09:Night.[1/2]


 黒い闇の中に吸い込まれれば、意識も共に吸い込まれていった。身体が鉛のように重く、どことなく息苦しい。遠くで何かが聞こえるが、何の音だろう。

「 」

高い音、いや。高い声、ソプラノ。

「  」

 子守唄のような優しい声色が、どんどん近づいてきているような気がする。肩に何か触れ、瞼を押し上げようとするが中々動かない。頭が痛くて、動くのが辛い。どこか打ったのだろうか。だがここに誰かがいる以上、いつまでも目を閉じているわけにはいかない。ぐっと重い瞼を押し上げると、暗闇の中に何かが浮かび上がってきた。

「大丈夫?」

それと共に、女性の声も。けれど存在を認識できても思考がまだ動かない。何が、大丈夫なのか。だが言葉とその表情から、リンネのことを心配していることは分かる。

「う、ん……」

なんとかそれだけ絞り出せば、顔を覗き込んでいた女性がほっと息をついた気がした。
 段々と焦点が定まってきた目で辺りを見れば、自分はどこかに倒れ込んでいることが分った。起き上がろうとしたが身体が上手く動かず、息苦しさと頭痛がひどい。身構えるほどの力もなく、ただ無防備に寝転がっていると女性が手を翳した。反射的に身を固くするが、女性の手から溢れたのは淡い光。回復術らしいが、エルフの血を引く者なのだろうか。耳は腰辺りまで続くセピア色のまっすぐな長髪に隠れて見えない。ひとまず、悪い人ではなさそうだとほっと息をついた所でまた意識が飛びそうになり、リンネは慌てて意識を繋ぎとめた。

「ごめんなさい、私と彼の超振動に巻き込んでしまったみたいね」

「ちょうしんどう?なんだそりゃ」

 女性の声に声を上げたのは少年の声だった。ゆっくりと視線を動かせば暗闇でもはっきりと赤が見えて、思わず身体が震える。けれど、違う。彼はゼロスではない。残念なような、安心したような、複雑な思いで息を吐き出せば女性による治療が終わった。

「同位体による共鳴現象よ。あなたも第七音譜術士だったのね。うかつだったわ。だから王家によって匿われていたのね」

「だーっ、うるせっつーの。ちょっと黙れ!おまえが何言ってんのか、こっちはさっぱりだ!」

うん、とリンネも心の中で頷く。頭がぼんやりしているせいか、彼女が何を言っているのかさっぱり分らない。彼と同じく説明を待つが、彼女は何も答えず黙り込んだまま。よく見れば、彼女の顔はまだ少女の面影を残している。もしかして、歳下だろうか。
 リンネはじっと待っていたが、少年は静寂に耐えきれなかったのだろう。苛立ちを隠すことなく声を上げた。

「なんとか言え!」

この少年と少女はどんな関係なのだろう。兄弟や友人には見えない。じっと観察していると、少女が大きく息を吐き出して首を横に振った。

「黙れって言ったかと思えば なんとか言え、とはね。話は追々にしましょう。あなた、何も知らないみたいだから、ここで話をするのは時間の無駄だと思うわ」

「じゃあこの後どうすんだよ」

「あなたをバチカルの屋敷まで送って行くわ」

「どうやって!ここがどこかも分からないくせに!」

腕を広げ、少年が周囲を示す。二人も迷子か何かなのだろうか。
 リンネも何か手がかりになりそうなものがないか視線を走らせるが、見えるのはどこかの草原……いや、丘だろうか。辺りには岩肌が見えているが、リンネが寝転がっているのは青々とした草の上。こうして草むらに寝転がるなんて久々だ。ゆっくりと視線を動かして、見えたのは大きな月。満月なのは間違いないが、驚いたのはその数だ。水平線の近くで輝く大きな月は一つしかなく、リンネは息をのんだ。月が一つしかないなんて、そんなわけがない。統合された世界には、月は一つしかないのだから。一体、何がどうなっているのだろう。

「向こうに海が見えるでしょう」

 少女が立ち上がって指さした方角を見れば、草の間から月明かりに照らされる海が見えた。耳をすませば、波打つ音も微かに聞こえる。距離があるため潮の香はしないが、海に間違いないだろう。ゆっくりと身体を動かせば、まだ眩暈がするものの上半身を起こすことが出来た。身体はどうしようもなく怠いが、動けない程ではない。そっと息を吐き出していると、少年が海を見つめていた。

