47:ソニア師匠。


 あれからレイアに紹介されて、ソニアさんに弟子入りを志願したのは10日前のこと。「強くなりたいのか」って真剣な表情で聞かれて、私は全力で頷いた。私はみんなの力になりたい。そんな決意を胸にした私をソニア師匠は満足げに頷いてくれた。そして住み込みで修行を始めたのはいいものの……私はみんなに少しでも近づけているんだろうか。

「脇が甘い!」

「はい!」

 突き出された棍棒を盾で防いで、弾き返す。毎日の稽古で身体中筋肉痛で辛いけど、ミラさんだって痛いのを耐えてリハビリを頑張っている。私がこれくらいの痛みで音をあげちゃいけない。

「足元がお留守だよ!」

「はいっ!」

足払いをかけられて後ろに避けたけど、長い棍棒に足をとられて背中から転んでしまった。立ち上がらなきゃって思うのに頭がくらくらする。呼吸するのも苦しくて、「受け身はしっかりね」と師匠に棍棒を突き付けられれば、頷くしかなかった。

「ちょっと休憩にしようか」

「は、はい……」

 小さく笑う師匠に、私は寝転がったままなんとか頷いた。師匠も私が疲れ果ててるのが分かっているんだろう。ゆっくり休みな、と家の中に入っていった。
 今のうちに水分補給したいけど、身体が重くて動かない。でも喉はカラカラだし、どうしよう。なんとか呼吸を落ち着かせようと大きく息を吸って吐き出す。空はどこまでも青く澄み渡っていて、頬を撫でる風と柔らかな芝生が気持ちいい。いっそのこと、このまま寝ちゃいたいくらいだけどやっぱりお水が欲しい。身体が重いけど、さっきまで立っていたんだし、立てない訳がない。大事なのは気合いだと自分を奮い立たせてゆっくりと身体を起こした。

「頑張ってるね」

 そう言って瓶に入ったお水を渡してくれたのはレイアだった。なんてタイミングがいいんだろう。笑顔のレイアにお礼を言って、私は瓶を受け取った。

「もうへろへろだけどね」

言って笑って、瓶の中のお水を一気に飲む。冷たいお水が乾ききった体に染み渡るような気がして、飲み干した私は大きく息を吐き出した。お水っておいしい。

「今日の晩御飯はクリーム牛丼だって」

「じゃあ頑張らないとね」

嬉しそうなレイアに、私も今日の晩御飯であろうクリーム牛丼を思い浮かべて気合いをいれる。レイアのお父さんは料理上手だけど、その中でもクリーム牛丼はすごくおいしい。修行初日に食べて、そのおいしさにおかわりしてしまったくらいだ。レイアと二人で笑っていると、段々お腹が空いてきた。どうしよう。稽古はまだまだこれからなのに。

「ユウカ!」

「調子はどう?」

「ジュード君!ミラさん!リハビリは大丈夫なんですか?」

 突然のミラさんの声に顔を上げれば、車椅子に乗ったミラさんと、それを押すジュード君がいた。いつもならこの時間は病院にいるはずなのにどうしたんだろう。首を傾げれば、ミラさんが不服そうに口を尖らせた。

「今日は休めとジュードが聞かなくてな」

「病院も休診日だし、酷使すると筋肉を痛めちゃうからね……」

苦笑するジュード君に私も苦笑する。ミラさんを説得するのは大変だったんだろうな。お疲れさま、と言えば、ジュード君は首を横に振った。

「それに、そろそろ筋肉痛で動き辛くなってると思って差し入れだよ」

ほら、とジュード君が渡してくれたのはレモンのハチミツ漬け。世界はちがってもこれはお約束らしい。美味しそうなレモンに思わず喉が鳴った。

「味は私が保証する」

「ジュード君の手料理ですからね」

自慢げなミラさんに私は小さく笑った。ミラさんはすでに試食済みなんだろう。目を輝かせるミラさんはとても可愛くて、ジュード君も嬉しそうだった。

「おいしそー!いっただっきまーす!」

「レイアのじゃないんだから、一人で全部食べないでよ?」

「そんなことしませんー」

でもレイアがレモンに飛び付けば、ジュード君はため息をついた。さすがのレイアでもこんなに沢山レモンを食べられないだろう。ほほを膨らませながらも食べたレイアは幸せそうな顔をしている。

