22:海が見える丘


 エフミドの丘の草をかき分け、カロル達は走っていた。このエフミドの丘には結界魔導器がある。だから魔物に襲われる心配もなく、まっすぐ進めばすぐに丘を越えてノール港だと思っていた。それなのに、丘に入ってすぐに騎士に追われて近くの草むらに逃げ込み、どれほどの時間が経っただろう。

「もう追ってこないよね……」

 息を切らせながら、カロルは後ろを振り返った。どうもここ最近、追われてばかりだ。騎士に追われ、暗殺者に追われ。その原因は、とカロルがちらりと見れば、彼も後ろを振り返って笑みを浮かべた。

「ここまで来れば大丈夫だろ」

「もー、みんな問題ばっかり起こすんだからー」

「その筆頭が何言ってるのよ」

騎士に追われているのは、ユーリとライがエステルを帝都から連れ出したから……らしい。詳しい事情は知らないが、エステルはユーリ達の友人であるフレンを探しているらしい。よく分らないけど。そういえば、一緒に旅をしてるのに自分はユーリ達のことをあまり知らないような気がする。いや、実際よく知らないのだろう。分かっているのは、ユーリ達は強いということ。心強いということ。それと、一緒にいると楽しいということ。

「竜使いも、あんな無茶苦茶な術式組んだ奴も絶対に許さない」

「リタ、落ち着いてください」

ぶつぶつと文句を言うリタに、エステルがなだめる。リタが怒っているのは先ほどの魔導器と騎士、それに魔導器を破壊したという竜使い。空を見上げれば、先日訪れたときの結界はなく青々とした木々と青い空が続いている。先ほど騎士達から聞いた話では、突然現れた竜に乗った槍使いが、一瞬で魔導器を破壊してしまったらしい。それだけでもリタの怒りを燃え上がらせるには十分なのに、その魔導器がリタにとって気に入らない術式らしい。詳しいことは分らないが。

「そーよリタっち!可愛い顔が台無しよ?」

「あんたに言われると本っ当に腹立つんだけど」

笑って自分の両頬を指さすライに、リタが眉間に皺を寄せる。あれではリタの怒りを煽るだけのような気がするが、とこの中でライの扱いになれたユーリを見るが、彼は我関せず、と言った様子で周囲の様子を探っている。やっぱりか、と半ば予想していた反応に視線を戻せば、リタがライの胸元を指さした。

「変な術式の使い方は魔導器に負担をかけるの。あんた、そのコに相当な負担をかけてるのよ?」

「そう言われても、私魔導器について全然知らないし」

「あんたの魔導器でしょ?何も知らないの?」

このままじゃ大喧嘩になるんじゃないかとはらはらしているのは、エステルも同じだ。詰め寄るリタを止めようと視線を彷徨わせている。でもこの様子ではリタは止まらないだろう。リタは考えて行動するような人ではなく、割と感情的な人間だということはつい先ほど騎士に抵抗した様子を見て悟った。
 溜息をつきながらも傍観しているとライが大きく首を傾げ、続けて笑った。

「死に際の母親から『お守り』って渡されたものだし。あの時は魔物に追われててそれどころじゃなかったしねー」

「死に際って……」

明るく言うが、話の内容は決して明るいものではない。思わず息を飲むリタに、ライは笑って話を続けた。

「父親もそのとき死んじゃったし、全ては闇の中……ってやつ?いやー、私もあの時は死んじゃうかと思ったわー」

そんなライにどう反応していいのか分らないだろう。地雷を踏んだ、とはこういうことだ。リタが居心地悪そうに視線を逸らせば、なんとなく空気が重くなったような気がした。重くした発言をした張本人は、この場に不釣り合いな顔で笑っているが。ここはやはりユーリになんとかしてもらおうと口を開くと、エフミドの丘に大きな声が響いた。

