64:黒匣とミラさん。


 重い空気のまま宿屋につくと、既に日が暮れていた。昼間の活気はどこに行ったのか、宿の外を歩く人達も少ない。あの毒の件はもう街の人にも伝わっているんだろうか。ローエンさんが部屋のランプに火を灯すと、ミラさんが口を開いた。

「おそらくこの事件の首謀者はアルクノア。私の命を狙いつけている組織だ」

真剣なその表情に、空気が更に張り詰めた気がする。ごくりと生唾を飲み込んでいると、ミラさんはみんなを見渡してどこか遠くを見据えるように窓の外を見た。

「犠牲になった者達には申し訳ないが、狙われたのは十中八九私だろう。 もとより何でもありの連中だったが、 今回は特にひどい。昨日の落石もそうだろう」

「どうして!?何故狙われてるのミラ!」

心配げにレイアがミラさんに詰め寄る。ミラさんを狙う組織、アルクノアのやり方はひどい。あんなことをすれば無関係な人達も巻き込んでしまうって、分っていたはずなのに。

「私が奴らの黒匣を破壊し続けてきたからだ。奴らが二〇年前、黒匣と共に突如出現して以来な……」

「二〇年前……」

「じゃあ、ミラさんって生まれた頃から黒匣を破壊してきたんですか?」

ローエンさんの呟きに私は思わず息をのんだ。二〇年前からというと、生まれてすぐにマクスウェルとして行動していたんだろうか。四大にお世話してもらったり、生まれてすぐに戦えるなんて精霊の赤ちゃんってすごい。感心しているとミラさんが微かに眉を上げた。

「それじゃ、クルスニクの槍にも、もしかしてその組織が?」

「……確証は無い。が、あれの出所はアルクノアだと考えている」

でもジュードくんの問いに、ミラさんはすぐに表情を引き締めた。

「奴らは常に町の人間に溶けこんでいる。 私もこれまで黒匣が使われた際の精霊の死によってでしか、 その動向を察知出来なかった」

「精霊の死……って、黒匣は精霊を殺すの!?」

ミラさんの言葉に、レイア達が大きく目を見開く。つまり、黒匣は精霊の命を燃料にして動いているんだろうか。ミラさんは驚くみんなを見つめながら、しっかりと頷いた。

「人間は精霊の力で暮らし、精霊は人間の霊力野から産み出されるマナで生きる。その循環こそがリーゼ・マクシアの理と言ってもいいが、黒匣はこの理に反するものだ。黒匣は誰でも強力な精霊術を発生させられる装置だが、術を発生させる度に精霊のマナを奪い、死に至らしめる」

「精霊がいなくなったら、どうなるんですか?」

「滅びる。精霊の加護がなければ、この世界は生きることが出来ない」

恐る恐る問いかければ、ミラさんははっきりと言い放った。だから、ミラさんは黒匣を破壊していたんだ。誰でも力を使えるというのは魅力的かもしれない。でも、それが悪用されれば沢山の人が傷つく。アルクノアの人達は、黒匣が精霊を殺すって……世界を滅ぼすかもしれないって知らないんだろうか。
 みんなが口を閉ざす中、ローエンさんは考えを纏めるように顎に手を置いてそっと息を吐き出した。

「私もまだまだですね……そのような大事を全く知らなかったとは……」

「知らなくて当然だ。人間に知られぬよう、私が一人で処理してきたのだから」

気にするなとミラさんは力強く微笑むけど、あんな卑劣な手段を使う相手に二〇年間も戦ってくるなんて大変だったんじゃないだろうか。

「じゃあ、今までずっとミラは……」

「うん。世界の……僕達の為に……一人でずっと戦っていたんだ」

おずおずと口を開いたエリーゼの言葉を補って、ジュードくんが頷いた。四大の力を使役出来たとはいえ、生まれた時からずっと戦い続けてきたなんて。すごいなと思う反面、なんだか申し訳なくなる。俯いていると、ミラさんはそっと息を零した。

