08:倒れる少女
デイトン砦をこっそり抜けて、西の方角へ向かう。一組や二組は抜け道を探すかと思いきや、辺りにはライ達しかいない。街道を進み、足を踏み入れた森は薄暗く湿ったにおいがする。滅多に人が足を踏み入れない場所なのだろう。道らしき道にも草が生え、歩きにくいことこの上ない。
「じめじめするわねー」
先頭はユーリ、その後ろに旅慣れしていないエステル。一番後ろをラピードとともに歩いていたライは、鬱蒼と生い茂る草木にため息をついた。早くこの森を抜けてしまいたいが、そう簡単にはいかないだろう。何せ、ここは呪いの森なのだから。
「……この場所にある森って、まさか、クオイの森……?」
「ご名答、よく知ってるな」
おそるおそる尋ねるエステルに、ユーリが前の草を踏み分けながら笑う。少し広い所に出たが、まだまだ道は長い。ユーリの言葉にエステルが肩を震わせた。
「クオイに踏み入る者、その身に呪い、ふりかかる、と本で読んだことが……」
「いいじゃない!なんか冒険してるー!って気がするわよね」
ここまで十分冒険したけど、と思いつつも両手を振り上げる。水道魔導器の魔核を取り戻す大事な旅だとは分かっているが、気を張り詰めているのも面白くない。久々に街の外に出たのだ。こうなった以上、外を満喫した方が楽しいだろう。
「これがお楽しみってもんだろ。行かないのか?ま、オレはいいけど、フレンはどうすんの?」
「そうそう、愛しのフレンはこの先よ?」
振り返るユーリに頷いて、エステルの前に出たライは笑顔で森の奥を指さした。あのフレンがこんなかわいい子に追われている。この状況を楽しまずしてどうするか。にやにやと笑っていると隣でユーリがため息をついたが、エステルは真剣に考え込んだ様子で眉間に皺を寄せている。エステルは呪いや幽霊といって話は苦手なのだろうか。
暫く俯いていたが、ややあってエステルは顔を上げた。
「……わかりました。行きましょう!フレンに身の危険を伝えなければいけませんから!」
「はいはい」
絞り出した元気でどんどん前に進むエステルをユーリがため息まじりでついていく。
純粋で、まっすぐで、でもどこか危なっかしくて、いい子。こんな可愛い子ならフレンもくらっといくのではないだろうか。ここに来るまでにフレンとの関係を尋ねてみたが、返ってきた答えは「友達」。ただの友達なら、危険を冒してまで街の外まで追いかけたりしないだろう。まして、彼女は貴族のお姫様。城に住むぐらいの権力を持つのなら、権力を使ってフレンを探せばいいだけだというのに、彼女はそれをしない。もしくは、出来ないのか。
「何の……音です?足元がひんやりします……。まさか!これが呪い!?」
「この感じ……間違いないわ!足元ひんやりさせてお腹を冷やす呪いよ!」
「どんな呪いだよ」
怯えるエステルに便乗すれば、ユーリの拳が頭の上に落ちた。勿論、いつも通りの見せかけだけの軽いもだが。だがエステルの方は同意されて呪いを信じ込んでしまったのか、俯いた顔は青ざめていた。
「樹の下に埋められた呪いの声がじわじわと這い上がり、わたし達を道連れに……」
「おいおい」
「いやー想像力豊かねー」
呆れるユーリの傍でぽつりと呟けば、溜息が返ってきた。人の言うことをここまで鵜呑みにするとは正直な証拠。ぶつぶつと呟くエステルが辺りを見渡し、ふいに翡翠色の目が瞬いた。
「あれは……魔導器!?」
茂みにかけこんだエステルの視線の先にあったのは四角い筒のような魔導器。水道魔導器の数倍もの大きさの魔核が取り付けられているが、何故こんな所に魔導器があるのだろう。
「売ったら、いくらかしら?」
「こんなの運べるわけねえだろ」
ユーリの現実的な答えに、そうよねと息を吐き出す。随分古ぼけているが、まだ動くのだろうか。少し触ってみようと動いた所で、どこか虚ろな目のエステルが目に入った。
「大丈夫?」
「少し休むか?」
「だ、大丈夫です」
首を横に振り、笑みを浮かべたエステルだがその笑みは頼りない。慣れない旅の疲れが出たのだろうか。だがそれにしては急すぎる。だったら、と足元に視線を落とせば、エステルが一歩前に出た。
「それよりこれ……」
「エステル!」
