07:Project.[1/2]
次元境界を元に戻す方法は、サイバックにいるアステル達を始めとした研究チームに任せるしかない。リンネに出来ることは、当面の安全確保と被害の拡大を防ぐこと。シルヴァラント側の綻びはアステル達に任せてある。あちらは比較的街から離れた場所にあるが、テセアラ側の綻びはアルタミラの近くにある。万が一のことを考えれば、責任者であるリーガルに報告しておくべきだろう。
とはいえ、アルタミラの会長であるリーガルは多忙を極める。それでもなんとか時間を作ってもらって、リンネはアルタミラに向かった。一年前のヴァンガードの叛乱の際には破壊された街並みも今ではすっかり元通り、いや。元通り以上、以前より賑やかな気がする。以前はテセアラの上流階級が多く訪れていたが、今では多くの平民が訪れる場所となり、日に日に賑やかさが増していく。
目立たないように賑やかな大通りを避け、関係者用通路からレザレノ本社に向かう。そして受付に向かえば、見慣れた桃色が見えた。
「こんにちは、リンネさん」
フロントでスタッフと話していたのは、スーツ姿のプレセアだった。今ではリーガルの秘書をしている彼女のスーツは黒で、おろした長い髪が似合い大人びて見える。実年齢を考えれば当然のことかもしれないが、とリンネは早足で歩み寄った。
「忙しいのに、時間作ってもらってごめんねプレセア」
大丈夫ですよ、と微笑むプレセアに案内され、会長室直通のエレベーターに乗る。急用ということで気を利かしてくれたのか、中に乗ったのは二人きり。そっと息を零せば、プレセアがゆっくりと口を開いた。
「何か、あったんですね」
「ちょっと、めんどうなことになりそうでさ……」
いつもなら、然るべき手続きを行ってからアポをとっているが、今回は用件が用件だ。直接プレセアに連絡をとって繋いでもらったために、彼女も察してくれたのだろう。ここで話してもいいが、リーガルにもすぐに話すことになる。一緒に聞いてもらった方がいいだろう。
上がってくエレベーターの中、近くなった視線にリンネは小さく笑った。
「また身長伸びたね」
「成長期ですから。リンネさんも、綺麗になりましたね」
「そんなことないよ。プレセアも綺麗になったね。お姉さんらしくなったというか」
社交辞令でも、綺麗だと言われるとくすぐったい。首を横に振れば、プレセアはありがとうございます、と微笑んだ。
「最近、皆さんにお会いしましたか?」
「ここ最近誰かに会うことは多いかな。みんな忙しそうだけど、元気そうだよ」
偶然とはいえ、ここ数週間、仲間達と顔を合わせる機会が多くて嬉しい。みなやるべきことはあっても、それを寂しいとはもう思わない。それぞれがそれぞれの道を行き、時折その道が交わることもある。それはとても幸せなことだと思う。
「プレセアは最近誰かと会ってるの?」
「先日、ジーニアスが来てくれました」
嬉しそうに頷いて、プレセアは手帳を開いた。ぱらぱらとページをめくり、手にとったのは真っ白な花のしおり。手作りであろうそれはシンプルで、でもそれを持つプレセアの視線はとてもあたたかくて、彼女が大切にしていることがよく分る。
「よく来てくれるんです。旅先で花をつんで、押し花にしたものをくれるんですよ」
「可愛いね」
「最近のお気に入りです」
プレセアが満面の笑みを浮かべた所で、エレベーターが最上階に着いたことを告げた。親しい仲間とはいえ、遊びに来たわけではない。つもる話はあるが、まずは仕事の話をしなければ。
背筋を伸ばせばプレセアが会長室の扉をノックし、短い返事の後に入れば、リーガルが迎えてくれた。
「久しいな」
「忙しいのにごめんね、ちょっと話したい事があって」
リーガルも急用ということで察してくれたのだろう。来客用の椅子に腰かければ、リーガルも向かいに座り、リンネは説明をはじめた。次元境界については、リーガルも以前の旅で聞いたことがあるはずだ。覚えていてくれたのか、その単語を出せばリーガルの眉が上がった。だが、彼も直接見たわけではない。
「次元境界の綻び、か……」
「今の所大きな異変はないんだけど、油断は出来ない状況なんだって。綻びについては、アステル達が調査もしてくれてて、これがその資料」
