82:空を飛ぶ。


 闘技大会が終わったからか、シャン・ドゥの街は以前より落ち着いてるような気がした。近くに私達を追いかけて来そうな兵士はいないけど、ここはア・ジュール。まだ安心は出来ないから、早くユルゲンスさんに会ってワイバーンを探さなきゃ。
 そう思って辺りを見渡していると、偶然にもユルゲンスさんを見つけた。

「ワイバーンの準備はできているよ」

「すまないな、ユルゲンス」

息を切らせながら礼を言うミラさんや、肩で大きく息をする私達を見て思うことがあるんだろう。荒い呼吸をしていると、ユルゲンスさんは苦笑した。

「謁見も早々に済ませて、何やらお急ぎのようだね」

「急ぐ必要はなくなったよ」

背後から聞こえたのは、ここにいないはずの声。反射的に振り返れば、いつもの調子で軽く手を上げるアルヴィンさんがいた。

「よっ」

「アルヴィン!?」

まるで何事も無かったように歩みよるアルヴィンさんに、ジュード君が息をのむ。どうしてアルヴィンさんはここにいるんだろう。ア・ジュールに寝返ったんじゃないんだろうか。

「やつら、俺の流した情報に踊らされて今頃せっせと山狩りでもしてるからな」

「お前が……?手土産のつもりか」

「手土産も何も、仲間だろ?俺たち」

笑って言うアルヴィンさんをミラさんが睨み付けるけど、アルヴィンさんは動じない。あんなことになったのに、いつものように笑っているだけ。飄々とするアルヴィンにジュード君はむっとしてるし、レイアは目をそらして、エリーゼは俯いてる。ミラさんはもちろん、いつも穏やかなローエンさんでさえ怖い目でアルヴィンさんを見てる。正直、空気が悪い。

「なんだよ、信じられないって?お前らが信じてくれてるって知ってる。そう言っただろ?な、ユウカ」

「あ、はい……」

な、と目があった瞬間に言われて思わず頷いてしまう。個人的には信じたいし、一緒に来てくれれば嬉しいけど、それを決めるのは私じゃない。なんて言えば良いのか分からなくて、視線を泳がせているとアルヴィンさんが私の頭を乱暴に撫でた。

「さすが、ピーちゃんは優しいな」

揺らされる頭を上げれば、アルヴィンさんが嬉しそうに笑っていた。みんなの表情は、相変わらず固いままだったけど。
 どうしようかと考えていると、アルヴィンさんは私から離れてジュード君の肩を組んだ。

「まだ俺のこと信じてくれるよな?」

「う、うん……」

躊躇いがちな返事でも満足したらしい。重みで微かに傾くジュード君の背をアルヴィンさんが豪快に叩く。もうみんなも呆れてなにも言えないのか、ため息をつくだけで否定しない。

「事情は聞かない方よさそうだな。まったく、君たちと関わってると飽きないよ」

肩をすくめたユルゲンスさんがやれやれと首を横に振った。なんだかんだで、ユルゲンスさんとの付き合いも長くなりつつある。今のところ、そんなに迷惑かけていないけど、ちょっと心配だ。このまま何もないといいけど。

「それじゃあ街の外れに移動しよう。ワイバーンは気性が荒くて危ないからね」

そう言ってユルゲンスさんが歩き始めて、私達もついていこうとした、そのとき。

「ま、待って……」

背後から弱々しい声が聞こえてみんなの足が止まる。振り返ると、イスラさんが怯えたように建物の影から出てきた。

「わ、私の過去のこと……ユルゲンスには言ってないわよね?」

ミラさんの肩を掴むイスラさんの表情は必死だ。それだけ過去をバラされたくないんだろう。その気持ちは分からなくてもないけど、と怯えるイスラさんの横顔を見つめていると、ミラさんが首をかしげた。

「なぜ秘密にしたがるのだ?すでに過ぎたことだろう」

「あのことを知られたら私は捨てられる……」

俯くイスラさんの手は震えている。孤児を売り飛ばした、なんて話は褒められたものじゃない。印象は悪くなるだろう。顔を上げたイスラさんの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「こんな醜い私を彼が愛してくれるわけがない。あなたも女なら分かるでしょう?」

強く訴えるように、見つめるけどミラさんの表情は変わらない。

「……ふむ。人間の愛は難解だな。……私には理解できそうにない」

そう言ってイスラさんを剥がして歩き出した。冷たく感じる言葉に、イスラさんがふらりと座り込む。
 確かにイスラさんのしたことは許されないかもしれないけど、それでも声をかけずにはいられなくて。私は歩き始めたみんなに背を向けた。

