11:樹よ、再び美しく
坂を上り切ると、巨大な樹が見えた。立派な樹だが、花だけでなく葉も枯れかけているせいか、どこか頼りない印象を受ける。これが本来の姿なら、さぞかし貫禄があっただろうに残念だ。
「……へぇ。これがハルルの樹か。近くで見ると結構デケーな」
大人が十人がかりで両手を広げても、囲うことは難しいかもしれない。この巨大な樹に花がつくのなら、一度は見てみたいものだ。聞いた話ではピンク色の花が咲くらしい。今は見る影もない巨大な樹に、エステルが息を零した。
「満開の花が咲いて街を見守っているなんて素敵ですよね」
「どうせなら花の咲いている時期に来たかったな」
目を細めるエステルはこういったものが好きなのだろう。本来女性とはこういうものだと内心頷いていると、隣で幼馴染が大きく頷いた。
「ここで花見したら最高よねー」
「お前は単に騒ぎたいだけだろ」
エステルはともかく、ライの方は花には興味ないだろう。彼女は暴飲暴食する理由が欲しいだけだ。軽く睨めば、ライはばれたかーと軽く笑った。
花が咲けば街は守られ、花見も出来る。言葉にするのは簡単だが、それを実行するのは難しい。彼でさえ、自力でどうにも出来ずに協力を求めて街を旅立ったのだから。
「あの、私もう少し街の様子を見て来ます」
樹に背中を向け、エステルが再び街の中心へ向かっていく。まだ怪我をしているものも少なくない。彼女の性格上、全員の治療を終えるまで落ち着かないのだろう。止めても無駄だろうと判断し、わかったと返事をして送り出したユーリは目の前の樹を見上げた。
「フレンでも治せなかった樹……ねぇ」
フレンは昔から何でも出来た。本を読んで剣を覚え、記憶を頼りに母親の料理だって再現してみせた。その何でも出来るフレンに出来なかったことが、今目の前にあると思うと面白く思う。
「これが咲いてたら、びっくりするでしょうね」
ライも同じことを考えていたのだろう。にやにやと顔を覗き込む彼女に頷いてユーリはハルルの樹を見上げた。
咲かせるものなら咲かせてみたいが、あのフレンさえ分らなかった原因を突き止めるのは簡単ではないだろう。二人でハルルの樹を見上げていると、近くの茂みから聞き慣れてしまった声が聞こえた。
「ああ〜っ!もうおしまいだ……!」
よく見れば、茂みの中から彼の跳ねた茶色の毛が見えている。何故こんな所にいるのだろうと首を傾げつつも、ユーリはカロルに歩み寄った。
「どうしたエース?仲間に会うんじゃなかったのか?」
びくりと肩を震わせたカロルだが、中々こちらを見ようとしない。居心地悪そうにそわそわするカロルに、ライが隣に座って顔を覗き込んだ。
「おやおや〜?訳アリですかな?」
「ちょ、ちょっと休んでただけだよ」
「じゃあ、『ああ〜っ!もうおしまいだ……!』っていうのは何?」
先ほどのカロルを真似れば、彼は視線を泳がせた。見られているとは思わなかったのだろう。それでも尚事情を話さないカロルに、ユーリは口の端を上げた。
「……ははーん、さてはお前、ひとりで森に行くのが怖くて逃げてきたんだろ。ギルドのエースも形無しだな……」
「ちっ、ちがうやい!」
「じゃあなんで森にいたんだよ?」
こんな子供が一人でクオイの森に行くなんて訳有に決まっている。だがよほど言いにくいことなのか、カロルは中々口を開こうとしない。この表情を見る限り、決して遊びではなくそれなりの覚悟をして森に行ったようにも見える。
茶化すことなくじっと言葉を待っていると、カロルが大きく息を吐き出してから口を開いた。
「……パナシーアボトルの材料を探してたんだよ。エッグベアの爪があれば、ハルルの樹を甦らせることができるんだ」
「え?お前治し方知ってんの?」
思わず息をのめば、カロルはまあね、と気の抜けた返事をして立ち上がった。何か訳有かとは思ったが、まさか魔導器を直す方法を知っているとは。
ライも立ち上がり、歩きはじめればカロルが足を止めたのは樹の根元だった。
「土をよく見て。変色してるでしょ?これ、街を襲った魔物の血を土が吸っちゃってるんだ。その血が毒になってハルルの樹を枯らしてるの」
「パナシーアボトルって、こんなのにも効くの?」
「どんな異常にも効く万能薬だからね。これさえあれば土から毒を消せるはずなんだけど……」
首を傾げるライにカロルは頷いたが表情は暗いまま。パナシーアボトルといえば、道具屋に並んでいる商品だが、その値段の高さからあまり普及していない。近場の店で購入出来ればいいが、それよりも驚くべきはカロルの知識だ。
「よく知ってんのな」
「でも……誰も信じてくれないんだ」