「ユーリ・ローウェ〜〜ル!ライ〜〜!どこに逃げよったあっ!」

あの声は、ユーリ達を追って来た騎士、ルブランだっただろうか。いい意味で空気を壊してくれた。内心安堵していると、ユーリが声のした方を見て口の端を上げた。

「どうやら、呑気に話している時間はないみたいだな」

「良かったわね、熱烈なファンがいて」

「お前もな」

いつもの軽口を叩きあうユーリとライは、落ち着いている。騎士に追われ慣れているなんて、一体どんな生活を送ってきたのだろう。

「エステリーゼ様〜〜!出てきてくださいであ〜る!」

エステルなんかは、名前を呼ばれただけで肩を震わせ、周囲をきょろきょろと見渡しているのに。あれが人として正しい反応だろう。そっと溜息をついていると、リタがユーリを睨んだ。

「どーすんのよこれから。どう見ても森に迷い込んだとしか思えないんだけどこの状況」

騎士から逃げるのに必死で、本来の道からは完全に逸れてしまっている。それでも進めないわけではない。カロルは注意深く辺りを観察し、見つけた一筋の細い道を指さした。

「多分、この道にそっていけば行けるはずだよ」

「これって獣道よね?進めるの?」

行きたくない。言葉にはしなくてもリタの視線がそう告げている。カロルだって、好きで獣道を通りたいわけではない。こんな道、いつ虫や魔物が出てくるか分らないのだから。

「行ける所まで行くぞ。捕まるのはごめんだ」

「魔物にも注意が必要ですね」

迷うことなく進むユーリにエステルも続く。リタも溜息をつきながら続いた所で、カロルも彼らに続いた。ここに留まれば、騎士に捕まる可能性が高い。虫や魔物はいやだが、とカロルは大きなため息をついた。

「結界があれば魔物の心配もいらなかったのに」

「まったくよ。どっかのバカが魔導器を破壊するから」

リタの怒りをまた煽ってしまっただろうか。それにしても、あの竜使いとやらは何故結界魔導器を壊したのだろう。魔導器を集めたがる人間は少なくないが、魔導器を破壊する人間なんて聞いたことがない。結界を壊しても不便なだけなのに。よく分らない人間がいるものだと、溜息をつく。今日は何度溜息をついただろう。
 魔物を退け、時折飛び出す虫にこっそり悲鳴を上げながらも進めば、前の方を歩いていたエステルが駆けだした。どうしたんだろうと首を傾げていると、鼻孔をくすぐったのは潮の香。前を歩いていたエステルは、カロルよりも早くそれに気付いたに違いない。少し拓けてきた道を早足に進めば、大きく開いた場所に出た。 

「うわあ……」

歓喜の声を上げるエステルの眼前に広がったのは、崖下に広がる青い空と、青い海。陽の光を一心に受けた海は輝き、緩やかな水平線を描く海は空と寄り添っている。

「これ……って……」

「ユーリ、海ですよ、海」

「わかってるって。……風が気持ちいいな」

息を飲むリタの隣で、エステルが目を輝かせて振り返る。みんな海を見るのは初めてなのだろうか。あのいつもクールなユーリでさえ、穏やかに海を眺め、長い髪を潮風に靡かせている。

「本で読んだことはありますけど、わたし、本物をこんな間近で見るのは初めてなんです!」

崖に立ち、はしゃぐエステルにユーリが気を付けろよ、と声をかける。カロルには見慣れた景色でもみんなには新鮮で感動的な光景なのだろう。いつも自分より大人な振る舞いをしているみんなが自分より子供のように見えて、なんだか面白い。

「普通、結界を越えて旅することなんてないもんね。旅が続けば、もっと面白いものが見られるよ。ジャングルとか滝の街とか……」

ちょっとした優越感に浸りながら、カロルは胸を張った。みんなが知らないことを、カロルは知っている。みんながみたことのないものを、自分だけが知っている。カロルの話にエステルは嬉しそうに頬を綻ばせ、目の前の景色を噛み締めるように静かに目を瞑った。

「旅が続けば……もっといろんなことを知ることができる……」

ゆっくりと目を開いたエステルの目は、輝いていた。世界は広い。世界は危険で溢れている。楽しいことがあれば、怖いこともある。それでもカロルが外の世界で夢を叶えたいように、エステルも外の世界を旅して知っていきたいのだろう。そう思うとエステルとの距離が少し縮まったような気がして、なんだかとても嬉しかった。