「あれが海……なのか」

 翡翠色の瞳は、月の灯りを受けて輝いている。綺麗な色だ。海を見るのが初めてなのか、少年の眼は海を捉えて離さない。少女の方は見慣れているのか、そうよと頷いただけだったが。

「とりあえずこの渓谷を抜けて、海岸線を目指しましょう。街道に出られれば辻馬車もあるだろうし、帰る方法も見つかるはずだわ」

「……へえ、そういうモンなのか」

 少年も立ち上がり、リンネも立ち上がろうと腕に力をこめるが、うまく力が入らない。何だろう、この怠惰感は。全身が重い上に、油断すれば意識を手放してしまいそうなくらい眠い。それでもなんとか歯を食いしばって耐えていると、少女が顔を覗き込んできた。

「大丈夫?」

そんなに、怖い顔でもしてしまったのだろうか。

「ごめんね、大丈夫だよ」

 少女に謝り、リンネはゆっくり、ゆっくりと立ちあがった。だがやはり身体が重い。しっかりしなければと息を整えた所で身体が震えた。暑さにも寒にも慣れているはずなのに、風があたるだけで少し寒い。もう少し厚着をしてくるべきだっただろうか。

「つーかお前、こんな所で何してたんだ?ここがどこなのか知らねえのか?」

少年の指摘に思考を巡らせるがあまり言葉が浮かばない。濁す言葉も浮かばなくて、痛む頭を押さえて苦笑した。

「えっと、あたしもよく分らなくて……気が付いたら倒れてたから。ここ、どこ?」

 それが余計に二人を心配させてしまったのだろうか。少年は口元を引きつらせ、少女はそっと眉を寄せた。

「お前……大丈夫かよ」

「頭を打ったのよね?あまり無理しない方がいいわ」

「大丈夫だよ、ほら、結構元気だよ」

「どこがだよ。青白い顔してるくせに」

笑顔を作ってみるが、二人の表情は険しくなるばかり。おかしいな、と考えた所で足元がふらついていることに気付いた。確かに、これでは説得力がないだろう。

「……ひとまず、行きましょうか。まずは貴方達を安全な所へ」

 踵を返した少女が脚を止めて、どこからか短い杖を構える。何が、と考えていると茂みから出てきたのはサイノッサス。何故こんな近くに来るまで気付かなかったのだろう。咄嗟に右手を腰に当てたが、丸腰なことに気付いて内心舌打ちする。左手をそっと添えて身構えていると、少年が一歩下がった。

「魔物……!?」

少年の前に出た少女が、杖を構える。彼女の杖の先には刃物のようなものがついていた。接近戦も想定した造りのようだが、それでも決定打には欠けるだろう。前衛がいるに越したことはない。

「来るわ、構えて!」

「はぁ!?冗談だろ!」

 なんとかしなければ、と思うのに身体が上手くうごかない。構えを取ろうとしたところでバランスを崩して、倒れそうになる始末だ。腕一本、いや。指一本動かすだけでも、何かが身体にまとわりつくように重い。まるで体中に重りをつけられ、海の底に沈められたような感覚だ。息は出来る。身体は動く。だが、いつも通り動かせない。動くのが、辛い。

「っなに、これ……?」

「魔物って……!」

リンネとルークが身動き取れない間に、少女は動いた。素早くスリットから取り出したナイフを投げる動きに隙は無い。一目で慣れているのだと分かる。彼女のナイフは魔物の眉間に突き刺さり、サイノッサスが苦し気に頭を振った。だが浅かったのだろう、サイノッサスはナイフを振り落とすと再び突進してきた。
 戦わなければ。そう思って一歩前に踏み出すと、突然の眩暈に足をとられる。ぐっと足腰に力をこめたはずが上手く立て直せず、そのまま崩れるように倒れてしまった。動かなければ、このままでは足手まといになってしまう。ぐっと腕に力を込めていると、振り返った少年と目が合った。先ほど海を見た時とは違う目。喜びではなく、戸惑い、不安、焦り、恐怖に染まった翡翠。リンネを見た少年はぐっと眉間に皺を寄せ、背を向けた。