「だが、私が四大の力を失ったせいで、お前たち人間を巻き込んでしまったことになる。すまない」

「謝らないでよ。僕たちの方こそ……」

「うん。ミラだけにそんな大変なことを任せきりで、ごめんね」

首を横に振ったジュード君がレイアを見れば、レイアが苦笑して頭を掻いた。知らなかったら、知らなかったで済んだかもしれない。でも、知ってしまった以上は知らないふりなんて出来ない。

「頼りないかもしれないですけど、私たちも力になります」

私はミラさんの力になるために、強くなるって決めた。みんなと一緒に行くって決めた。まだまだ助けてもらう事の方が多いけど、それでも少しでも力になりたい。

「お前達……」

それでも私達の気持ちは十分に伝わったらしい。ミラさんは驚いたように目を見開いたけど、嬉しそうに微笑んだ。
 ノックが聞こえたのは、その時だった。アルヴィンさんが戻ってきたんだろうか。その短いノックにジュード君が返事をすると、入ってきたのはユルゲンスさんだった。

「待たせたな。すまない」

何か報告があるんだろう。部屋にいる私達をぐるりと見渡した後、口を開いた。

「……アルヴィンさんは? まだ戻ってないのか?」

「ああ」

ミラさんが頷くと、ユルゲンスさんはそうか、と零して口を閉ざした。大事な話ならやっぱりアルヴィンさんを探しに行った方がいいかもしれない。そう思って口を開きけたところで、ユルゲンスさんは顔を上げた。

「では彼にも伝えておいてくれ。大会のことだが、決勝は明日以降に延期になった」

 その真剣な表情に息をのんだのは私だけじゃなかった。みんなが息をのむ中、ミラさんは静かに目を細めた。

「中止ではないのか?」

「大会執行部でも随分もめたらしい。だが結局は十年に一度の大会だからと……」

そう話すユルゲンスさんの表情は険しい。大会続行に少なからず抵抗感はあるんだろう。伝統のある大会なのは分かるけど、このまま大会に参加していて大丈夫なんだろうか。

「……決勝戦、どうなるんでしょうね」

 アルクノアは確実にミラさんを狙ってる。敵は私たちの場所を常に把握しているけど、私たちには分からない。零れた不安はきっと私だけのものじゃないはず。コートの裾をぎゅっと握りしめていると、レイアがはっとして顔を上げた。

「あの場にいた人達はどうなったんですか?」

 みんな無事なんだろうか。無事でいてほしい。でもそんなレイアの希望を砕くように、ユルゲンスさんは目を伏せて首を横に振った。

「無事だったのは俺たちだけだ」

その言葉に、空気が更に重くなった気がする。あの場に何人いたのかなんて分からないけど、両手で数えきれない人達がいたことくらいは分かる。あの人達は何も悪くない。部族の誇りのために参加しただけなのに。そう思うとやりきれなくて、視界の端が涙で滲んで。私はみんなに気付かれないように、唇を噛み締めて目に力を込めた。

「詳細が決まったらまた来るよ。それまで我慢しててくれ」

 ユルゲンスさんが出ていくと、部屋が静まり返った。明日からのことを考えると不安でたまらない。どんどん状況が悪化していく。どうしてこんなことになってしまうんだろう。ミラさんと一緒に行くってことは危険なことだって分かってはいたけど、もう少しくらいスムーズな旅になってもいいと思うのに。思わず溜め息を零せば、更に気持ちが沈んでいくような気がした。

「みなさんお疲れでしょう。今日はゆっくり休みましょう」

ローエンさんの優しい声に、小さく頷く。アルクノアに黒匣。不安要素だけがどんどん増えていくのが怖くてたまらない。みんなも疲れていたんだろう。誰も反論することはなかった。




 分かってはいたけど、やっぱり怖いのは嫌だった。




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