「大丈夫ですよ。過去のことは言いませんから」

ゆっくりと、力なくイスラさんの視線が上がる。やっぱり、不安なんだろう。何だか可哀想になってきて、私はコートの裾をぎゅっと握った。

「その代わり、もう誰かを不幸にしないでください」

「そんなの……無理よ」

俯くイスラさんの小さな声は、嘲笑うような声。顔を上げたイスラさんは、悲しい笑みを浮かべていた。

「あんたも人を不幸にして、自分が幸せになってきたんでしよ?みんな幸せになんて、なれるわけないじゃない」

ぐさりと、心に突き刺さったような気がした。私はこの世界に来てからずっと誰かに守ってもらって、すがるように生きてきた。そうすることでしか、生き残れなかったから。だからミラさんに怪我をさせた。みんなを傷つけて不幸にした。だからこそ、今の私がいるんだ。俯きそうになるのを耐えて、私はまっすぐイスラさんを見つめた。

「それでも私は、みんなが傷つかないように、不幸にならないように、強くなりたいです」

私の言葉にイスラさんは軽く目を見開いた後、無言で唇を噛み締めて俯いた。約束を守ってくれるんだろうか。でもこれ以上かける言葉なんてなくて、私はみんなを追って駆け出した。


 町外れで待機していたワイバーンとユルゲンスさんと合流して、私達はイル・ファンへと飛んだ。ミラさんが手綱を握るワイバーンにジュード君が、ローエンさんが手綱を引くワイバーンにはレイアが、アルヴィンさんが手綱を引くワイバーンにはエリーゼが乗って、私はユルゲンスさんと一緒に乗った。勿論、手綱を握るのはユルゲンスさん。

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫です!」

後ろのユルゲンスさんにそう言ったものの、風が強くて目を開けるのが辛い。息もつまりそうで、ただ座っているだけで体力を奪われてるような気がする。

「ほら、目を瞑ってたら勿体ないぞ」

「で、でも雲で何がなんだか……」

笑って言うユルゲンスさんだけど、頑張って目を開けても見えるのは雲だけ。真っ白で何も見えない。空を飛べるって思ったからちょっとわくわくしたのに、これじゃあ、わくわくというよりびくびくしているだけだ。

「もうすぐ抜ける。ほら」

ユルゲンスさんの優しい声と共に、閉じていた瞼の裏が明るくなった。恐る恐る目を開けば、広がっててたのは青く澄み渡った空と、輝く太陽、陽の光で輝く青い海だった。

「すごい……綺麗」

「始めて空を飛んだとき、イスラも同じことを言ったよ」

背中から聞こえる声は優しげで、でもさっきのことを思うと少し複雑だ。あのまま置いてきて良かったんだろうか。そういえば、と私は体を捻った。

「ユルゲンスさんはイスラさんと知り合いなんですか?」

「ああ、婚約している」

「えっ!?」

親しい間柄だと思ってたけど、婚約してたなんて。驚く私にユルゲンスさんは笑って頷いた。

「いつもどこか寂しい目をしていてね。放っておけなくて、気が付いたら好きになっていた」

なんとなく、分かるような気がした。イスラさんも自分の立場について色々考えてたんだろう。それでもやっぱりユルゲンスさんが好きで、幸せになりたくて。幸せそうなユルゲンスさんの笑みに、自然と私も微笑んでいた。

「幸せになってください」

「ああ、勿論だ」

力強い視線に安心していた、そのとき。突然影が私達の上に落ちてきた。見上げた先にあったのはワイバーン……ではなく、蛇のような体に翼の生えた魔物だった。

「な……なんだあれ!?」

「あの魔物は……空の王者プテラブロンク!」

アルヴィンさんやローエンさんが驚きの声を上げている間にも魔物、プテラブロンクはこっちに向かって急降下してくる。こんな所じゃまともに戦えない。となれば、とる道は一つ。

「みんな!下に降りよう!」

ジュード君の言葉にミラさんが手綱を操り、一気に急降下していく。でも、プテラブロンクとの距離は開くことなはく、それどころかどんどん縮んでく。

「お、おいつかれますよ!」

「一度雲の中に逃げ込めば、追ってこれないはずだ!」

ユルゲンスさんが一気にスピードを上げて、私も必死にしがみつく。折角、空の旅が楽しいと思い始めてた所だったのに。ぎゅっと手に力を込めると火の玉が飛んできて、手綱を握るユルゲンスさんがワイバーンを操って避けた。でも、

「ミラさん、後ろです!」

私の上げた声を上げた時には、火の玉がミラさん達のワイバーンの左翼に直撃。苦しげな鳴き声とジュードの悲鳴と共に、その姿が一気に落ちていった。

「ジュード!ミラ!」

悲鳴に近いレイアの声にローエンさんとアルヴィンさん、ユルゲンスさんもジュード君達を追ってスピードを上げる。こんな高さから落ちたら命はない。

「待って!お願い!!」

声を上げて、手を伸ばす。どうか間に合ってと、祈るような気持ちで私はひたすら手を伸ばした。





 絶対に助けるって思った。




.



[ 82/118 ]

[*prev] [next#]