「どうなっても知らねえからな!」

 少年が背中に手を伸ばし、腰の剣を抜いたのは左手。声を上げながら振り下ろした剣は綺麗な太刀筋だったが、サイノッサスの首筋から溢れた鮮血に少年は短い悲鳴を上げた。

「うわぁっ!」

どうやら彼は戦い慣れていないらしい。やはり、このまま座り込んでいるわけにはいかない。なんとかしなければと腕に力を込めて立ち上がろうとするリンネの前で、少年は戸惑いながらもしっかり剣を握りしめている。
 しっかりと前を見据え、剣を握る背中で靡くのは赤い髪。ふいにその姿がゼロスと重なってしまい、リンネは唇を噛み締めた。こんなときに、そんなことを考えているわけにはいかない。彼の姿を振り払うように首を横に振れば、少年が大きく剣を振り下ろし、素早く振り上げた。どこかの流派なのだろうか。不慣れなようで、意外と隙は少ない。
 リンネが座り込んでる間に戦闘は終わり、少女が杖を仕舞い少年も剣を鞘に収めた。

「……ふぅ、大したことねぇな」

「安心するのはまだ早いわ。まだ近くに魔物がいるはずよ。接触すると戦わざるを得なくなるわ。気を付けて」

安堵の息を零す少年に、少女が叱咤するように告げる。冷静な判断が気に食わなかったのか、少年の舌打ちが夜風に乗って聞こえた。

「えらそーに。わぁーったよ!」

 そこでふと、目が合う。じんわりと彼の額に浮かんでいるのは疲労による汗か、冷や汗か。どちらにしても助けてもらったことには変わりない。礼を言わなければとリンネは微笑んだ。

「助けてくれて、ありがとう」

「べ、別に助けたわけじゃねぇよ」

照れ隠しなのか、手を頭の後ろで組んだ少年が背中を向ける。それがなんだが可愛らしくて、小さく笑ってしまう。まだあどけなさの残る顔つきをみると、20歳にも満たない頃だろう。体つきをみると、それなりに鍛えているらしい。それも無駄のない、いい剣士の体つきだ。
 いつまでも座り込んでいるわけにはいかないと、力を込めた指先が冷たい何かに触れる。地面を見れば銀色のものが落ちており、拾い上げたリンネは眉をひそめた。
 
「これ……」

お金かと思ったが、刻まれている文字も模様も見覚えのないものだ。古い時代のものだろうかとも思ったが、それにしては擦り減った跡もない。数字が書いてあるのは分かるが、と考えているとティアがリンネの手元を覗き込んだ。

「さっきの魔物がお金を落としたのね。拾っておいてくれるかしら?」

「え?」

「あなたが拾ったのなら、そのお金はあなたのものよ」

お金、とティアは言った。それも二度だ。こんな硬貨をリンネは知らない。だが、彼女が嘘をついているとは思えない。首をかしげていると、目の前に手が差し伸べられた。

「立てる?ここは危険だわ」

「あ……、うん、大丈夫。心配かけてごめんね」

 コインを拾ってポケットに入れると、リンネは少女の手を取って立ち上がった。周囲を警戒する少女も落ち着いているように見えて、余裕がなさそうに見える。どこか張り詰めた空気を感じながら、リンネはおそるおそる口を開いた。

「えっと、海を目指せばいいんだよね?行こうか」

 足腰に力を入れて、二人に声をかける。それから次の言葉を探し、まずは自己紹介だろうとリンネは手をさしだした。

「あたしは、リンネ・アーヴィング。二人の名前も聞いていい?」

「ティア・グランツよ」

「ルークだ。ルーク・フォン・ファブレ」

手をとってくれた少女、ティアの隣でルークが名乗る。が、内心首を傾げる。ここ数年、名乗れば驚かれることが多かったが、二人は驚く素振りもみせない。こちらの方がありがたいが、少し気になる。

「では、行きましょう」

「だから指図すんなっつーの」

踵を返すティアの背に、ルークが言葉を投げる。喧嘩でもしているのか、あまり仲が良さそうに見えない。

「そういえば、二人はこんな所で何してたの?」

 旅人、にしては荷物が少なすぎる。かといって散歩にしては夜遅く、そんな雰囲気にも見えない。不思議な二人組だと抱いていた疑問を口にすれば、ティアが少し顔を逸らした。

「……ちょっと、ね」

人には言えない事情なのだろうか、ティアの右側を歩くリンネには、彼女の伸びた前髪で表情がよく見えない。深入りするなと言われているようだ。こんな夜遅くに森を歩く男女、荷物も持たず、どこか張り詰めた空気。思考を巡らせながら、リンネは二人を見比べた。

