36:不審者からの情報


 逃げるように町を走って、ライはユーリを追う。まだユーリが宿を出てからそう時間は経っていない。今なら合流できるだろう。今のユーリが、町の中心部に行くとは思えない。誰もいない静かな場所か、海に向かうだろう。
 この辺りは船着き場ではないせいか、人通りは少ない。ラゴウの件も関係あるのだろうか。ノールよりも活気はあるが、それでも記憶の中にあるノール港より人が少ない気がする。と考えて、そっと息を零して前を見る。幼い頃の記憶なんて、もう朧げだ。あまりあてにならないだろう。
 周囲を観察していると、見慣れた後ろ姿を見つけた。走るスピードをゆるめて、軽く息を整える。そうしていつもの自分になって、ライはいつもの調子で声をかけた。

「そこのかっこいいおにーさん!ちょっとお茶しない?」

 振り向いたユーリはまだ気が立っているのだろう。直ぐに開くはずの口は動かず、真一文字に結ばれたまま。ユーリだって、分かってる。騎士をやめてもまだ何も出来てない自分に。フレンも今ごろ頭を抱えて「こんなはずじゃ」、とため息をついているだろう。そういう二人なのだ。そういうところは、変わらない。にこにこと笑みを浮かべていると、ユーリが小さく息をはいた。

「お前も来たのか?」

「だってあそこにいたら、面倒なことになるのは目に見えてるでしょ」

「面倒事が嫌なら、さっさと下町に戻った方がいいぞ」

「あら、フレンみたいなこと言うのね」

 口を尖らせて、軽く頬を膨らませる。いつもの冗談だ。こんなことでライが下町に戻らないなんて、分かっているのだろう。だが、フレンはそれが分かっていない。心配してくれるのは分かっているが、そろそろ心配事する必要がないのだと気付いてほしい。彼には他に気を配るべきことが山ほどあるのだから。

「さーて、これからどうしましょうか。あいつらの行き先、心当たりある?」

「あるわけねぇだろ」

 顔をしかめるユーリに、そうよねと相槌を打って笑う。あの船は個人の船。行き先が分からない以上、どこに行ったのか分からない。相手はギルドの人間だ。そもそも町に行ったかどうかも分からない。大きくため息をついて、ライは海を眺めた。

「ドロボウ探しが、こんなことになるとは思わなかったわよね」

人生何が起きるか分からない。だから外の世界は楽しいし、恐い。
 とはいえ、やはり下町の飲み水は心配だ。暫くは大丈夫だとハンクスは言っていたが、安全な水がない状態が長引くのは危険だ。下町の生活に余裕はない。あそこには必要なものだけしかない。手紙の一通でも出して近況を報告しておくべきだろうか。

「あのおっさん……!」

 考えていると、ユーリが駆け出した。何がと問いかけるより先に、視線を走らせて気づくとライもユーリを追った。

「ん……よ、よぉ、久しぶりだな」

「挨拶の前に言うことあるだろ」

「挨拶よりまず先にすること?うーん……」

腕を組み、首を傾げる仕草はどこか芝居がかっている。ライは頬を膨らませ、ユーリの前に躍り出た。

「こーんなかわいいこを忘れるなんてひどいわ!」

「あ、思い出した!あのときの酒場で飲んだ子かー!」

「ひどいわー!誰と勘違いしてるのかしら!失礼しちゃう!」

 俯いてめそめそと泣いたふりをしていると、ユーリの冷たさと苛立ちをこめた視線が背中に突き刺さるのを感じた。いつまでも遊ぶなと言いたいのだろう。分かってる、と心のなかで反論してからライは顔をあげた。

「それで?あんたがここにいるってことは、バルボスもこの大陸に来たってことかしら」

「なんのことかしら?」

知らないことを知らないと、考えることもなく即答した、ということは彼の中では既に答えは出ているのだろう。この男はどこまで知って、何をしようとしているのだろう。とはいえ、素直に教えてくれる気はなさそうだ。笑顔のレイヴンに笑顔で応えていると、ユーリが胡散臭い男を鼻で笑った。

「ま、騙した方よりも騙された方が忘れずにいるって言うもんな」

「俺って誤解されやすいんだよね」

 やれやれ、とレイヴンが肩を落とすが、それさえ芝居がかっているように見えてしまう。どこまでが本当で、何処までが偽りなのだろう。人を利用して騙した口がよく言う。そういう口だから、だろうか。