「そうだな……オレの世界も狭かったんだな」

「あんたにしては珍しく素直な感想ね」

いつものような棘も皮肉もないユーリに、リタが小さく笑う。その顔はいつもより穏やかで、これが海の効果なのだろうか。どことなく楽しそうなリタに、カロルも笑った。

「リタも、海初めてなんでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「そっかぁ……研究ばかりのさびしい人生送ってきたんだね」

「あんたに同情されると死にたくなるんだけど」

前言撤回、やっぱりリタはいつものリタだ。冷たい視線に少しだけ傷ついたところで、ふと気付いた。海を見たら一番はしゃぎそうな人間が、一番静かだ。

「懐かしいわね……」

「ライは見たことあるの?」

いつもより穏やかなライに、思わず首を傾げる。ユーリが海を見るのが初めてだと聞いたから、ライも初めてだと思っていたのに。カロルの問いに、ライは笑って頷いた。

「昔、何度かねー」

その話の続きが気になったが、もしかしたら先ほどのリタのように地雷を踏んでしまうかもしれない。そうなんだ、と零してカロルが海を眺めているとエステルは感動を味わうようにそっと胸元に手を当てた。

「この水は世界の海を回って、すべてを見てきてるんですね。この海を通じて、世界中が繋がっている……」

「また大げさな。たかだか水溜まりのひとつで」

「リタも結構、感激してたくせに」

冷静なリタだが、先ほどは海をみて感激していた。素直じゃないなと笑えばリタのチョップが落ちてきてカロルは頭を押さえる。が、思っていた痛みは襲ってこない。

「あ、あれ……?」

おそるおそる瞑っていた目を開けば、リタは既に自分に背を向けていた。よく分らないが、助かったらしい。

「これがあいつの見てる世界か」

「ユーリ?」

ぽつりと呟き、海を眺めるユーリにエステルが首を傾げる。ユーリの横顔は海に感動したような表情でもなく、海じゃない遠くを見ているようで。そっと息を零したユーリは、悔しそうに拳を握りしめていた。

「もっと前に、フレンはこの景色を見たんだろうな」

「そうですね。任務で各地を旅してますから」

フレン、という人物をカロルは知らない。だがフレンを語るユーリはエステルの表情を見れば、きっと悪い人ではないということは分かる。何せ、ユーリやライの幼馴染で、エステルの友人なのだ。きっと、すごい人なのだろう。色んな意味で。

「追いついて来いなんて、簡単に言ってくれるぜ」

「エフミドの丘を抜ければ、ノール港はもうすぐだよ。追いつけるって」

辺りの景色を見る限り、ノール港は近い。ノールは丘を越えて街道沿いを西に進めばすぐだ。これなら今日中にノール港に着くだろう。そう思って声をかけたのに、ユーリは鼻で笑った。

「そういう意味じゃねえよ」

「え?どういうこと?」

フレンが目指しているのはノール港、カロル達も今、ノール港を目指している。このまま何も問題がなければすぐに追いつけるのに、どういう意味だろう。首を傾げていると、ユーリが海に背を向けた。

「さあて、ルブランが出てこないうちに行くぞ。海はまたいくらでも見られる。旅なんていくらでもできるさ」

だがエステルは動かない。名残惜しそうにゆっくりと動くエステルにユーリは笑った。

「その気になりゃな。今だってその結果だろ?」

「……そうですね」

「ほら、先に行っちゃうよ」

カロルもエステルに手を振りながら歩き始めた。ノール港を目指せば、カロルもみんなに追いつける。そう思うと自然と足も速く前へ前へと進む。

「慌ててると、崖から落ちるぞ」

いくらなんでもそんなドジなことはしない。そう返そうと思ったのに、前を向けばすぐそこに崖が迫っていて、

「うわあああっ!」

「バカっぽい……」

思わず悲鳴を上げて尻もちをつけば、リタの溜息とライの笑い声が聞こえた。







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