「もしかして、駆け落ち?」

「んなわけねーだろ!」

 辿り着いた答えを言えば、ルークが勢いよく振り返った。照れているのか、頬が赤い。そうなの?と首を傾げれば、ルークはティアを指さして声を上げた。

「こいつが屋敷に乗り込んで来て、ヴァン師匠に襲い掛かってきて、こんな訳分んねー所に飛ばされたんだよ!」

 ルークの口から出てきた言葉はどれも不穏な言葉ばかり。屋敷に乗り込むのは不法侵入、人を襲うのは傷害事件。飛ばされたというのはよく分らないが、どうやら訳アリの二人組らしい。二人共悪い人には見えないが、と考え込んでいると、ティアの鋭い視線が突き刺さった。

「あなたこそ、武器も持たずにこんな森の中で何をしていたの?」

「あたしは……」

 ちょっと次元境界の歪みに吸い込まれた、なんて言えない。言っても分かるはずがない。何せ、リンネも何がどうなっているのかよく分かっていないのだ。アルタミラで次元境界が歪み、近付いて調べようと思ったら吸い込まれ、気が付いたらここにいた。
 思考を巡らせながら、かゆくない頭をかく。アンジェラ達の話では世界が交われば悪影響が出ると言っていたが、今の所悪影響はない。吸い込まれれば帰る術はないと聞いたが、こうして普通に立って歩いて、会話する分には問題はない。だから危機感が湧かないのだろうか。それとも、と考えた所でゼロスの言葉を思い出し、唇を噛み締める。今は、考えるのをやめよう。考えても、どうにかなることではない。
 だがこの状況をどう説明すればいいのだろう。腕を組み、首をひねり、考えて、考えて、考えて。だが考えていると睡魔が襲ってきて、頭を必死に振って耐える。回らない頭で考えて、考えられる限り考えて、考え尽して。この状況に当てはまる言葉を見つければ、苦笑するしかなかった。

「ちょっと迷子になっちゃって、ここってどこかな?」

 周囲を見渡しても、場所を特定できるものはない。言葉が通じるならシルヴァラントかテセアラだと思ったのだが、一つしかない月や、見たこともないコイン、リンネを知らない人。気になることが多すぎる。

「……そう、なの?」

遠慮がちな声に視線を戻せば、なんとも言えない二つの視線が向けられた。よく見れば、二人共よく似た翠の目をしている。同情されているのか、可哀想な人だと思われているのか。どちらも嫌だが、今の自分を示す言葉が迷子以外に見当たらないのだから仕方ない。

「でも、近くの街までいけばなんとかなると思うから……一緒に、行ってもいい?」

流石に、歩くのがやっとの状況で単独行動は控えたい。この状態のリンネを連れて夜の森を歩くのは危険だ。足手まといになると分かっている。それでも、リンネはここで倒れるわけにはいかない。

「分ったわ」

「ったく、しょーがねぇなー」

躊躇いながらもお願いすればティアはため息まじりに頷き、ルークは鼻を鳴らしながらも拒否しなかった。やはり二人共悪い人ではないのだろう。無事街に着いたら何かお礼をしなければ。よろしくね、と改めて声をかけて、リンネ達は川沿いに歩き始めた。






「………ルーク。あなた、怪我してるの?」

「え?」

 歩き始めて、ふいにティアが口を開く。彼女が指さすルークの腕には、先ほどの魔物によってついたのであろう、傷があった。リンネも気付かなかったが、ルークも気付かなかったのだろう。身体を捻るようにして右腕にある傷を確認すると、顔をしかめた。
 そんなルークにティアが歩み寄り、短い詠唱の後に傷が淡い光に包まれていく。よく見る光景のはずなのに、いつも感じるはずのものがなくてリンネは眉をひそめた。治癒術を使えば、マナの流れが出来る筈。それなのに、この辺りはマナが薄いのかマナの流れが感じられない。何か違和感があるが、その違和感が何なのか分らない。
そっと目を閉じて、神経を研ぎ澄ませる。あるはずのマナを探して、辺りの気配を探る。何かがある。でも何かが分らない。この辺りなら魔物がいるはずなのに、魔物の気配さえうまく感じられない。まるで感覚を遮断する薄い膜に覆われているようだ。静かに気配を探っていると、治療を終えたティアがそっと息を吐き出した。