「ユウカもどうぞ」

はい、と渡されてレモンをぱくり。ハチミツの甘味とレモンのおいしさが見事に混ざりあってて、すごくおいしい。

「おいひー」

レイアがあんなに幸せそうな顔をしてた理由も分かる。ほっぺが落ちそう、ってこういうおいしさのことを言うんだ。あまりのおいしさにレモンを食べる手が止まらない。本当はこんなに沢山食べるものじゃないんだろうけど、でもおいしいから仕方ない。
 なん切れか食べて満足したところで、ジュード君がそれじゃあ、と口を開いた。

「ちょっと簡単に治療するから、横になってくれる?」

治療って何をするんだろう。疑問に思いながらも言われるがまま、うつ伏せになれば、足かふんわりとあたたかくなった。いつもの術と似てるけど、何か違う気がする。

「私、どこも怪我してないよ?」

「これは筋肉痛を和らげるためのものなんだ」

そうなんだ、と返して、そのあたたかくて気持ちいい感覚に、なんだか眠くなってきた。このまま寝たいけど、まだ稽古が残ってる。
 重い瞼を押し上げていると、ジュード君が躊躇いがちに口を開いた。

「ユウカ、無理しなくていいんだよ」

やっぱりこうして触れたことで、いや。私の様子を見て心配してくれたんだろう。ジュード君は優しいから。でも今はこの優しさにすがっちゃいけない。私より辛い思いをしてる人がいるんだから。

「でも、ミラさんもジュード君も頑張ってるんだし、私も頑張らないと」

「そのことなんだけど……」

苦笑すれば、ジュード君の声が小さくなった。一体どうしたんだろう。ジュード君がどんな表情をしているのか気になるけど、うつ伏せになってるからよく見えない。
 なんだか不安になりながらも名前を呼べば、ジュード君が大きな息を吐き出す音が聞こえた。

「ミラとも話したんだ。ユウカさえよければ、このままル・ロンドにいたらどうかなって」

言いづらそうな小さな声に、私はぎゅっと、拳を握りしめた。やっぱりうつ伏せで良かったかもしれない。こんな、泣きそうな顔を見られずにすむから。

「ちょ、ちょっとジュード!」

 慌てたレイアの声にジュード君は答えない。これがジュード君なりの優しさなんだろう。だからやんわりと、安全な場所にいられるように導いてくれようとしてる。居場所をくれようとしている。でも、それがやっぱり一緒に行けないと言われているようで、目の奥が痛くなった。

「やっぱり……私なんて、足手まといだよね……」

「そういう意味じゃないんだ!このまま一緒にいたらもっと危険なことになるから」

苦笑すれば、ジュード君が治療をやめて慌てて首を横に降ったのが、うつ伏せでも分かる。私は最悪だ。こんなこと言ったら、ジュード君を傷つけてしまうのに。なんでこんな言い方をしたんだろう。ジュード君はただ、私を心配してくれてるだけなのに。迷惑をかけたくないなら、私は何も言わずに頷かなくちゃいけないのに。
 でも本当は、心のとこかでずっと思ってた。ずっと不安だった。私なんかが頑張っても、ジュード君達の足元にも及ばないんじゃないかって。私は何の取り柄もない十五歳なんだから。でも、それでも、自分に何か出来るって思いたかった。みんなの力になりたかった。

「そろそろ再開するよ。あら、ジュード来てたのかい?」

「お久しぶりです」

 重い空気の中、師匠が戻ってくると、ジュード君がお辞儀した。このまま考えてたら、きっと泣いてしまう。私は歯を食い縛って立ち上がった。

「ごめんね、ジュード君。はちみつレモンおいしかったよ」

「ユウカ、」

「ごめん。今は師匠が呼んでるから」

そう言って、ジュード君の顔を見ずに、師匠の元に駆け出した。今、ジュード君の顔を見たら泣いちゃうに決まってる。ここで泣いたら、ジュード君を悲しませてしまう。
 今は修行のことだけ考えて、身体を動かそう。そうすれば、落ち着いてジュード君と話せるはずだ。ジュード君が私にここに残って欲しいと願うなら……きっとそうした方がいいんだろう。





 みんなの力になりたいけど、やっぱり私は弱いから。



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