ぐらりと倒れた細い身体をユーリが咄嗟に受け止める。何度声をかけても反応はなく、固く閉じられた瞼は動く気配がない。ライはユーリに声をかけて魔導器から離れると、近くの樹の根に腰を下ろした。
「エアルのせいかしらねー?あそこは濃すぎて変な感じするわ」
「変な感じ?」
首を傾げつつも、ユーリがエステルを横たえる。苦しげな寝顔にラピードに視線を送れば、仕方ないといった目をしながらもエステルの枕元に座った。ラピードの枕程寝心地が良いものはない。ユーリがエステルの頭をラピードに預けると、ライは荷物から毛布をひっぱり出してエステルにかけた。
「あそこのエアルはぐぐぐっていうか、ぐわーっていうか……とにかく気持ちが悪いのよ。エアル酔いってやつかしら」
上手く説明できずに全身を使って表現してみたが、ユーリの目は訝しげだ。だがこれ以上は説明しようがない。エアルは濃いと気持ち悪い、とは個人的な感覚なのだから。ユーリも詮索しても無駄だと気づいたのだろう。ため息まじりに近くに腰を下ろした。
「大丈夫なのか?」
「ちょっと休んだら大丈夫でしょ」
多分ね、と付け加えてライは眠るエステルの頭を撫でた。一時的なものだったのか、先ほどより呼吸は落ち着いてきている。まだ深い眠りについているのを確認し、ライはユーリに視線を向けた。
「で、この子何者なの?」
「城で会ったんだよ。騎士に追われててな」
「城に住んでるお姫様が追われてるって、最近のお城はどうなってんのよ」
軽く笑って、懐に隠し持っていた飴を口に放り込んで、ユーリにも投げ渡す。帝都を出てから、ユーリがエステルを連れてきた経緯を聞いたが、分らないことばかりだ。何故騎士に追われているのか尋ねても、エステルは言葉を濁すだけ。ただ、「フレンの身が危険だと伝えたい」と言うだけ。
「城に住んでるってことは、相当な権力者じゃないの?」
貴族の多くが貴族街に屋敷を持つ。だがユーリの話ではエステルの部屋は城の中にあったのだという。城に居住するなんて、皇族くらいではないだろうか。だが皇族であったとしたら、騎士団に追われているというのは気になる。貴族お得意の権力争いだろうか。
だが、そうだとしたら何故フレンが命を狙われることになるのだろう。権力争いに巻き込まれたのだろうか。それとも、何らかの任務を遂行しようとするフレンを暗殺者が狙い、暗殺を阻止するためにエステルが動いている。と、考えて良いだろうか。
「そんなの、オレが知るわけないだろ」
「ユーリはそういう情報疎いもんねー」
疑問を投げかけたユーリから確かな答えは返って来ない。予想通りの答えに、ライは笑った。エステルがどんな事件に巻き込まれているのか、はっきりとしたことは分らない。だが彼女はライ達が見てきた貴族達とは違う。この優しい子は、本当に貴族とは思えないくらい#素直ないい子だ。だからこそ、気になる。ライは食材が入った袋に手を突っ込むユーリににやりと笑った。
「で、フレンとはどういう関係なの?」
「本人は友達って言ってたけどな」
「そっかー。お友達かー。こんなに必死に追いかけるなんて、よっぽど大事なお友達なのね」
フレンの命が危ないとしたら、フレンに危険を伝えようとするエステルも危険だということ。命懸けで行動する理由が本当に友達なのだろうか。ただの友達のために、そこまで行動するだろうか。考えていると、エステルからうめき声が聞こえた。
「大丈夫か?」
「っ……少し頭が……」
ライは頭を抑えながらも起き上がるエステルの体を、そっと支える。ありがとうございます、と微笑んだエステルは胸にたまった息を吐き出すように大きく息を吐き出した。
「でも、平気です。わたし、いったい……」
「突然倒れたんだよ。何か身に覚えないか?」
エステルに声をかけながらユーリが取り出したのはパンと野菜。腹ごしらえをするつもりなのだろう。慣れた手付きで野菜を切り分けていると、エステルが頷いた。
「もしかしたら、エアルに酔ったのかも知れません」
「エアルって魔導器動かす燃料みたいなもんだろ?目には見えないけど、大気中にまぎれてるってやつ」
「はい、そのエアルです。濃いエアルは人体に悪い影響を与える、と前に本で読みました」
