80:カン・バルク脱出。


 走って走って、街を出ても走り続ける。振り続ける雪が段々と身体に積もってきて寒いはずなのに、ひんやりとして気持ちいい。それだけ身体が熱を持ってるんだろうか。最近、走ってばかりだ。部活でもよく走ったけど、ここまで走り込むことなんて無かった。
 息を切らせながら背後を振り返るけど、兵士の姿はない。さっきローエンさんの言ってた通り、この雪ならすぐに足跡も消えるだろう。
 一体、何がどうなってるんだろう。どうしてこんなことになるんだろう。お姉ちゃんに会えて嬉しいはずなのに、全然喜べない。お姉ちゃんはいつだって私の味方だったのに、どうして私に剣を向けたんだろう。選ばれたってどういう意味なんだろう。どうしてジュード君たちと敵対する道を選んだんだろう。それは本当に、お姉ちゃんがやらなきゃいけないことなんだろうか。
考えても考えても答えが出なくて、代わりに涙が溢れた。でも今は足を止めるわけにはいかない。ぎゅっと唇を噛み締めて、袖で涙を拭った。

「もう少し、頑張れますか?」

気が付けば、ローエンさんが傍にいて慌てて顔を上げる。泣いてるところを見られてしまったらしい。心配げな目に、私は強く目元を擦った。

「すみません、心配かけて……」

「再会を喜ぶべきなのか、迷ってらっしゃるのですね」

 優しい言葉に、視線が下がっていく。なんて答えればいいのか分らなくて、口から零れたのは不安だった。

「お姉ちゃんは、優しい人なんです。いつも私の味方になってくれたのに……」

学校の成績が悪かったとき、勉強を教えてくれたのはお姉ちゃんだった。習い事が上手くいかないとき、コツを教えてくれたのはお姉ちゃんだった。優しくて強いお姉ちゃんが憧れで、お姉ちゃんを真似て色んなことを頑張った。勉強も、部活も、髪だって伸ばしたりした。何一つお姉ちゃんには届かなかったけど、それでも確かだったのはお姉ちゃんは私の味方だったってこと。少なくとも、私に剣を向けるような人じゃなかった。

「でも、今はお姉ちゃんが何を考えているのか……わかりません」

声が震えてるのが分かって、それ以上は何も言えなくなる。でも俯けば涙が滲んだのが分かって顔を上げれば、ミラさん達と少し離れていることに気づいて私は走るスピードを上げた。
 今は、とにかく走って、逃げなきゃ。ア・ジュール兵から……お姉ちゃんから。あと少し頑張ろうと前を向けば、ジュード君がミラさんに肩を貸していた。

「やっぱりジンテクスが痛いの?」

「いや、以前ほどではない」

辛いのか、俯き気味に首を横に振るミラさんにジュード君が顔をしかめたのが背後からでも分かる。本当なら、まだリハビリしながら治療しなきゃいけない時期なのに、ミラさんはもう戦いながら旅をしている。ジュード君としてはやっぱり心配だろう。

「以前程って気絶するほどの痛みが我慢出来るくらいになっただけでしょう」

ミラさんを気遣っているんだろう、ジュード君達が歩くスピードをゆるめる。先頭の二人がゆっくりになれば、私達の足も自然とゆっくりになった。

「ジンテクスを外した私は歩くことはおろか立つことすらできない。なすべきことのある私にとって、これ以上の苦痛はない」

 顔を上げたミラさんの目は、暗い雪雲に負けないくらい、晴れやかで力強い。前に進むことが喜びなんだろう。ミラさんはそっと太股に取り付けられたジンテクスに触れた。

「だがジンテクスがあれば再び戦える。痛みなどなんでもない代償だよ」

優しく、力強い眼差しに、ジュード君がそっと微笑む。世界を守ろうとするミラさんの敵は多い。アルクノアに、ラ・シュガル、そしてア・ジュール。ミラさんは正しいことをしているのに、どうして敵ばかりが増えるんだろう。
 唇を噛み締めて俯けば、ア・ジュールにいたお姉ちゃんの姿が浮かんで私は俯いた。

「すみません……」

「ユウカが謝ることは何もないだろう」

なんの謝罪か気づいてないんだろうか。気づいてないなら、と一瞬思ったけど、大事なことだからちゃんと言わなきゃ。

「お姉ちゃんが……その、」

そう思ってるのに、はっきり言えない自分が嫌になる。それでもミラさんは気づいてくれたんだろう。振り返ったミラさんの目は優しかった。

「姉のことも、君のせいではないだろう」

気にするな、とミラさんは言うけど、気にしないわけがない。私はコートの裾を握りしめ、顔を上げると首を横に振った。

「でも、私のお姉ちゃんがア・ジュール軍で、ミラさん達を捕まえようとしたのは事実ですから」

どうしてって思うことは沢山あるけど、これだけは分かってる。いつも私の味方になってくれたお姉ちゃんは、今はガイアスさんの味方だって。
 どうしてこんなことになったんだろう。どうして味方になってくれないんだろう。どうして一緒にいられないんだろう。悲しくて苦しくなったけど、ぎゅっと唇を噛み締めて、涙を堪える。ここで泣いたら、みんなを困らせてしまうから。