「無意識で人に迷惑かける病気は医者行って治してもらってこい」

「そっちもさ、その口の悪さ、なんとかした方がいいよ?」

このままでは埒が明かない。だからといって、あれは正直に教えてくれる顔ではない。ユーリは聞き出すことを諦めたのか、そっと肩の力を抜いたのが分かった。

「口の減らない……。あんまふらふらしてっとまた、騎士団にとっ捕まるぞ」

「騎士団も俺相手にしてるほどひまじゃないって。さっき物騒なギルドの一団が北西に移動するのも見かけたしね。騎士団はああいうのほっとけないでしょ」

「……それって、紅の絆傭兵団か?」

「さあ?どうかな」

 息をのんだユーリにレイヴンが不敵に微笑む。怪しさしかない。この男は、一体なにが目的なのだろう。

「そもそも、おっさんあの屋敷へ何しに行ったんだ?」

「ま、ちょっとしたお仕事。聖核って奴を探してたのよ」

「聖核?なんだそれ?」

聞いたことのない言葉に、ユーリが眉を寄せる。

「魔核のすごい版、だってさ。あそこにあるっぽいって聞いたんだけど見込み違いだったみたい」

「ふーん……聖核、ね」

「そんな仕事、誰に頼まれたの?」

「そいつは言えないねぇ。守秘義務ってやつ」

 ないしょ、と指を口許に寄せウインクひとつ。こういうことに慣れているのだろうか。すらすらと出てくる言葉に淀みはない。慣れているのだろう。これ以上関わりたくない気もするが、怪しい集団というのも気になる。一度町の人々にも話を聞いてみるべきだろう。

「あ!ユーリ!ライ!おーい!!」

 聞こえた大きな声に振り返ると、カロル達が走ってくるのが見えた。三人の、特にリタの目は怒りに燃えている。一緒にいるレイヴンの姿も目に入ってきたのだろう。ライも巻き込まれないうちに逃げた方がいいかもしれない。

「逃げた方がいいかねえ、これ」

「ひとり好戦的なのがいるからな」

軽くユーリが笑えば、レイヴンは直ぐに身を翻して駆けていく。その姿は瞬く間に小さくなり、息を切らせたリタ達が来たときには既に消えていた。

「待て、こら!ぶっ飛ばす!」

「な、なんで逃がしちゃうんだよ!」

肩で息をするカロルが、ユーリとライに抗議の声をあげる。確かに捕まえられる距離ではあったが、それは彼がただの一般人だった場合だ。あの身のこなしはただものではないだろう。

「いやー、いい脚してるわよね」

「関心してる場合じゃないでしょ!」

 もー!と、カロルが地団駄を踏む。カロルの気持ちは分からないでもない。ちらりとユーリを見ると、軽く笑ってカロルの肩を叩いた。

「誤解されやすいタイプなんだとさ」

「え?それ、どういう意味……?」

「……逃がしたわ。いつか捕まえてやる……」

 カロルが首を傾げていると、リタが戻ってきた。全力で走ったのだろう、リタの顔は怒りと疲れで真っ赤になっている。かわいい顔ね、といいたくなったが、燃やされるのが目に見えているのでやめておこう。触らぬ神に祟りなし、ということだ。

「ほっとけ。あんなおっさん、まともに相手してたら疲れるだけだぞ。大丈夫か?」

だが一番息を切らせているのはエステルだ。こくりと頷いたものの、喋ることは難しいのか胸元を押さえて必死に深呼吸している。

「……少し、休憩させて、ください」

「ああ、じゃ少しだけな。そしたら行くぞ」

「行くって、どこに行くの?」

頷いたエステルが座ったところでカロルが小首を傾げる。

「紅の絆傭兵団の後を追う。下町の魔核、返してもらわねえと」

「足取り、つかめたんです?」

「北西の方に怪しいギルドの一団が向かったんだと。やつらかもしんねえ。確証はない。あくまで、可能性の話だ。油断は出来ない」

 一度騙されている以上、迂闊に信用は出来ない。みな迷っているようだった。あんな風にまた利用されてはたまらない。特に、リタは。ちらりと見た少女の顔は不満を絵に描いたようだった。

「北西っていうと……地震で滅んだ街くらいしかなかった気がするけどなあ」

「そんなところに何しに行ったんでしょう」

「さあな」

「お宝でも隠しに行ったのかしらね?」

盗品を人気のないところに隠す、というのは聞いたことがある。とはいえ、それはあくまで想像の話で、レイヴンの話を信じた場合だ。確証に繋げるだけのものは、何もない。むしろ怪しい要素しかない。あそこまで怪しいといっそすがすがしい気もするが。

「そんな曖昧なのでいいわけ?」

「だから、行って確かめんだろ」

 不信感をにじませるリタを軽く笑うユーリに、彼らしい考えだとライは内心笑う。フレンならこうはいかない。しっかりと情報を集め、準備を整えてから行くだろう。こうと決めたユーリは早い。フレンが躊躇っている間に、いつもユーリは一歩踏み出している。それが吉と出るか、凶と出るかだが。

「じゃ、私はちょっと散歩してくるわ」

出発までまだ時間はある。ただ待っているより、少し情報を集めておいた方がいいだろう。もう帝都とは随分と離れてしまった。見知らぬ土地だ。出来ることはしておいた方がいい。じゃあねーと軽い調子で踵を返して、ライはカプワ・トリムの町を歩きだした。




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