軽く乱れた衣服を直すエステルにライは水を差しだす。顔色は良くなったとはいえ、油断は出来ない。ありがとうございますと受け取ったエステルの表情は柔らかいが、目の前で倒れられれば心配になる。
「もう平気なの?」
「一時的なものですから、大丈夫です」
知識のあるエステルがこういうのなら本当に大丈夫だろう。安心して頷いてると、ユーリの手元でパンがサンドウィッチへと進化を遂げていた。
「ふ〜ん、だとすると呪いの噂ってのはそのせいなのかもな」
「ユーリ!フルーツサンドは!?」
「ねえよ。トマトで我慢しとけ」
両手を出せば、手に置かれたのはトマトサンド。やはりというか、慌ただしく帝都を出て、砦でも最小限のグミなどしか買えなかったために食材は必要最低限のものしかない。それでも食べられるものがあるだけでも幸せだろう。それに何よりユーリの作る料理はおいしい。こんな顔であんな性格だが、「料理は愛情」と言ってとっておきの隠し味をいれているおかげがとにかくおいしい。
と、そこでまだ本調子ではないのか、少し俯き気味なエステルにライは声をかけた。
「あ、エステルは何にする?おいしいわよ!」
ほら、と呆然と見ていたエステルに声をかければ、彼女は翡翠色を瞬かせた。サインドウィッチの具で迷っているわけではなさそうだが、説明した方がいいだろう。トマト、キュウリ、ハムと説明した所で、エステルが躊躇いがちに口を開いた。
「あの、フレンが危険なのにユーリ達は心配ではないんです?」
「ん?そう見える?」
小さく笑ってユーリがハムサンドを口に運ぶ。最後に残ったキュウリサンドを受け取ったエステルは、ユーリとライを見て小さく頷いた。
「……はい」
「そんなことないわよー?今だって心配で心配で食事も喉を通らなくて」
「……そうは見えませんけど」
ライが笑いながらトマトサンドを頬張ればエステルは眉を顰めた。ここまで命懸けと言っても過言ではない状況でここまで来たエステルだ。一見、緊張感のないライ達が不思議でならないのだろう。少し怒っているようにも見えるエステルにユーリは軽く笑った。
「実際、心配してねえからな。あいつなら自分で何とかしちまうだろうし。あいつを狙ってる連中にはほんと同情するよ」
「今頃泣きべそかいてるんじゃない?可哀想ねー」
「え?」
暗殺者が狙うのがただの騎士なら今頃任務遂行で祝杯でも挙げているのかもしれない。だが相手はあのフレン・シーフォだ。頑固で、真っ直ぐで、こうと決めたら最後まで自分の意志を貫き通すフレンだ。あのフレンがそう簡単にやられるわけがない。首を傾げるエステルに、ユーリは頷いた。
「ガキの頃から何やってもフレンには勝てなかったんだよ。かけっこだろうが、剣だろうが。その上、余裕かまして、こう言うんだぜ?大丈夫、ユーリ?ってさ」
「あー、似てる似てる!」
声色を変えて言うユーリにライは声を上げて笑った。
フレンとユーリは何かと競い合っていた。それは見ていて楽しいものだったが、僅差とはいえいつも結果はフレンの勝ち。いつだって、並んでいるようで少し前を歩いているのはフレンで、隣に並んでいるのがユーリ。そして自分はその少し後ろ。
「うらやましいな……」
ぽつりと零したエステルの表情は暗い。俯いたまま小さく笑ったエステルの笑みは悲しげだった。
「わたしには、そういう人、誰もいないから」
「いても口うるさいだけだぞ」
「知られたくないことも知られてるわけだしね」
言って肩をすくめればエステルが小さく笑った。それでもまだ寂しそうなのには変わりない。ライはそっと息を零すと、エステルと向かう合うように座った。
「いないなら、これから作ればいいでしょ?少なくとも私達はここにいるわけだし。昔から言うでしょ?同じ鍋の飯を食べたら仲間だって」
「鍋なんか使ってないけどな」
「いいでしょ?こういうのは雰囲気なのよ」
ぽつりと呟くユーリに頬を膨らませる。そうして乾杯するように自分のトマトサンドをエステルのキュウリサンドに当てた。
「ってなわけで、これからよろしくね。エステル」
「はい!」
花が咲いたように笑う、とはまさにこの事ではないだろうか。嬉しそうに頷くエステルに、ライもつられるように笑った。
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