「ユウカは四象刃やクルスニクの槍のことを知っているのか?」

「分らないです。どうしてお姉ちゃんが……」

ミラさんの言葉に、首を横に振る。どうして、お姉ちゃんはガイアスさん達と一緒にいるんだろう。この世界に来てから、お姉ちゃんに何があったんだろう。どうして一緒にいられないんだろう。大切な、家族なのに。

「っ、ごめんなさい……」

「ユウカは何も悪くないよ」

「それでも、私のお姉ちゃんだから……」

やっぱり涙が溢れれば、ジュード君が困ったように笑った。
  私はただでさえお荷物なんだから、これ以上みんなに迷惑はかけたくない。力になりたくてみんなと一緒に行くって決めたのに、また迷惑をかけてる。今度は私だけじゃなく、お姉ちゃんも。悲しくて悔しくて、申し訳なくて、みんなの顔が見られない。

「ごめんなさい……」

 このまま泣いてたらみんなを困らせてしまうのに、涙が中々止まらない。何度も何度も袖で涙をぬぐって、大きく呼吸する私の背中をレイアがそっと撫でてくれた。 みんなの優しさは嬉しい。でも、優しすぎて辛い。

「きっと、ユウカさんが心配なのでしょう」

優しい声に顔を上げれば、ローエンさんが微笑んでいた。
 そういえば、と今更になって思い出したのは、私を庇ってお姉ちゃんと戦ってくれたローエンさんのこと。どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。私は慌ててローエンさんに駆け寄った。

「すみません、ローエンさんは大丈夫だったんですか?怪我とか、」

「この通り、ピンピンしています」

私があたふたしていると、ローエンさんはタクトを振るような仕草をして笑った。私を安心させようとしてくれてるんだろう。
 気遣いにありがとうございます、と微笑めばローエンさんは小さく頷いた。

「お姉さんは、妹を返して欲しいと仰っていました。好きで戦うのではない、と。彼女の目的がユウカさんの保護なら、完全な敵と判断するのは早いと思いますよ」

諭すような眼差しは、優しくて綺麗だ。確かにお姉ちゃんはそう言ってたけど、みんなに剣を向けたのも確か。頷きたくても頷けない私に、レイアがそうだね、と頷いた。

「ユウカのお姉ちゃん、王様を止めようとしてくれたもんね」

視線を向ければ、にっこりと笑うレイア。みんなの言葉も、お姉ちゃんのことも信じたい。
 お姉ちゃんは、エクシリアのことをすごく楽しみにしてた。そのお姉ちゃんがジュード君達の敵になるような真似をするわけがない。これにはきっと何か理由があるんだ。お姉ちゃんが悪いことをするわけがない。そう、信じたいけど……

「私のこと、疑ったりしないんですか?裏切ったらとか、利用したら、とか……」

でも、こんな風にあっさり信じて貰っていいんだろうか。今はみんなと一緒にいるけど、またお姉ちゃんと会ったら気持ちが揺らいでしまう気がする。みんな私が気弱だって知ってるんだから、少しくらい私が裏切るかも、とか思わないんだろうか。不安を胸にみんなを見渡せば、みんな優しい表情をしていた。

「そんな寂しいこと言ったりしないよ」

最初に口を開いたのはレイアだった。姉妹揃ってみんなに迷惑をかけてしまったのに、レイアはなんてことはないような顔をして、いつものように笑っている。

「疑う要素がありませんからね。ユウカさんはユウカさんです」

「お姉さんがア・ジュール兵だからってだけで追い出したりしないよ。それに、ここまで一緒に来たらユウカがそんなことしないって分かるよ」

 髭を撫でて微笑むローエンさんに、ジュード君が苦笑する。その隣で、ミラさんが大きく頷いた。

「アルヴィンのしたことに比べれば、姉のことなど問題ではない」

「アルヴィンは許さないけどねー」

ティポの言葉に、みんなが苦笑する。エリーゼは無言で頷いてたし、ティポが私のことを悪く言わないってことは、本当に心からそう思ってるんだろう。
 アルヴィンさんっていう裏切り常習犯で慣れてしまったから、私のことも許してくれるんだろうか。だとしたら、今度会ったらアルヴィンさんにお礼を言った方がいいかもしれない。
 どうしてみんなここまで私のことを信じてくれるんだろう。不思議だけど、でもみんなの優しさが嬉しい。
 まだみんなに言ってないことがある。それでも、今はみんなの優しさに少し甘えてもいいだろうか。みんな私を信じてくれる。私のお姉ちゃんのことも許してくれてる。みんなの優しい空気を全身で味うように深呼吸して、私は頭を下げた。

「みんな、ありがとう」

 私だってお姉ちゃんを信じたい。みんなもお姉ちゃんのことを許してくれてる。私のことを信じてくれる。それに今日はちゃんと話せなかったけど、次にちゃんと話せば分かってくれるかもしれないんだから。だから私も、お姉ちゃんを信じよう。みんなが信じてくれるお姉ちゃんを、私の大切な家族を。






 信じることしか、出来なかった。






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