溜息をついたカロルの視線はどんどん下がって地面に落ちた。確かにパナシーアボトルは本来人に使うべきもの。そんなもので魔導器が治せるとは信じがたいだろう。
「満開のハルルの樹、あの子にみせてあげたかったな」
「あの子って、彼女?」
「ち、違うよ!そんなんじゃないよ!」
ライが意味深に笑えば、カロルは顔を赤くして首を横に振った。分かりやすい奴だ。小さく笑って、ユーリは樹を見上げた。パナシーアボトルさえあれば、魔導器が直る。魔導器があれば、この町の住民が傷つくこともない。おまけにフレンを驚かせることが出来るとすれば、やらない手はない。
「カロル、それやってみようぜ」
「あの調子で街の人治療してたら、エステルが倒れちゃうもんねー」
頷いてライはエステルが居るであろう坂の下に視線を向けた。勿論エステルの姿は見えない。だが姿は見えなくても、今もエステルが人々を治療していることは容易に想像できる。やはり考えていることは同じだ。互いに横目で視線を交わせば、カロルは戸惑いながらユーリとライを交互に見た。
「え?どうするつもり?」
「決まってんだろ。エッグベアを倒しに行くんだよ!」
「ってなわけで、クオイの森に行くわよ!」
ほら、とライが促すがカロルは開いた口が塞がらず呆然としている。それほどまでに驚くことなのだろうか。行くぞ、と放心状態のカロルに声をかければ、カロルはユーリ達に詰め寄った。
「ボ、ボクのこと信じてくれるの!?」
「疑っても仕方ないでしょ?それに、試してみる価値はあるんじゃない?」
「そういうことだよ」
頷いて、ライ達と共に坂道を降りる。他に方法がない今、何もしなければ、また魔物に襲われるのを待つようなものだ。下町の水道魔導器も心配だが、だからといってこのままハルルを見過ごすことも出来ない。
坂を下りていくと、何人か住民とすれ違ったがその表情はどれも暗い。この街はもうおしまいだ、結界がなければどうしようもない、逃げるなら帝都か、だが帝都までの護衛はどうする。
人々の暗い表情に、治療していたエステルの表情も曇っていた。怪我は術で治せても、精神的な不安まではエステルの術では治せない。ユーリは暗い空気の中、口を開いた。
「だったら、結界ごと直さないか?」
言えばいくつもの視線がユーリに向けられるが、どれも友好的なものではない。楽観的にも思える言葉に苛立ちを覚えているのだろうか。呆れを含んだ視線達をぐるりと見渡し、ユーリは言葉を続けた。
「魔物が攻めてきたら、ケガ人が出て治療しなきゃなんないだろ?だったら結界の方を直そうぜ」
ユーリは不安げな人々を見渡したがやはり誰の表情も暗い。人々は耳打ちしあった後、眉をひそめながら不安を零した。
「でも、どうやって……」
「で、できるよ!材料さえそろえば。パナシーアボトルで土を綺麗にすればハルルの樹は元に戻るんだ!」
ぽつりと零れた不安に、カロルが声を上げた。提示された解決法に広場がざわめく。とはいえ、まだ半信半疑なのだろう。そんなまさか、でも他に方法があるのか。徐々にざわめきが大きくなる中、町長が手を上げた。
「パナシーアボトルの材料、ルルリエの花びらならワシが持ってますぞ!」
「本当!?」
目を輝かせるカロルに頷いて、町長がカロルに渡したのはピンク色の花びら。淡い色はエステルの髪の色とよく似ている。カロルはそれを大事に布で包んで鞄に仕舞った。
「あとはニアの実とエッグベアの爪があれば……!」
先ほどまでの落胆ぶりはどこに行ったのか、カロルの目は輝いている。枯れた樹の花びらさえ手に入れば、ニアの実とエッグベアの爪ぐらいはなんとかなるのではないだろうか。嬉しそうなカロルの肩を叩き、ユーリは軽く笑った。
「どっちもクオイの森で手に入りそうだな」
「なるべく近くで手に入ればいいけどねー」
「そればかりは運だろうな」
ライの言う通り、楽に手に入ればいいが魔物は森の奥の方に棲みつくことが多い。一度クオイの森を通ったが、エッグベアは見ていない。運がいいのか悪いのか、エッグベアの数が多いのか少ないのか。どちらにしろ、この状況ではなんとかして探すしかないだろう。
「おい、ハルルの樹が治るらしいぞ!」
どこからともなく、歓声が聞こえてくる。魔導器はこの街の希望。直す手立てを失っていた彼らにとっては今はカロルが希望になっているのだろう。大きくなる歓声に、ライは照れくさそうに頭をかくカロルの背を叩いた。
「期待されてるわよ、エース!」
その強さに数歩よろめいたものの、嬉しそうな表情は変わらない。カロルは頬を紅潮させながら顔を上げて腕を振り上げた。
「エッグベアを倒しに……いざ出発ーーーッ!」
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