2-17:Demarcation.―排他と共存―
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薄暗い遺跡の中で、絶え間なく聞えてくるのは水のせせらぎ。
そして静かに響くのは自分たちの足音。
この遺跡は思った以上に広いようだが、もう少し入念に準備をしてきた方が良かっただろうか。
あまり広いようなら、一度態勢を立て直すということも考えなければ。
「……なんか……暗いところで水の音がするのって、怖いね」
沈黙に耐えきれなくなったのだろうか。
溜息をつくエミルにマルタが首を傾げた。
「そうかな。私はロマンチックだなって思うけど」
「そ、そう?」
恍惚とした表情にエミルが口元を引きつらせる。
原因解明には積極的なようだが、やはりこんな危険な場所からは一刻も早く脱出したいのだろう。
薄暗い遺跡内部で点々と灯る水色の灯りは頼りないが、見方を変えれば幻想的にも見える。
アンジェラはびくびくと不安げに辺りを見渡すエミルに静かに歩み寄ると、そっと囁いた。
「トマスさん、無事だといいわね」
不安げなエミルに声をかければ、微かに眉を寄せた。
トマスのあの反応を思い出しているのだろう。
エミルは大きくため息をついた。
「でも、トマスさんは僕のこと覚えてないみたいだし……」
「よっぽど影が薄かったのね」
笑って言えば、先ほどより大きなため息が返ってきた。
きっと彼は故郷でありながら懐かしい者とも会えなかったに違いない。
アンジェラはある仮定を胸にさりげなく口を開いた。
「でも、トマスさんってすごいわね。たった一人でこんな所まで来るなんて。昔からあんな人だったの?」
世間話を装った大事な質問に、エミルの視線が泳ぐ。
この反応だと、やはりそうなのだろう。
何も答えないエミルにどうしたの、と声をかければ彼はうつむいた。
返答に困っているのだろう。
無理もない。
アンジェラはそっと息を零して、ある核心を胸に口を開いた。
「エミル。あなた、パルマコスタに住んでいたときの記憶は殆どないでしょう?」
「えっ!?」
この表情は図星だろう。
目を丸くするエミルにアンジェラは言葉を続けた。
「パルマコスタでのあなたを見てそう思ったのよ。住民なら知っているはずのこともあなたは知らなかったでしょう?」
総督府とか、と付け足せばエミルは口を閉ざした。
だが彼の性格を考えれば、素直に話してくれるのではないだろうか。
じっと待ち続ければ、エミルはゆっくり口を開いた。
「父さんや母さんのことは覚えてるし、思い出だってあるのに……どうしてなんだろう」
エミルの話では家族との記憶はあるものの、断片的なものも多いらしい。
ぽつりぽつりと心細げなエミルの話を聞き終えたアンジェラはそっと息を零した。
「人は精神的に傷を負うと、心を守るために記憶を消してしまうことがあるの。あなたの場合、血の粛清がきっかけで記憶を失ったのでしょうね」
「そう……なのかな?」
不安げに顔を上げたエミルにアンジェラは頷く。
そして彼を少しでも安心させようと微笑んだ。
「ええ。医学も少し学んだから、似たような症例も見たことがあるわ」
「そうなんだ……」
徐々にエミルの表情から不安が消えていく。
アンジェラの言葉を信じてくれるのだろうか。
疑いなど欠片もない緑の目をしっかりと見つめながら、アンジェラはしっかりと頷いた。
「気にすることないわ。無理に思い出そうとすれば、今より悪化するかもしれないもの」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「自然に思い出すのを待ちましょう。そうすればきっと記憶は戻るはずよ」
迷うことなく答えれば、エミルの不安も完全に拭えたのだろう。
微笑みを零して、エミルはしっかりと頷いた。
「そっか……ありがとうアンジェラ」
「また何かあったらいつでも相談に乗るわ。マルタ達に心配をかけたくないのなら、二人だけの時に話して貰ってもいいし」
ちらりとマルタ達の方に目を向ければ、エミルも二人が気になるのだろう。
つられるようにマルタ達に目を向けた。
先日白昼夢を見た時に心配をかけたからだろうか。
エミルは少しだけ表情を曇らせたが、すぐに頷いた。
「そうだね。そうするよ」
やはりマルタ達を心配させたくない……というより、マルタの前ではあまり無様な姿を見られたくないのだろうか。
どちらにしろ、これで彼に変化が起こった場合すぐに知ることができる。
これでラタトスクの騎士について少しは情報を得ることが出来るだろうか。
「二人共、どうしたの?」
距離が開いてきたことに気付いたのだろう、マルタがこちらを振り返る。
エミルはなんと返すのだろうと横目で見れば、言葉を探しているのか視線を泳がせていた。
「え?あ、いや……」
この調子だと何も言えないだろう。
少しからかってみようとアンジェラはマルタに向かって微笑んだ。
「エミルから恋の相談を受けていたの」
「ちょっ、何言ってるのアンジェラ!」
こんな薄暗い場所でも分かるくらい、エミルの顔は真っ赤に染まっている。
だが完全に否定しないということはまんざらでもないのかもしれない。
マルタはどんな顔をしているだろうかと視線を向ければ、彼女も頬を赤くし、熱い視線をエミルに送っていた。
「……ねえ、エミル。私って、エミルから見たら、どうかな?」
「な、な、何が……」
歩み寄り、上目づかいでマルタに見つめられたエミルが後退る。
あとは二人に任せた方がいいだろう。
アンジェラは静かに二人から距離を置いた。