眉をよせ、考え込むリーガルにリンネは持ってきた資料を渡した。アンジェラ達がまとめてくれた資料には、次元境界のデータと今後綻ぶ可能性のある場所が示されている。今はまだ二か所だが、これだけで終わるとは限らない。
アンジェラが「あてがある」と言っていたのは、アステルの研究所のことだった。アステルは現在、以前より親しかったリリーナと共に研究を続けている。彼等の最新の報告では、今後次元境界が綻ぶであろう場所は、精霊の影響が少ない場所ということだった。決して薄いとはいえない資料にリーガルが目を通していると、プレセアがお茶を出してくれた。
「なるほどな。では暫く周辺を立ち入り禁止にしておこう」
そっと息を吐き出し、リーガルもプレセアの淹れてくれたお茶を口に運んだ。リーガルも忙しいだろうに、仕事を増やして申し訳ない。だが、この件はリーガルの協力は不可欠だ。
「ありがとう、なるべく早く解決するから」
リーガルの為にも、そしてこの世界のためにも、一刻も早く解決しなければ。ぎゅっと脚の上の拳を握りしめていると、リーガルが小さく笑みを零した。
「中々、忙しそうだな」
「リーガルの方が忙しいでしょ。あたしの方なら大丈夫だよ」
リンネも暇とはいえないが、リーガルも多忙な日々を送っている。首を横に振れば、リーガルが微笑んだ。
「悩んでいるようだな」
次元境界の綻びは、簡単に解決するようなことではない。明確な解決方法がない今、被害が出てしまうかもしれない。不安はある。けれど、不安に怯えているわけにもいかない。それに、リンネは一人ではない。今も調査を続けてくれる仲間も、被害が出ないよう食い止めてくれる仲間もいる。だからきっと、大丈夫。どんな困難も、リンネ達は力を合わせて乗り越えてきたのだから。
リンネはそっと拳を解いて、お茶に手を伸ばした。
「アンジェラやアステル達ならきっと何か方法を見つけてくれるって信じてるけど、やっぱり心配にはなっちゃうよね」
「それだけではないだろう」
だが微笑むリーガルの目は穏やかで、あたたかで。それ以外に何があるのだろうと首を傾げれば、リーガルもお茶を口に運んだ。
「マルタ達から聞いたぞ。ゼロスのプレゼントで悩んでいるそうだな」
それか、とびくりと肩が震えると傍で控えていたプレセアが小さく笑った。どうやら二人共このことを知っているらしい。となると、隠すのは難しい。それに、隠さなければならないことでもない。苦笑し、リンネは口を開いた。
「考えれば考えるほどわかんなくなっちゃって……リーガルは何がいいと思う?」
「物を贈るのもいいが、時間を贈るのもいいのではないか?」
「時間を贈る?」
これは今までにない答えだ。思わず身を乗り出せば、リーガルは立ち上がって机から何か資料を持ってきた。
「我が社でこの度、ハネムーンプランを新しくすることになってな。どうだ?」
「いや、だってハネムーンの予定もないし」
手渡されたパンフレットは、パステルカラーの可愛らしい色合いでまとめられている。色とりどりの花に、幸せそうな男女。ぱらぱらとめくり、そっと息を零した。こんなきれいなものは、自分には似合わない。結婚なんて、考えてこともない。そっとパンフレットを閉じて返そうとしたが、リーガルは受け取らずに口の端を上げた。
「実は、このプランのモニターを探していてな。助けてくれないか?」
「助けたいのは山々だけど、結婚しそうな人なんて……」
ハネムーンプランなら、結婚を考えている人たちにお願いするだろう。だが生憎、結婚しそうな人に心当たりがない。募集をかければ集まってきそうな気がするが、と顔を上げた所でリーガルとプレセアがにこにこと笑みを浮かべていた。
「だから、リンネ達に頼んでいる」
「こちらがモニターの方向けの資料です」
「え?いや、だから、」
プレセアに半ば資料を押し付けられ、資料と二人の顔を見比べる。そんなリンネの反応も楽しむように、リーガル達は笑みを浮かべ続けている。
「リンネさんの名前で予約をとっておきますね」
「あ、あたし結婚とかしないよ!?」
慌てて首を横に振るが、リーガルもプレセアもにこにこと笑っている。どうも嫌な予感がする。