「……さっきのような無茶な戦い方はやめて。私の治癒術にも限界はあるし、一歩間違うと、本当に死ぬわよ」

「だぁっ!悪かったな!正面から突っ込んでばっかりで!」

「分かってるならいいの。これからはもう少し気をつけていきましょう」

 腕を擦り、声を荒上げるルークにティアが踵を返して歩き始める。その冷ややかにも見える態度に、ルークがへいへい、と気のない返事を返した。ティアの想いはうまく伝わっていないのだろう。もったいないな、と内心溜息をついていると、ルークが数歩前を行くティアの背に声を投げた。

「……なんだよ、くそっ。俺が悪いのかよ!大体、俺がこんな所に飛ばされたのはお前のせいだろ!」

びしっと指をさせば、ティアの足が止まった。夜風に揺れてセピア色の髪が揺れる。表情は見えないが、握りしめた手には力が籠っていた。

「そうね。私のせいだわ。私が必ず屋敷まで送るから……」

「ったりまえだっつーの!」

「私の責任ね。……本当に、ごめんなさい」

何か責任を感じているのか、ティアが零した声は小さい。事情はよく分らないが、ルークが森の中を彷徨っていたのはティアが原因らしい。飛ばされた、というのが気になるが、二人が嘘をついているようにも見えない。
 ちらりとルークの顔色を伺えば、しおらしいティアに動揺しているらしい。言葉を探す様に視線を走らせ、赤い髪をかいた。

「ま、まぁ屋敷の外へ出られることなんざ、滅多にねーし。散歩がてらっつーのもいいかもしれないけどな」

「夜道を散歩っていうのも、楽しいよね」

リンネが大きく頷けば、ルークもまあな、と頷いた。リンネ自身も、夜は出歩くのを控えるように周囲に言われている為、こうして夜風を感じながら歩くのも久しぶりだ。だがこちらを振り返ったティアは、不思議そうに首をかしげていた。

「あなた達……帰りたいの?帰りたくないの?」

「帰りたいに決まってんだろ。こんなとこで何しろってんだよ!」

 ルークの気持ちはうまく伝わっていないのだろうか。このままでは喧嘩になってしまいそうで、リンネはつまり、と一歩前に出た。

「あたしもルークも、ティアにそんな顔して欲しくないんだよ。事情はよく分らないけど、こうして三人で会ったのも何かの縁だと思うし、少しでも楽しんだ方が得じゃない?」

ね、と同意を求めてもルークは照れているのかそんなんじゃねえ、と声を上げティアも眉をひそめた。

「そうかしら。楽観視は良くないと思うけど」

「でも悲観的すぎるのもよくないでしょ」

にっこり言えばティアはゆっくりと口を開き、けれど何も言わずに溜息だけ零した。

「分ったから、それより急ぎましょう」

「あーあ、わーったよ」

 どうやら上手く伝えることが出来なかったらしい。難しいな、と苦笑すると、顔をしかめたルークは頭の後ろで手を組み、前を歩くティアを睨みつけた。どうやら機嫌があまりよくないらしい。噛みあいそうでかみ合わないもどかしさに、リンネはそっと息を零した。

「ティアは責任感が強いんだね。それでルークが心配で、怪我しない様にアドバイスしてくれてるんじゃない?」

「アドバイス?」

「治療術だからってどんな傷でも癒せるわけじゃないし、何かあってからじゃ遅いからね」

どんなに優れた治癒術士でも、死人を生き返らせることは出来ない。生抜く為には治癒術士に頼る戦い方ではなく、怪我をしない戦い方、怪我をさせない戦い方が必要になる。夜は魔物も活性化しやすい。ここがどこか分らない以上、警戒するに越したことはないだろう。

「あたしも出来る限りフォローするけど、ルークも無茶しないでね。状況が状況だし、逃げたっていいんだから」

「お前にフォローされるほど落ちぶれてねえよ。お前は自分の心配してろっつーの」

笑ったものの、ルークは鼻で笑って前を見た。これは心配されているのだろうか。この短い時間でも分ったのは、ルークは少し荒っぽい所もあるが根は優しい、ということ。ありがとう、と礼を述べれば意味が分からなかったのか。ルークは怪訝そうに眉をひそめて首を傾げた――――




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