下した。ミラさんにとっては危険でも最短ルートを行く覚悟が出来ているんだろう。予想通りの展開にみんなに気づかれないように溜息をついていると、ティポがいつもの調子で飛んだ。

「ぼくたち、死んじゃうかもねー」

「……だ、大丈夫だよ。ジュード達が言うんだもん」

「でも、私達が相手のこと見えないってことは、相手も私達が見えないってことだから……条件は同じじゃない?」

口元を引きつらせるレイアに、私も口元が引きつる。相手だって、攻撃する前に敵か味方を確認するはず。一見どちらの勢力か分らない私達に迂闊に手は出さないだろう。……多分。それに、ローエンさんのことはラ・シュガル兵には伝わってるはずだし。

「ミラ!」

 ジュード君の声に、みんなが思わず足を止める。ア・ジュール軍だと思ったけど、槍で襲い掛かってきたのはラ・シュガルの兵だった。私達をア・ジュールの兵だと思ったんだろうか。弾かれた槍を再び構えなおす兵士に、ジュード君はまったをかけた。

「何をするんだ!僕たちは敵じゃないよ!」

戦場が広くて連絡が行き届いていないんだろうか。でもジュード君やローエンさんが事情を話しても、ラ・シュガル兵は槍を下ろさない。そうしている間にいつの間にかラ・シュガルの兵士に囲まれている。協力してくれるはずだったのに、私達を囲む兵士はみんな武器を向けていた。

「ジランド参謀副長より全軍に通達があった。『指揮者イルベルトは敵となった。殺してでも排除せよ』とな!」

「なんですと……?」

兵士の言葉に、ローエンさんが息をのむ。どうしてジランドさんは私達を敵だと思ったんだろう。ナハティガルさんを襲ったことを知ったんだろうか。こんなに早く、一体どうして……。

「ラ・シュガル戦略拠点の破壊など絶対にさせん!」

「仕方ない」

抜身の剣を強く握り、ミラさんがラ・シュガル兵に向かっていく。そうして槍を避けて剣を薙ぐと、ジュード君と共鳴して前方の敵を蹴散らしていく。ラ・シュガルは味方だと思っていたのに、これで戦場での味方はいなくなってしまった。ぎゅっと盾を握りしめればローエンさんに共鳴を促されて、私はすぐに繋がるとエリーゼの援護に回った。

「立ち止まればそれだけ増援を呼ばれます」

「結局、両陣営と戦うことになるのか」

「た、戦うんですか!?」

 舌打ちするアルヴィンさんに、体が震えて声が震えた。ここは戦場で、戦う人はこの戦場で戦う兵士達。つまりは人間で、戦争ってことは人を殺すっていうことで、

「やらなきゃやられるぞ!」

考えている間にも、銃声が響いて剣戟も聞こえてくる。舌打ちしながらも、レイアと共鳴したアルヴィンさんの弾は兵士の肩に命中し、怯んだ所でレイアが棍棒を大きく回して兵士を薙ぎ倒した。
 この人たちを倒さなくちゃ、前に進めない。分かっているけど、やっぱり怖い。今日まで沢山戦ってきたけど、そのほとんどが魔物。人間を相手にするときは騒ぎを大きくしないように気絶させることばかりだった。でも、ここでもそれが通用するんだろうか。

「彼らも兵士。覚悟は出来ています」

「でも……!」

「切り開くべきは槍への道であり、世界の未来です。そう考え、前を向いて下さい」

振り返れば、ローエンさんが剣で敵の攻撃を防いで、ナイフを投げた。殺そうとしなくていいと、言ってくれてるんだろうか。そう思っていいんだろうか。私は盾を握りしめて、振りかざされた槍をかわした。

「道を、作ればいいんですね」

「無理に争う必要はありません。全てを相手にするのは不可能でしょう。相手を動けないようにしてください」

目の前の兵士に向き合うのに精いっぱいで、ローエンさんの顔は見れない。でも背中にかけられる声はひどく優しい。その優しさに目の奥が痛くなったけど、私は盾を強く強く握りしめて地面を蹴った。

「……ありがとうございます!」

距離を詰めて、間合いに入ると同時に身体を捻って盾を薙ぐ。

「飛燕流舞!」

「ティポ戦吼!」

そして私の盾で怯んだ兵士を、ティポが大きな口を開けて吹き飛ばした。

「ウインドランス!」

そして離れていた所で詠唱していた兵は、ローエンさんの風の刃が切り裂く。アルヴィンさん達もジュード君たちも、順調に敵の数を減らしている。これなら、とちらりとローエンさんを見れば、ミラさんと視線を交わしていたローエンさんが頷いた。

「走りますよ!」

いつまでここで戦っているわけにはいかない。みんなで走り出せば、最後にアルヴィンさんが追撃を仕掛ける兵士にいくつか銃で弾を打ち込んでから走り出した。後ろからはいくつも声が聞こえてくるけど、立ち止まるわけにはいかない。ここで立ち止まれはそれだけ囲まれる可能性は高まるし、クルスニクの槍が起動する可能性が高まるんだから。ちらりと視界の端に映ったのは、血まみれになって倒れない人達。ここに来るまでに見ないようにしていた光景。自分とは、一生縁のないと思っていた光景。こんなことにならないように、クルスニクの槍を止めに来たはずなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。私はぎゅっと唇を噛み締めて、痛くなる眼の奥に力を込めた。





心の中で、何度もごめんなさいと呟いた。




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