「こんなことをしている場合ではないでしょう」
二人の様子を見ていると、寄りそってきたのはテネブラエだ。
テネブラエとしては一刻も早く次のコアを回収し、孵化させたいのだろう。
けれど、とアンジェラは息を零した。
「たまには息抜きをさせないと、潰れちゃうわよ」
ラタトスク・コアによって力を得たマルタは、人の身でありながら術を行使できるがもとはただの人間だ。
エミルもラタトスクの力で戦う騎士だが、彼もつい最近までただの人間だったことには違いない。
テネブラエの言うことが、全て事実ならば。
「力を得たとしても、二人はただの人間だもの」
アンジェラが微笑めば、そうですねとテネブラエも頷いた。
疑問や聞きたいことは山ほどあるが、今それを問いただしてもテネブラエは何も教えてくれないだろう。
テネブラエの虚構を崩すには、確実な証拠が必要だ。
「私、よく勝ち気すぎるって言われるんだ。思い込み激しくて、重い……とか……。やっぱ、重い?」
アンジェラが様々な思考を巡らせる中で、マルタとエミルは互いにまっすぐ向かい合っている。
いつもは積極的なマルタだが、やはり好きな人に嫌われるのは怖いのだろう。
恥ずかしそうに俯いている。
「え?マルタは痩せてるから、別に重くはないと思うけど……」
「そ、そういう意味じゃなかったんだけど……」
が、エミルの的外れな答えにマルタが脱力する。
エミルは奥手だと分かっていたが、ここまで鈍いとは思わなかった。
大きくため息を零しても、エミルは何も気付かない。
エミルは相変わらず首を傾げていたが、マルタはすぐに持ち前の前向きさで握り拳を作って顔を上げた。
「まあいいや。エミルの好みのタイプに近付けるように頑張るからなんでも言ってね!」
言ってマルタは踵を返して一人で歩いていく。
マルタの猛アピールは全く効果がないが、彼女はまだまだ諦めない。
それどころか、エミルを振り向かせるためにどんどん強くなっていく。
「もてる男はつらいですね」
「それ、本気で言ってる?どう考えてもマルタのアレって、なんか勝手に僕の理想像作ってるでしょ」
笑うテネブラエに、エミルは眉間に皺を寄せる。
やはりマルタの押し付けに多少は実感があるらしい。
いや、なければおかしいだろう。
エミルの感覚が正常で良かったとアンジェラは内心安堵の息を零した。
「おや、意外とさといですね」
「でも事実を指摘しないということは、マルタに嫌われるのが怖くて言えないのでしょう?」
思ったことを正直に言えば、エミルの肩が震えた。
どうやら図星らしい。
彼は人に拒絶されて過ごしてきた。
理想像を押し付けられて辛いことはあるが、エミル本来の臆病な性格で嫌われてしまうのも怖いのだろう。
「……僕、マルタのことどうしたらいいのかな」
大きなため息をついてエミルは俯いた。
嫌われたくはないが、マルタの愛は重い。
二つの感情の間でエミルはエミルなりに悩んでいるのだろう。
「おやおや。随分贅沢な悩みですね」
「からかわないでよ!僕、今までモテたことないんだよね。女の子とどう付き合っていいとか……分からないよ」
テネブラエが小さく笑えばエミルが顔を上げた。
確かに贅沢な悩みだが、このまま放っておいて話がこじれるのも困る。
彼はラタトスクの騎士。
これから先も、マルタについてきて貰わなければ困る。
「エミルの場合、奥手過ぎるのよ。たまには頼りがいのある所を見せた方がいいわ」
「頼りがい、か……」
ため息交じりの呟きに、アンジェラは頷く。
考え込むエミルにアンジェラはさりげなく探りをいれた。
あくまで、さりげなく。
「戦闘中にはとても頼りがいがあるけれど、その力を普段も発揮出来ないの?」
「そう言われても戦ってる時は、無我夢中でよく覚えてないんだよね……」
言ってエミルは頭を押さえて溜息をついた。
戦闘中に人が変わったかのように豹変すると思ったが、覚えてないというのはおかしすぎる。
思わず息をのむが、そう大きな反応はせずに少しだけ眉間に皺を寄せるにとどめた。
「覚えていないの?」
「女性と付き合う上で、一番の難関は『最初に手を繋ぐ』タイミングです。あなたはもうクリアしているではありませんか」
更に問おうとした所でテネブラエが笑みを浮かべて語り始めたが、どうも不自然だ。
このタイミングで割り込んでくるということは、聞かれたくない話題なのだろう。
そっと思考を巡らせるアンジェラの前でエミルが首を横に振り、目を泳がせた。
「え?いや、そういうつきあいってことじゃなくて……」
「なんと!大胆ですね。もっと踏み込んだお付き合いをしたいと!」
「そ、そんなことないでしょ!もういいよ!一人で考えるから!」
顔を赤くして、テネブラエから逃げるように歩くエミルにアンジェラはそっと息を零す。
内気な彼には一歩前に出ることさえ難しいのだろう。
マルタさえ追いこして歩いていくエミルにアンジェラは小さく笑った。
「からかいすぎじゃないかしら。エミルには刺激が強いみたいよ」
「エミルはラタトスクの騎士ですからね。もう少し精神的に強くなって貰わなければこまります」
鼻を鳴らして答えるテネブラエに、アンジェラは思考を巡らせる。
アスカードでも、テネブラエはマルタの前では男らしく振る舞えと言っていた。
それは騎士としての成長を願っているのか、それともエミル自身の成長を願っているのか。
これも判断要素の一つに加えようと、アンジェラは適当に返事をして歩き出した。
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