「そう構えなくていい。ただ単に、我が社のホテルにゼロスと宿泊して感想を聞かせてくれればいいのだ」
「でも、大事なプランなんでしょ?ちゃんとしたモニターを探した方が良いいと思うよ」
「リンネ達ほど頼りになるモニターはいない」
「でも……ほら、あたしそういうのやったことないし……」
「だからこそ、です。改めて当社のプランを利用して頂いて、感想を頂きたいのです」
「ゼロスは様々な施設に宿泊しているからな。是非参考にしたい」
流石はリーガルと、敏腕秘書のプレセア。レザレノカンパニーは伊達じゃない。でもハネムーンプランなんて、どんな顔してゼロスに頼めばいいのだろう。そう考えて、もう一つ言い訳が浮かんだ。
「で、でも……時間を確認しなくちゃ」
ここ最近、ろくな休みも取れていないのだ。言葉を濁しつつ視線を逸らせば、分かっていると言わんばかりにリーガルが頷いた。
「事前に根回しをしておけば大丈夫ですよ。私の方からも話を通しておきます」
にっこりとスケジュール帳を抱えたプレセアに、思考を巡らせる。スケジュールの管理は補佐であるランスロットに任せてある。同じようにスケジュ―ル管理を担っているプレセアだからこそ、言えるのだろう。
考え込んでいると、プレセアがリーガルに耳打ちした。おそらく、もう時間がないのだろう。
「日にちが決まったら連絡してくれ。そちらの都合に合わせよう」
「いいの?リーガルも忙しいんじゃない?」
すまないな、と立ち上がるリーガルにリンネも立ち上がる。リーガルも自由にできる時間は少ない。こちらの都合にばかり合わせてもらうのはあまりにも申し訳ない。眉を寄せるリンネに、リーガルは残っていたお茶を飲み干してスーツを正した。
「ワイルダー夫妻が利用したプランともなれば、いい宣伝になるからな」
「夫妻って、そんなのじゃ……」
何故そんなことになるのだろう。確かに婚約者ではあるが、まだそんな話は早い。慌てて首を横に振るが、目を細めるリーガルに息がつまった。
「後悔しないよう、今に全力を尽くせ。失ってから後悔しても遅いぞ」
その目で思い出したのは、アリシアのこと。
『あたしの分も生きて、幸せになって欲しい』
その言葉で思い出したのは、レインの言葉。彼女の、さいごの願い。後悔しない様に、繋いだ手を離さないために、必要なことはなんだろう。ぎゅっと苦しくなる胸に、そっと息を吐き出した。
「ごめん、ありがとうリーガル」
明日が必ず来る保障なんて、本当はどこにもない。旅をしていた頃に比べて危険なことは少なくなったが、それでも時折暗殺者が送られてくることはある。未然に防げたとはいえ、毒を盛られたこともある。もしかしたら、もうゼロスに会えない日がくるかもしれないのだ。
退室するリーガル達に続いてリンネも部屋を出ると、二人と別れて外に向かう。温暖な気候のアルタミラの日差しは強くて、リンネは目を細めた。手の中には、プレセアに渡された封筒。
「幸せ、か……」
小さな声で呟いて、そっと息を吐き出す。あの時、ラタトスクに存在を喰われた時、脳裏に過ったのはゼロスのこと。家族ではなく、幼馴染ではなく、多くの仲間達ではなく。ただ一人、ゼロスだけ。それはエミルがマルタに抱いたものであり、それはラタトスクがマルタに抱いたものであり。それをある意味誰よりも近くで感じていたリンネだから、気付いてしまった。
息が苦しくて、胸元を押さえるようにして身を丸める。気付いてしまったら、どうしようも出来ない。だからこそ、ここまで悩んでしまうのだろう。ゼロスに喜んで貰いたいたくて、力になりたくて、傍に居たくて、必要とされたくて。
「繋いだ手は離さないでほしい……か」
そうあればどんなに幸せか。ずっと手を繋げたら、一緒にいられたら。それでも、ゼロスに前で口に出来ないのは、ゼロスと一緒にいると決めたときに言ったからだろう。必要じゃなくなるまで、そばにいさせてほしいと。それなのに、今更ずっと一緒にいたいなんてわがままが許されるだろうか。考えても考えても応えは出なくて、苦しい息を吐き出すしかできなかった――――
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